うそ。

 うそは悪いのか良いのか?

 冴えないデトロイトの主人公がある娼婦に恋をした。男としてのけじめをつけるため、恋した女性のため、男は女性を開放するべく元締めに交渉に行く。相手は折り紙つきの暴挙。しかも、その暴挙には巨大なギャングファミリーがバックに付いている、という設定。結果、ファミリーの重要な商品を間違って持ち帰ってしまい、ハリウッドの親友をたずねるべく旅立つことになる。同じくデトロイトで警官を退職し駐車場の管理をしている父親を訪ね、自分が起こした事件の状況を確認するが、父親は破天荒な息子に手を差し伸べることができないまま、息子が恋した女性と共にハリウッドに旅立つ姿を見送る。

 その後、ファミリーの幹部、名うての乱暴者が父親が暮らすトレーラーハウスに現れる。

 当然、父親は息子の安全を思い、二人が訪ねてきたこと、ハリウッドに向かったことを隠す。しかし、その表情を洞察した幹部は拳銃をちらつかせ、「お前は今、うそをついた。俺は男がうそをつく時のパフォーマンスに熟知している。」と脅す。しかし、意を決して父親はその幹部にある物語を話し始める。ファミリーがシシリアの出身であることを知っている父親は、「シシリアンは黒人とのハーフだ」と言い切る。その侮辱を受けて幹部は怒りを超え、しばらくその父親の話しに耳を傾ける。父親はさらに語り始める。その昔、シシリア島にやってきた黒人が島の女性をレイプしその結果、生まれたのがお前達の子孫だという理論である。つまり、お前らのルーツはボケナスどもであり、お前らには黒人の血が流れているという論理だ。そして、父親は改めて幹部を問い詰める。部下達が狭いトレーラーハウスの中、拳銃を構えている状況でこう言う。「さぁ、俺は今、うそをついたか?見抜いてみろ?このボケナス」と。

 このシーンは「うそ」とは何か?何故?人はうそをつくのか?について真理を語っている。

 当然、幹部は父親に数発の弾丸を撃ち込みその場をあとにするが、父親はうそをつき、息子と恋した女性の安全を自分の命とひきかえに守ったのである。

 さて、うそは悪いのか?良いのか?何が真実で何が虚実なのか?常に正直者でありたいと願うが、状況次第で方便の利も有効だと捉えておくことは、必要なことだと思います。