逆じゃん!

 ことごとく私の直感は逆である。

 例えば知らない道を車で走っていて、恐らく目的地は右だろうと右折すると左だったり、仕事中に目的の作業をするために行程を決める場合、恐らくこの方向で効率的に作業を展開できるだろうと進めていくと、全く反対の方法だったり。つまり、一番の問題点は確証を得ず、すべてを「恐らく」で判断しているからに他ならないだけなのだ。カミさんに言わせれば「ウロウロする前に目的をちゃんと確認して調べてよ!そういう奴にこそカーナビという商品が必要なのに、そんなモノは必要ないとか言って!へそまがりにも程がある!」となる。実際、仕事中、思うように事が運ばすイライラしている100%は私の確認不足だったり、準備不足が原因であるにも関わらず、そこは適当にスルーして、パスワードを無くしたことや、依頼内容を控えるのを忘れ、ちゃんと保管していないことにイライラして、ひとり沸点に達している。こんなことを長年繰り返していながら、「忘れる」「控えない」「保管しない」「整理しない」を繰り返す非常にやっかいな人なのである。

 では、実際、お前(私)は何をしているのか?それは、目の前にぶら下がった人参だけを見ている視界の狭い馬なのである。このいい加減さを「良い加減だ」などと嘯き、その場その場を凌いでいるだけなのです。これは自身でもホトホトなのだが、どうにもこうにも心に気持ちに余裕が生まれないのは何故か?これもただの言い訳に過ぎないのだが、馬だから「人参」が好きなのは仕方ないのである。誰かにムチを入れられるわけでもなく、人参があれば、ただ、つっぱしる馬なのである。轡を引き締める人を振り落とし、フンフンと息だけを荒げ猛進・直進・迷走が得意技なのです。

 その一方で、「バイタリティー」「ポジティブ」「積極的」「貪欲」「探究心」などという類の言葉に過剰に反応・解釈し、根拠のない幻想を抱き、躊躇しているぐらいなら闇雲にでもいいから前へ進もうとする荒馬なのです。「なんでそこまで突き進むことができるのですか?」「そのエネルギーはどこから生まれてくるのですか?」「その前向き(ノーカン)さはどうしたら身につくのですか?」などと言われたら、さらに調子にのって脇のモノが見えなくなるのです。当然、失敗はひと一倍多く、無意味な傷も多い。そんなケースでさえ「骨は一回折れてから太くなるんだ!」などと開き直っているタイプから、さらにタチが悪い。

 すべて一事が万事、逆なのである。この気質、恐らく死ぬまで治らないだろうから、近くに優秀な騎手が必要なのです。「走れ!」とムチを入れれば息絶えるまで疾走する馬なので、轡とムチを握り背に乗っていただく騎手が必要なのです。「そっちじゃないだろ!こっちこっち!!」と方向さえ教えてくれれば目的地までは最速で行けるのだから。

 このタイプ、自分の捉え方だけで何かに挑戦し試行錯誤し探求している場合、うまく事が運べている状態ではそのまま放置しおけばどこまでも走り続けるのですが、ちょっと方向や目的地がズレ始めると止めどがない。ブレーキがないレーシングカーのような、いや、そんな立派なモノではない、ブレーキの壊れたママチャリのようなモノで、勾配に関係なく、とにかくこぎ続ける。登りでも下りでも。石につまずき転倒するまで止まらない。だから、誰かに「逆じゃん!」と言ってもらえることが何よりも嬉しい。

 天高く、馬肥える秋ではあるが、美味しそうな人参が見えたからと言ってすぐに走り出さないこと。でも、逆方向だと気づくということは正しい進路も実感できるわけで、今、現在進んでいる方向が正しいと知るためにも、一回、逆方向に走り出すということも大切なのです。ただ、棒立ち状態にだけはなりたくないのです。

 このタイプ、突き進む疾走力もあるが、撤退する逃げ足も速い。いつも刀と白旗は必需品です。