2016年04月 アーカイブ

リスベット・サランデル

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 昨晩、「ミレニアム4」上下巻の上巻を読み終えた。物語の内容についてお話することはしませんが、正直な感想は「リスベットのキャラが少し違う」という感覚です。上巻のあとがきには、ミレニアム4の企画が発生した段階からの経緯がありましたが、ラーソンの死後、ミレニアム4と5の下書きがパソコンの中から発見されたが、それを完成させることは難しいと判断し、新たな作家を厳選し、ミレニアム1・2・3を熟読した上で、彼が新しいミレニアム4を再構築したと書いてあった。そして、この企画は今後5・6へと展開が予定されているとのことです。

 映画では、ノルーウェー版1・2・3とハリウッド版の1「ドラゴンタトゥー~」があるわけですが、すでに映画「ミレニアム4」企画がこの原作を元に進行中のこと。2と3の映画企画もまだ生きているということも追記してあった。当然、ハリウッド版の2・3も観たいが、さて、映画「ミレニアム4」はどんな作品になるのでしょう?などと期待が膨らみます。

 さて、ミレニアム4のリスベットへの違和感は具体的にどのような部分なのか?

 ここでも本編に触れることはできないので、詳細は書きませんが、「ラーソンだったらこのテーマを選ぶのだろうか?」という疑問と連動するリスベットへの違和感です。キーワードは「特異点」。

 「特異点」については、私は数学や物理や天文学の専門家ではないので、あくまでも「かじりレベル」ですが、2050年のシンギュラリティのことが頭に浮かびました。非常に大きなテーマです。世界重のあらゆる起業家や研究者がそれぞれにこのテーマに取り組んでいることは、新聞や書籍で私のような立場の人間にも理解・掌握できます。それが具体的に日常生活や自分の仕事にどう作用するのか?などは途方もなく崇高で想像の域を超えることはできません。しかし、それは必ず実現されるだろうという予測はできます。2050年ということは私は85歳ですから、もうどうでもいいジャンルのお話になっている可能性が高い。でも、この動向が加速し世の中がそうなれば、それは良いことなのか悪ことなのか?と想像力が高揚するのです。

 話は少し逸れますが、宮崎監督が「ナウシカ」の連載を完結されたのが1994年。当時53歳でした。テレビのインタビューなどで宮崎監督が「ナウシカ」の原作を制作されたのが40代の頃だったと知り、その頃の世界を宮崎監督はそんな風に捉え、未来を想像し、非常に大きなテーマを掲げ、「ナウシカ」を完成されました。ラーソンも他界された時は50歳でした。ということは、人は50歳を超えたあたりから、想像力のスイッチが覚醒するだろうか?という感想です。

 勿論、50歳になったから誰でも自然に入るスイッチではなく、20代から40代まで然るべき思考と行動に精進・邁進した末に獲得できるスイッチですから、それまで人生をサボっていては自分の中のスイッチすら持ち得ることはできない。人生を仕事を生活をしっかり積み重ねてきた人だけに与えられるスイッチなのだと思います。

 実はミレニアムを書店で発見した時はあまり興味がありませんでした。他にも読みたい書籍がたくさんあったので、気にはなっていましたが、購入には至りませんでした。結果、1・2・3の上下巻計6冊を買ったのは映画「ドラゴン~」を観てからですから、後手になっています。

 ひとりのつくり手が生み出したキャラクターに心を奪われることは、他の小説や映画でもありましたが、その中でもリスベットは特別席に鎮座しています。自分の中で勝手に映画や小説を観て創造した「リスベット」と、新しく再構築された物語に登場している「リスベット」。当然、書き手が違うのだから仕方ないと言えばはそれまでですが、この違和感の意味が下巻で完全に払拭されることを、今は期待しています。

