魚釣り談義。

 昨晩、酒の席である方と「魚釣り談義」になった。

 その人の見解は、魚釣りとは自然の中でひとり、竿を出し、魚が釣れても釣れなくとも、水面を観ている時間や自然の音に耳を傾けることが一番大切であるという捉え方でした。仕事のストレスから心を解放させることが目的であるべきだから、魚釣りは気持ちをオフモードにして釣果など気にせず、ゆったりと対峙するべきだと。確かにその見解に共感できる部分は多い。しかし、私の魚釣りはそのスタイルの対極にあり、仲間達や知らない人達と同じフィールドで魚のサイズや数を競うことが楽しいと捉えていて、ゆったりまったりもいいが、あまり楽しいとは感じないという結論だった。趣味に対する考え方の相違だと言えばそれまでだが、僕の気質は今のところ、ゆったりまったりに心が高ぶらないのです。魚釣りひとつでもこのような違いが生じるのだから気質の違いは興味深い。

 この観点で一番気になるポイントは「仕事のストレス」です。私は別に仕事のストレスを解消したいから魚釣りをしているわけではなく、ビジネス書によく登場する「ストレス」の定義についてもあまり共感できない。手順が違うというか人間関係や仕事上のノルマなどを「負荷」と捉えてはいないのです。だから、魚釣りでストレスを解消するという手順・発想になりにくいのだと実感しました。ここの部分、冷静に自問しても「たてまえ」ではなく本質の部分なのです。

 確かに仕事上のトラブルや想定外のハプニング、自分の力不足ゆえの未熟ゆえの焦燥感や後悔は常につきまといますが、それは正確には「ストレス」ではなく、ただの問題点なのです。「いや、まったりのんびりした魚釣りもいいけど、釣り仲間同士の真剣勝負も楽しいですよ。」という心理の裏には「ストレス解消」に対する捉え方の違いがあり、酒の席でそこまで紐解き言及する必要もなく、曖昧にやり過ごしたが、その談義でより自分の気質が実感できました。楽しい「魚釣り談義」でした。

 今年は年頭から仕事に追われて、まだフィールドに行けていないのでイライラは蓄積していますが、さてこのイライラは「ストレス」なのかな?