2015年。

 2015年を振り返るといろいろな出来事がありました。結果、実感としてあるのは「早かった」という感覚で、年齢を重ねるごとにこの速度が加速していく感覚です。仕事上の致命的なトラブルが無かったことが「加速感」に直接連動しているわけで、そういう視点ではとても満足しています。一部、想定通りに成果を上げられなかった案件もありますが、これはすべて私の「力不足」が原因ですし、年頭にたてた目標も実現できなかったことなどを総括すると、自身の努力量や熱意量も不足ぎみ、足りなかったということになります。ここを2016年はなんとか奮起して変化し進化しなければならないと思っています。そんな「力不足」という観点でいくつか今年、特に印象的だったことを最後にブログに綴ろうを思っています。

 「禁煙」

 芸大生の頃から私の喫煙は始まり、51歳になる現在まで唯一禁煙したのは、4年前の健康診断で肺のレントゲン写真に白い影が写っていた時でした。その後、再検査を受けるまでの1ヶ月間、さすがにタバコは断ちました。しかし、その影がろっ骨の石灰化、つまり、老化現状のひとつで骨が石灰化し、ちょうど肺の裏側のろっ骨の部分が石灰化していたために、レントゲンで白い影になっていたということなのでした。その診断を担当医から頂き、私の短い禁煙が終わりました。しかし、本年、友人と伊吹山に登った時、毎晩マラソンのためにトレーニングをしている友人(同年)が私の「ぜいぜい感(悲壮感)」を見て、「禁煙したらもっと楽に登れるよ」と誠実なアドバイスをくれました。山登りを楽しむため、一年に一回の富士山登山を楽しく達成するために、あと2ヶ月間、禁煙しようとその言葉で決意しました。これまで「禁煙意識」が皆無だった私でしたが、友人の言葉に対して即決でした。

 結果、いわゆる禁煙の禁断症状もなく、その時のタバコの箱はそのまま富士山に持っていき、五合目まで下山した段階で迷わず一服しました。禁煙期間中、いろいろ調べてみると3日間喫煙しなければ、正常な身体ならば100%ニコチンは抜け、禁煙を1週間続ければニコチンによる気管や肺胞の充血は正常値に戻るらしく、確かに禁煙してイライラするのかと思いきや、逆にイライラしなくなった実感があり、たまには禁煙もいいのかなとさえ実感したほどでした。結論、私は禁煙するつもりはないのですが、定期的に2~3ヶ月の禁煙も気分転換にいいかなという新しい発見がありました。若くないのだから健康には繊細にならなければなりませんが、断固として禁煙するつもりもありませんし、健康だから喫煙できるわけで、ひと箱¥1,000ぐらいになるまで喫煙は続くと思っています。そんな意外で貴重な禁煙経験でした。

 「100m」

 私の高校生の時のベストは11.4なのですが、ふと、51歳という年齢になり、何か身近なスポーツでタイムを計測でき、世間一般の平均的タイムと比較してみたいという気持ちになりました。マラソンブームには興味がありませんし、気軽にどこでもでき、タイムを計測できる競技となれば、「100m走」しか思い浮かばず、1週間ほど夜に走り、そのまま近くの競技場で陸上部の娘にタイムを計測してもらいました。カミさんは「その年齢で100m走れるだけで十分だ」などと暖かい言葉をかけてくれましたが、結果、17秒を切ることができませんでした。そこから、自分なりに練習を開始しました。そして、世の中の50歳はどれぐらいのタイムで走るかという興味が湧きました。ある陸上トレーナーのブログを読むと、15秒台で普通(この普通も経験者の中でという意味)で、14秒台なら早い方でしょう。とのことでした。ならば、なんとか14秒台でと今日まで頑張ってきました。で、この正月休みは、その成果を再度、競技場で計測しようと思っています。実際、その後、何回かコースで練習してきたのですが、タイムは計測していません。感覚として足が上がらないことは当然なのですが、それよりも、愕然としたことは、両腕を早く振れないという実感でした。こんなに自分の腕が重いとはショックだったのです。その実感から毎日、仕事の合間に100回全力で両手を振る練習を数回づつしています。身体も絞れて(62kg)きたし、仕事でちょっと駆け足をする時も身体は以前より格段に軽くなっています。14秒台が出せそうな予感があると共に、「100mを走ろう」と思い立ち、これまで毎日やってきたことが多面的に健康にいい影響・作業を及ぼしているという実感があります。来年こそは目標タイム(14秒)をさらに短くして、公式な記録会に参戦したいと思っています。

 「ゴルフ」

 今年(12月)、カミさんと初めて本コースに行った。勿論、行っただけでなくいっしょにラウンドをしました。あまり、スポーツに積極的ではなく、どちらかと言えばネガティブなタイプだけに、かなり強引に誘って、まず、道具を揃えてから練習開始となったのが今年の10月頃です。勿論、全くの0(ゼロ)スタートだったので、クラブの種類・特徴の知識からゴルフコースの説明やマナー、競技上のルール・モラルまで、とりあえず基本の基本からのスタートでした。私は27歳で本コースを経験して25年ほどゴルフをやっています。しかし、「やっています」などと言いながらも一番多かった年で年間4回のラウンドが最高。勿論、腰痛などもあり1回もラウンドしなかった年もある程度の一般ゴルフ人です。スクールにも行った経験もなければ、誰か専門のコーチに短期間でも指導をされた経験もありません。我流で雑誌や書籍、そして、ゴルフ仲間との情報交換レベルで習得した程度。その程度で0(ゼロ)スタートのカミさんに何が教えられるか?と誘ったもののと心配していましたが、そこは改めて何をどのような手順で説明し実践練習に展開していくかを、自分なりの「教え方」を設計してひとつひとつ丁寧に説明していきました。