仕事場の整理。

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 いつもやろうやろうと思っていて先送りになる仕事場の整理(気まぐれですが一年に3回ほど)。今朝は午前6時に目が覚めたので、仕事を始める前に本格的に整理と掃除をしました。これで整理後ですから、普段の雑然さが想像できます。3時間、資料らしき印刷物やなんの目的で残しておいていたのか分からないモノを捨て、この状態になりました。仕事ではデスクトップ3台、ノート1台、タブレット1台を使うのですが、この写真の裏面に一台新しいイラスト制作用デスク(板面の角度調整付)を購入したので、そのためのスペースづくりが今日の整理の目的でした。

 新しいデスクを買うのは新しいパソコンを買うよりも心機一転度合いが高く、到着がとても楽しみです。

 これまで仕事用のイラストは事務机で描いていたのですが、視界に書類や資料があると集中できないことが多かった。それにイラストを描きだすと3時間ぐらい集中して描くので、板面が水平だと少し描きにくい。さらに、今の事務机は高さも中途半端なので、けっこう疲れる。目的に合わせて机も変えてみよう!と、昨晩、ひらめいたのです。

PVがつくれそう。

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 とある巨大な倉庫です。映画のワンシーンに登場しそうな雰囲気のある空間です。どこかのドアからひょこっとチャッピーが出てきそう。

陸上記録会の運営。

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 陸上記録会に行くと運営・進行に携わっておられる人の多さに驚きます。球技の大会なども多くのスタッフの方がおられるのですが、陸上は競技種目が多く、それぞれのタイムや距離の計測などは慎重に円滑に対応しなければなりません。選手ひとりひとりのタイムや距離を計測するためには、よほどの慎重さと丁寧さ、そして、円滑な運営を行うノウハウが必要なのだと思います。このようなプロフェッショナルな皆様に支えながら、選手達は常に自己ベストを出すために真剣勝負をしている。それが陸上記録会なのです。

 私自身、短距離をやっていたとはいえ、学校のグランドでの大会経験のみです。こんな本格的なトラックで走りたかったなどと、ちょっと、かなり羨ましさ満載で観戦していました。球技のフィールドにも、武道の道場にも、独特の緊張感が漂っていますが、陸上競技場のこの緊張感が私は一番好きです。

ペンと水彩。

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 こちらはGペンでタッチを描いてから、水彩(耐水性)の黒インクで着色した習作です。鉛筆(4B)である程度のフォルムを決めてからペンで描き込む手順です。

 ペンでアウトラインを描画してから、水彩(筆)でしっかりタッチと立体感を出す方法もありますが、この習作の場合は水彩で面を描いています。ほぼ1時間の作業なので、あと1時間ほどかければ立体感は増しますが、これはイメージラフとして描いているので、これで仕上がりです。

 頭の中のイメージだけでは曖昧な部分が多く、期待値(完成形)とテクニックがずれる場合あるので、その部分の確認用です。

無免許。

 例えば、無免許で自動車の運転をすれば法律に反します。医師も弁護士も様々な国家資格も無免許では仕事ができません。家を設計し建築するのも同様です。しかし、デザイナーは無免許でも仕事ができます。免許の更新や許可書を提出しなくても仕事が成立します。長年、デザインの仕事をしてきてよく考えることです。「無免許だから良かった」と捉えるか、「無免許だから誰でもやろうと決意すればできる、つまり、すべてのデザインを志した人が競合相手となる。」と捉えるかの違いこそあれ、とにかく、デザインの仕事を始めるにあたり免許や認定資格は必要ないのです。

 以前、彦根のパソコンスクールで、デザインの仕事をするためになくてはならないアドビのイラストレーターとフォトショップというソフトウエアの活用術を教えていた時、若い男性の方から「デザインの仕事って、特に免許とか認定資格は必要ないですよね?」という質問を受けた。ソフトウエアの使い方を教えていたわけだから、テクニックを習得して知識を得ても、さらに免許が必要だったどうしよう?と思っておられたそうです。私も長年デザインの仕事をしていて、まったく意識がなかったので、その時、改めて「デザインの仕事をする上で免許や許可、認定資格は必要ないんだ。」と痛感しました。

