表情を描く。

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 芸大の頃、たくさんの魅力的な人に出会った。美術学部だったので、当然、自分の絵に対してプライドを持っている人が多かった。たかだか18歳では技術や知識は充分ではないが、とにかくプライドのある人が多かった。ある男が講義中に私がノートに描いていた絵を見てこんな言葉をくれた。

 「表情を描くのが上手いな」と。

 大した経験もない、ただ、好きな絵だけを描いてきただけなのに、リスペクトしている男からのこの言葉は胸に染み込み、心の中に響いた。その時から、私は「人間の表情?」について改めて考えるようになった。

 と同時に、この大学を選んだことに無類の喜びを感じていた。

 さて、人間の表情を描くというテクニック。自然や生物やオブストラクトのようなスタイルや奥義がない。昨今、「生き生きした主人公を描くテクニック」などという類のマンガテクニックの指南書を見かけたりするが、人間の喜怒哀楽は千差万別であり、怖い顔をしていても心情は悲哀であったり、爆笑していても怒り心頭という状況もある。表情を描くということは、表面的なテクニックではなく、モチーフと誠実に向き合い、ダイレクトに同期しなければならない。

 リスペクトしていた男の描く絵はとにかく「存在感のある上手さ」があった。しっかり油絵と向き合い、多くの時間を費やしてきたことが一目瞭然で、よく、彼が描く後ろにタチ、眺めていた。私など、芸大に入学して油絵セットを初めて購入し、ピカピカの道具で油絵の実習にのぞんでいるレベル。一方、彼の道具箱には見たこともないような種類の絵の具やオイルが無造作に入っていて、パレットなど、油絵の具が何層にも重なり硬化し、不思議な一枚の絵のようだった。彼から見れば私など、ヒヨコにもなれない卵ちゃんだったころだろう。

 しかし、そんな彼からの改めての言葉だったため、ただただ、嬉しかった。

 改めて「表情を描く」とは?

 「あなたも絵画を始めよう!」「あなたもイラストを!」「あなたもマンガを!」という類のテクニック本には一様、スタイルや形式が手順として掲載されいる。画面を十字に四分割してアウトラインを引き、モチーフを中心に置いて、水平垂直に注意しながらという一連のパターンである。一般的な美術品と呼ばれている絵画の登場人物にはあまり実は表情がない。かのモナリザだって、「微笑み」というタイトルを知らなければ、微笑んでいるように私は見えなかったし、ゴッホの自画像(包帯を巻いた作品)だって、苦悩しているようには見えない。絵画の中にある心情とは、実は鑑賞者の心の中にあるモノだから、見る人のコンディションで変化するのだ。本当の心情など作者しか分からないし、作者とて、絵筆を持ちながら、どういう心情だったかを整理して、「ああ、この喜びの心情をこのタッチで、この配色で!」などとは描いてなかったはずである。

 つまり、「表情を描く」ためにはセオリーやスタイルがないのである。あるのはただ、モチーフと同期させて、手を動かすのみ。モチーフがなければ、自分の心情と手を同期させるだけなのである。これが自然体であり、「笑った表情を描くぞ!」と、目の大きさや口のサイズや角度を考えても、それは、生きた表情にはならない。「ぎこちない笑顔」になるだけだ。技術的に上手い下手だけが絵の評価基準ではないのは当然のこととしても、私が描いたノートの落描きを見て、彼にそれが伝わったということが、本来の絵の価値(役割り)なのだと思います。

 30年以上前のことなのに、そして、すでに彼は他界しているのに、絵をイラストを描くたびに、必ず彼の言葉が「始まりの半鐘」のように心に響く。