 この「丁寧さ」というのが、私は苦手中の苦手。合わせて「慎重」「沈着冷静」「大らかさ」とは無縁の気質なので、この気質では絶対にカミさんにゴルフの基本を伝えることができないだろうと、いつもの気質や気性を限りなく低いレベルに抑え、衝動を抑制する努力に取り組みながら、いっしょに練習しショートコースに行き丁寧にレクチャーし本番を迎えました。スコアについては本人の人格を尊重してここでは披露しませんが、結果、本人から「楽しかった」という言葉があり、「次のラウンドまでのドライバーを練習する!」などと前向きの言葉も聞けて、人に何かの基本を教えて実践させるということの難しさと達成感を堪能・満喫しました。とてもこんな事ではありますが、刺激的な経験でした。

 「熱意」

 そもそも、熱意はどこから生まれるのだろうか?という疑問がひらめきました。「熱意」と言っても、「良い熱意」と「悪い熱意」があり、方向性が間違っていたり、誠実・実直さが濁り淀めば、「熱意」は暴走して有益な成果は生まれない。そんなことがひらいめいたのは恐らく「松岡修造さん」の存在をテレビで見て感じたのです。しかも、その書籍は飛ぶように売れている。あの気性、あのポテンシャル、あの個性。今、時代が求めている、国民が求めているのはこのタイプなんだという気持ちが、「正しい熱意」について考えてみる機会になったのだと思います。

 さて、そこでまずは自己分析です。私本人は熱いのか?という捉え方(基準の確認、大前提の確認です。)です。仮に比較的熱いとしてその熱さのタイプは「順回転なのか?」「上昇傾向なのか?」「生産的なのか?」、いや、「めんどくさいのか?」「ウザイのか?」「無粋なのか?」という自己分析です。この解答を求めている人は、この世の中に意外と多くように感じます。いわゆるコンサルタント業の人達は有料でそれらしき解答を売っているわけて生計をたてている。言葉や数値や理論や現実の中から明確な事実だけを精査すれば、それだけで正解にたどり着けると私は考えていないので、当然、コンサルタントも臨床心理医の表面的な言葉は信じません。親しい友人や近しい人でさえ、そこに切り込んでくださるなかなかいません。ただ、あのテレビで見る修造松岡のテンションの裏にある何かを、なんらかの手法で習得できればなどと感じたのです。実際にそれは不可能だとしても、何か自分の手が届くゾーンの中の思考力と行動力で「誠実で順回転の熱意」の生み出し方を体得・習得したいと思って、それから試行錯誤を繰り返しています。そこで、現在、有効だと考えているひとつのアプローチが「熱意を生み出せる人」=「健康な身体機能のある人」という関係性・仕組みです。つまり、酸素であれ、食事(栄養素)であれ、アドバイス(言葉)であれ、ツールであれ、機会であれ、理論・理屈であれ、「健康な身体(心・精神)」がなければ、正しいエネルギーに変換はできないということです。健全で適正な仕組みがあり、原料さえあれば、熱意が行動を生み、「機会→着想→情報収集→設計→創造→完成→評価」の手順やノウハウとなる。このことが意識してさえいれば、正しい「思考」にたどり着けるという結論(仮設)に達しています。そして、最も重要なポイントはその「思考」こそが次の「行動」に円滑に切り替えることができる唯一の入口だと捉えています。この捉え方をさらに2016年はしっかりまとめ、自分なりの結論にたどり着き完成させたいと考えています。そこにこそ「いい仕事」を展開するための正しい熱意が生まれるゾーンがあると捉えています。

 「老化」

 今朝、紅白歌合戦の紅組と白組のエントリーを確認した。「ああ、聞きたいな」と思えるアーティストが「SUPERFLY」さんしかいなかった。勿論、他の歌手も名前だけは知っているし、若い歌手やグループの人達も知っているが、好きなアーティストは唯一「SUPERFLY」さんだけだった。これはもしや「老化」なのかと?世の中の大き流れからずれ始めているのだろうか?と感じた。

 今年、久しぶりに大阪城ホールでライブを楽しんだ。アーティストは「ONE OK ROCK」さんである。当然、若い世代が中心でこれが正に「今、日本一のライブ」だという実感を感じてきたわけです。しかし、人間、老化が始まると、いつも何かとの比較しかしなくなる。また、「こうあるべき」や「昔はこうだった」の連発が始まり、自分の気持ちが不在のまま、自由気ままな雄弁放浪記が始まる。理論や理屈に依存して、美しい言葉の方程式に酩酊してします。私はそんな人よりも、無粋で歪でも、感覚的で直感的な生命力のある言葉が好きです。まして、今、現実を一刀両断する刀も持っていない人にビジネスであれ人生であれ、良縁・好機が巡るはずがない。身体機能は老化・退化していく運命だとしても、人間の中身は常に変化・進化させていきたいです。何歳になっても映画「チャッピー」を見て、涙を流せる人間でありたい。まぁ、だから、「紅白歌合戦」はどうでもいいか。

 と、いろいろいつもの感じで自由に書き出してみましたが、2016年もこんな感じでこのブログ(備忘録)を綴っていきたいと思っています。さぁ、カウントダウンまで「ダウンタウン」を観よう。