 さて、免許があることは有利なのか不利なのか?それとも、どうでもいいことなのか?恐らく、どうでもいい免許など存在しませんから、免許があれば有利なはずです。では、何に対して有利なのか?免許を取得しているということは、一般的に安心してその仕事を依頼できることの証でもあり、無免許なのに、テクニックや知識があっても、一般的には信頼されにくいのです。無免許の医師がいて、テクニックも知識もあり、人柄も良い、現場の経験も豊富だけど、やはり、免許のある医師に看てもらいます。それは、保険のような作用・効果かもしれませんし、免許を持っていることが通念として信頼の証だからです。

 では、もし、デザインの仕事をするために、「グラフィックデザイン一級国家資格」なるものがあり、専門の学校で専門の勉強をし、インターンで経験を3年ほど積み、その後に試験を受ける。ということが義務づけられていたとしたら、自分自身はこの免許を取得するために猛勉強をしたのか?という自問があります。恐らく、そんなプロセスが必要だったとしたら、私はデザインの仕事をしていない、デザインの仕事を選択しなかっただろうと思うのです。勉強が嫌いという大前提(勝手な理由)がベースにあるのですが、そもそもデザインのテクニックや知識、そして、経験値をひとつのフォーマットに整理して、テスト化することができなかったため、デザインの仕事には免許や国家認定が存在しないかななどと仮説を立ててみたりします。つまり、それほどデザインの仕事は「多種多様」であり「複雑怪奇」な仕事だからなのかと。誰でもできるが誰でもできない仕事なのかなと思うのです。改めて。

 例えば、良くあるケースは「デザインが好きだからデザインの仕事をする」という発想・連想です。子どもの頃、医師に両親の命を救ってもらったから医学に感謝し憧れ、自分も誰かの命を救いたいと医師を目指す人。プロスポーツ選手が大会の優勝コメントで「お世話になった恩師やトレーナーの皆様に、そして、何より苦しい時支えてくれた妻にこの勝利を捧げます」というスピーチを見て、感動して、僕も私もとプロスポーツの世界に挑戦したいと考える人。目標設定するケースや条件は様々ですが、何を省みても「好きだから」という理由ほど強いモチベーションは存在しませんから、このパターンはとても自然で理にかなっています。同様に、「デザインが好きだ」というモチベーションは、優れた医師との出会いや魅力的なプロスポーツ選手との出会いと比較しても容易ですから、医師よりもプロスポーツよりもデザインの仕事をやりたいという人は多いはず。しかし、入口はとてつもなく広く、免許も認定資格もないデザインの仕事の世界ですから、出入り自由、フリーパス状態なのですが、10年間、デザインの仕事を続けるということは、とてつもなく大変なのだそうです。

 デザインの専門学校を卒業し、デザイン事務所に就職し、独立したがデザインの仕事は辞め、転職したというケースです。この境界線・分岐点がどうも30歳あたりに1回目、40歳あたりに2回目があるのだそうです。このケースがとてつもなく多いそうです。冗談半分で学生の頃、「デザインの仕事をしたければ、自分勝手に「デザイナー」という肩書きの名刺さえ印刷すればデザインの仕事はできるぜ!」という捉え方でした。このゆるい言葉を鵜呑みにしたことが私のデザインの仕事への出発点だったかもしれませんが、なんとか22歳で始めたデザインの仕事を、51歳まで続けることができ、お陰様で明日、52歳になり、もう少しデザインの仕事は継続できそうです。

 無免許で始めたデザインの仕事ですから、まったく保証もありませんでしたし、国からも県からも守られている仕事ではありません。今後も、恐らく、ひとりでつくり続けるだけなのです。どこかのタイミングで免許資格試験を受けるようなピリピリしたポイントもなかったですし、ここまで習得すればあとは安泰という気分になれた日も一日もありませんでした。それなりの覚悟があったのかと自問しても、明確に国家認定証を公布されたような経緯もありません。ただ、ありのままに、デザインの仕事を選び、一日も安泰・安息することなく挑戦し探求してきただけ。恐らく、今後も同じなのでしょう。

