手首。

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 いやいや、しかし、年齢も50歳を超えるといろいろな部位にガタがきます。腰に老眼に50肩にと連続で畳み掛けるように不具合が押し寄せてきます。腰と首のヘルニアもなんとか克服し、老眼も老眼鏡で対応し、50肩も優秀なインストラクターの方のアドバイスで完全復活した。最近ではようや自宅のトレーニングルームで懸垂もできるようになり一安心していたら、10月になり気温の低下と共にどうも左手の手首がおかしい。普通に仕事をしたり釣りをしたりしている状態では問題ないのですが、ちょっとひねったり無理なねじりを入れると「ピリっと」痛い。手首のストレッチは欠かしていないのですぐに気がついたが、とりたてて何か無理な動作をした記憶はない。腰痛なら仕事中の姿勢が悪いことや、バス釣りで手こぎのボートを5時間漕ぎ続けていることなどが明らかに原因だったし、50肩はボルダリングのトレーニングでホールドに片手でぶら下がったり、片手で懸垂をしていたことが原因でしたので、それをやめれば完治に向かうことができた。しかし、左手首?何故だろう?と考えてみると、どうやら仕事中のキーボードの使い方に無理な状態があることに気がついた。

 ボートや懸垂のような激しくディープな動きではないが毎日仕事中に行っている動作なので、年齢と共に鍛えているはずの部位だが、老化とも相まって無理をしている部位に負担が集中していた。それが私の場合、毎日のパソコンワークの左手の使い方だったようです。

 仕事を迅速に行うために、元々レフティーの私は文字入力以外は左手がキーボード、右手はマウスというポジションで仕事をしている。デザイン制作用の専用ソフト(イラレやフォトショップなど)の場合、特にショートカットやテンキー入力はほぼ左手。マウスはポインターの移動ぐらいにしか使わず、クリックする程度。作業中、マウスを離してしまうよりも、キーボードの操作は左手で行った方が作業効率がいいからなのです。しかし、ショートカットキーの基点である「Ctrlキー」を左手の小指で押しながら、他のキーを押す。また、右側の「Ctrlキー」を左手の親指で押しながら、他のキーを押す。数分の作業なら負荷などないのですが、これを3~4時間連続で行うと、さすがに左手のねじれと負担は大きい。という結論です。当然、作業を加速させたいときはこの不自然な左手の動作が延々と続くわけですから、毎日こんな作業をしていれば少しづつ腱が伸びちゃった!ということなのでしょう。

 で、このサポーターの購入となりました。無理な使い方はいたしかたなしとして、できるだけ、痛い部分を意識しながら、リラックスできる作用もあるようなので、痛みが伴わないポジションと動きで作業の流れを安定させようと思っています。

 どうも、若い頃(なんて言いながら、はるか30年以上も前の話)のイメージ(心意気)が身体に染み付き、ちょっとぐらい無理をしても平気な我が身という過剰な意識があるようで、確実に身体は老化・劣化・鈍化しているのだから、その状態で最高のパフォーマンスを出すのがテクニックというもの。「奥義」とまではいかないが、身体機能が低下していくことをしっかり意識下に置いて、その状態・状況で最大・最高の工夫や対応をしたいと思っています。

 昨日テレビで観た映画で主人公の師匠と呼ばれている方がこんな言葉を言っておられた。

 「春は桜、夏は星、秋は月、冬は雪。それらを見ながら美味しい酒が飲めなければ、心に迷いがあるからなのだ。」と。なるほど、奥義とはそのあたりの感覚からやって来るモノなのですね。

 「誰かを想う慢心より、己の傷心の存在を受け入れろ。」とも言っていた。誰かに何かを伝えたいという心の在り方は、己の意識や存在価値を確立させなければ絵空事で終わるということ。確かに「お前がそれを言うな!」というケース・状況はよくあることです。自身もそうなっている可能性は非常に高く、自身の傷心を麻痺させるために慢心に意識を委ねる傾向、確かにありますね。

 昨晩から読み始めた書籍の冒頭に、自分が吐き捨てたガムが街路樹にあたり跳ね返って進行方向に転がりそれを自身で踏む、という滑稽な男の話が書かれていた。自業自得の仕組みである。「衝動」がいかに良くない結果を自身に引き寄せ、冷静な「心」がいかに自身にとって有効かという仕組み。この手首もそれが露呈した結果なのでしょう。