1万時間の法則。

 アメリカの研究で人が何かのスキルを志し、その熟練度との関係をデータ化し計測したところ、何かに没頭する時間が1万時間以上の人は、そのスキルに一定レベル以上の熟練度がみられたそうである。

 私の場合、幼稚園に入る前からチラシの裏に絵を描いていた。たわいもない落書きレベルの絵ではあるが、時間があれば鉛筆かマジックで描いていた。そのまま学校でも勉強の合間、図工の時間は勿論、マンガに出会ったあたりからその頻度は加速する。一番勉強をした中学3年生の頃でさえ、勉強の合間でも、気分転換にデッサン風の鉛筆画やマンガの主人公を模写していた。芸大に入学するとさらにその頻度は多くなり、一日の中で絵を描く時間は格段に増える。社会人になりデザインの仕事を始めた頃でも、グラフィックデザインの仕事をしながら、イラストレーターの仕事も合わせて展開していたので、ラフスケッチから着色までを絵を描く時間と想定すると、かなりの時間、私の人生では絵を描いてきたことになる。

 仮に50年間、1日平均1時間の絵を描いていたとしても18,250時間となり「1万時間の法則」にあてはまる。芸大生の頃やイラストレーションの仕事を長年展開してきたため、1日10時間以上、絵を描いていた日も相当あるので、恐らく推測ではあるが、5万時間以上は絵を描いていた計算になる。

 ただ、「熟練度」という捉え方で「絵」「イラスト」を捉えた場合、「上手い絵」が必ずしも有益な成果とは限らない。絵の評価は個人の主観に依存するため、絵を描くテクニックは熟練度が高いが、その絵に価値があるという直接的な比較が難しい。

 さて、「好きこそモノの上手なれ」という言葉があるが、私にとって絵は「好き」であり、全体平均から比べると「上手い」レベルとなるだろうが、だから仕事が増えるとか、だから生活が豊かになるとか、人生が充実したとかという成果に直結しているとは考えにくい。

 もし、私が医学の道を志し、多くに患者さんの治療や命を救ってきたのなら、専門的な知識や技術は有益で崇高だと捉えることができるが、「絵が上手い」ことが世間一般に価値があったとは捉えにくい。なのに、何故?絵を描いてきたのだろう?と、ずっと考えてきた。描くことがただ「好き」だから、描いてきただけなのか?実はその想いの下層に大きな意義や価値があるのだろうか?と。

 意義も価値もなければ、私は人生の相当な時間を無駄に過ごしてきたことになる。この疑問、文章にして書き出しても、言葉にして誰かに相談し助言を求めても、多くの書籍に解決の糸口を求めて探求・追求しても、明確な答はない。なかった。

 現在の結論として、やはり、「絵」に対する疑問の答は「絵」の中にあるような気がしている。