 正真正銘の名実共に「無免許運転」ですが、52歳になっても、22歳の頃と同じ気持ちで、自分のデザインを追求し、お客様ひとりひとりにとって、頼りになる「つくり手」でありたいと思います。

 52歳の自分への決意表明でした。

ラプトルの勇気。

 ついに、満を時して「ジュラシック・パーク4枚組DVD」を購入した。

 いつか、必ず、当然と、目論んでいたが、昨日がようやくそのタイミングだったのです。

 なぜ、こんなに、第1作「ジュラシック・パーク」公開から、第4作「ジュラシック・ワールド」までDVDを買わなかったのか?その理由とは、ただ、タイミングを逸していただけなのですが、かれこれクライトンの原作を読んでから、映画化が決定したあたりまで話が遡るので、自分としては「満を時して」という感覚でした。

 1、2、3と続き、そろそろかなと思っていたが決意できず、保留してたら、「ジュラシック・ワールド」の映画制作となり、今日に至るという流れでした。

 「恐竜」に興味のない、6500万年前に興味のない人に言わせれば、アマゾンのDVD評価コメントを読むと、「単純で展開が読める上、物語の展開に都合のいい安易で軽率なトラブルが起こり過ぎる」とか、「DNAの操作で現実的にそこまで可能なはずがない。SFと言うよりもファンタジーでつまらない」とか、「ワンパターン化による映画の完成度が回を重ねる毎に劣化している」などの意見があった。私のように映画に「恐竜」さえ登場していれば満足するタイプなら、あまり気にならないことが気になる人もいるのです。

 昨晩も早速、DNDで5回目の「ジュラシック・ワールド」を観たが、1回目より満足度(爽快感)が増している。こんな作品は最近、稀である。今晩も観るかもしれない。

 あの、ラプトル君の勇気は、他のモチーフでは描けないのです。決して。

習作。

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 これは習作です。ツールはGペンなのですが、インクは最近初めって買ったマンガ描写用の黒インクです。耐水性でとてもなめらか。この用紙は普通の画用紙なので少しタッチが出てしまいますが、正確にGペンの抑揚を効果として出すには、やはり、専用の表面が滑らかで腰のある用紙が適正だと思います。

 この習作は2Bの鉛筆でアウトラインを描いてから、直接、Gペンで描写している手順ですから、描き込みとしては習作レベルです。さらに、完成度を上げるためには、一筋のラインでフォルムを描ききらなければ「潔さ」は出せません。こればかりはいくら高めの完成度を想定していても、手の動きにかなり依存しますので、このような習作を描き、リハビリを繰り返して手の感覚を上げていかなければなりません。

 美しいペンのタッチは手でしか生み出せない秀逸な世界です。頭で考えてペンの筆圧を抑制している段階では、絶対に生きたラインは出せません。デッサンやデフォルメの加減もまだまだぎこちないので、繰り返し描き続けて頭の中のイメージと手をしっかり連動させたいと思っています。

 こうしてある程度、作品として描き切ると、その実感が得られます。つまり、だから、習作なのです。

 自分自身の絵への期待値をなかなか紙面に再現することは難しい、ある意味、偶然の産物であったりしますので、できる限り良いコンディションづくりを整えていき、それを維持させることが大切です。

ラフスケッチ。

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 仕事では構想したり設計したり、また、気分転換にラフスケッチを描きます。それは仕事用であったり、ラフワーク用であったりします。仕事場でも描くし、お客様のところで打ち合わせ中に言葉では具体的なデザインがイメージできないケースや、完成イメージをお客様と共有するケースでサラっと描くケースもあります。ラフスケッチですからラフに描くのですが、これがとても有効なのです。まだ、この書籍は本日到着したので、まだ、サラっとしか確認していませんが、恐らく80名のクリエイターの皆様が仕事現場で描いたラフスケッチを完成デザインと合わせて紹介しておられるのだと思います。

 アイディアって頭の中にあるだけでは無効です。言葉にしてもほぼ無効です。カタチにして具体的に見せられる状態にして、はじめて「アイディア」であると言えるので、ラフスケッチはとても重要なプロセスなのです。これ結構、良い買い物だっと思っています。なかなかこのようなトッププロのプロセスを見る機会は少ないですし、完成度の高いクリエイティブの出発点を情報としてインプットできるのはとても良い機会だと思います。

 白い紙、ラフスケッチやミスコピーの裏などを手元に置いたが、頭が真っ白な状態って結構辛い状況です。そんな状態で白い紙を見つめていると、頭の中が転写されているようでさらに不安が募ります。頭が動いていない状態って手も動かないのものです。逆に手を動かせば頭も動き出すという効果もありますから、構想するぞと決めたら、まず、なんでもいいので白い紙に向かって手を動かす。これがモノづくりの基本的なルーティーンなのです。

恐竜みたい。

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 これも1週間ほど前にホームセンターで買ってきた植物。乱雑に空の植木鉢に差し込まれていた。あまり見かけたことがない葉の柄だったので6枚(3セット)買ってきました。苗(葉)は2対になっていて、この下の部分(土の中)には2~3本の根らしきモノがチョロリと出ていた。植木鉢には「苗を土に埋めてから7~10日間は水をやらないでください」と育て方のポイントメモが書いてあったので、明日、初めて水をやろうと思っています。土はカラカラですが、特に萎れることもなく元気です。この恐竜の身体のような柄、とても気に入っています。

伸びる伸びる。

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 2週間程前、地元のホームセンターで発見し買ってきた時は、緑の丸坊主君イメージでした。私も丸坊主なのでどこか親しみがわき、愛着を覚え買いました。毎日、水をやっているとこのようにどんどん太陽に向かって伸びてきました。グリーンがとても美しい植物。しかし、名前は知らない。

 このまま伸びれば、この細い葉がただ伸びていくだけなのだろうか?それともどこかの段階で、葉が広がり、もしかして小さい花をつけるのだろうか?ネットでも名前が分からないから調べていません。とにかく瑞々しく元気なので、毎日、見ていて愛着がわきます。

 私の毛根もこれぐら元気だといいのですが。

生物はなぜ?

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あらゆる危機が、あらゆる勝利が、

様々な遺伝子を足したり引いたりすることで

ゲノムを変化させてきた。

まるで鉄の塊が鍛えられるように、

私たちはみな壊滅的な大厄災によって灼かれ、

時間によって冷やされてきたのである。

(本文「はじめに」より抜粋)

恐らく、ここ最近で最もブレイブワンな一冊でしょう。
楽しみです。

2日前より「ミレニアム4」を読み始めてしまったので、
しばらく、この厚さを手にとり本文を充分に推測してから、
一気に読みたいと思っています。

東京五輪新エンブレム。

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 いろいろと物議を醸し出した遺恨の残る「東京五輪エンブレム」。結果、すべてがリセットされて、現在はこの4案に絞り込まれているらしい。さて、この4案、いかなものか?

 「一般公募」とのことで公平性をアピールしているようですが、この4案のエンブレム、いずれも非常に「迷い」を感じる。印象として完成度うんぬんよりも、社会情勢の影響からなのか、日本人という気質が作用しているからなのか、「迷い」が第一印象としてあり、なかなか心から素直に受け入れにくい。これは私がデザインの仕事をしている人間だからなのか、ただ単に否定的なアプローチが癖だからなのかは分かりませんが、しっくりくる要素があまり感じられない。

 例のリセットされた疑惑付きのエンブレム案と比較した場合、明らかに何かが足りない。酷似していたことや、盗作の疑いなど、ボツになった経緯があるからか素直な気持ちで、新しい4案に対峙できないだけかもしれません。その感覚を言葉にすると「っぽくない」。

 唯一、総合点数が飛び抜けて高いのは「A案」です。あとは有象無象に近い。できることなら、「A案」に決まってほしいと考えています。

 恐らく、多くのつくり手が「東京五輪2020」に期待を寄せ、あらんかぎり英知と感覚で生み出したエンブレムデザインなのだろうけれど、デザインに必要なことは理論や理屈や根拠ではなく「っぽい」こと、「らしい」ことが大切。人工知能は最近凄まじい進化を遂げ、猫の顔を判断するようになったらしいが、つくり手は自らの経験と世の中の膨大なビックデータから適正なテーマを組み合わせた後、必ず、つくり手本人の「らしい」部分、つまり、最後の魔法の一滴を落とさなければならない。完成度やデザインの歴史がどうだったからではなく、今、作った本人の中の何かが転移・憑依し初めてデザインは息吹くと私は思います。人工頭脳が「これ猫だ!」という認識レベルと同じであってはならない。

 その視点で、その捉え方でこの4案の中から1点を選ぶとしたら、圧倒的に「A案」です。

 さて、どれに決まるのでしょう?

45ポイント頂きました。

 あの有名!?な知る人ぞ知る!?、「7パームス勝手にランキング」が公開されました。

 私は第6位で45ポイントを頂きました。

→「7パームス勝手にランキング」はこちらです。

 優勝を50ポイントとし、第2位が49ポイントとなり、第45位が6ポイント、そして、以下参加した方全員に5ポイントが適用される仕組み。私は7パームスさんの大会に初戦から参戦させていただいたのが、2014年からとなり、今年で3年目。まぁ、石の上にも3年というぐらいで、少しづつ勝手が分かり、自分の間合いと拍子が会ってきている実感があるので、初戦で入賞というサプライズを達成できたと捉えています。何事も「継続はチカラ」、変化することが重要です。

 しかし、年間ランキングを過剰に意識すると、私の成績はどうなるのかについては熟知しているので、諸事情あり第2戦(5月)の大会は休みます。そして、新たな気持ちで6月の大会にフォーカスしたいと考えています。

 いい結果が出たあとほど、空回りが半端じゃないので、ここは一旦クールダウンなのです。

 この傾向、釣りばかりではなく、仕事でもよくある「空回り」。この4月で52歳になるおっさんとして、少しは過去の失敗から学ばねばと、兜の緒をふんどしを締め直しています。

ラプトル君

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 印象的な映画の中には必ず印象的なシーンがあり、そのシーンに至るまでの物語の展開がそのシーンに向かって加速し、そのシーンからつくり手の言葉にならないメッセージが拡散していきます。過去に観た多くの映画の中にも「このシーンこそがこの物語の中心だ!」と勝手にチョイスして、映画を楽しんでいます。

 最近の一番はやはりラプトル君。バイクでいっしょに疾走するシーンではないのですが、ラストシーンで登場する、あの勇敢に疾走するシーンは何回観ても心が跳ねます。ということで、DVDを買うことにしました。恐竜モノってことだけですでにお腹はいっぱいなのですが、その中に心が跳ねる名シーンがあるとなれば、このDVDはマストです。

 つくり手の中にこの映画を構想する最初の段階で、恐らく(勝手に)このシーンが明確に浮かんだのではないでしょうか、などと妄想気味の憶測を巡らせています。これも映画鑑賞の楽しみ方です。

水彩画8

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 これは水彩画を描くソフト。同じようなことはphotoshopで可能なのですが、「水彩画」という切り口で開発されたソフトウエアだけに、描画用に様々な工夫がある。多様なタッチや透過具合などもphotoshopと比較して簡易ではありますが、描画するだけならば繊細な調整は必要ないため機能として排除してあります。その代わり、水彩画以外のペン画などのテイストを描く便利な機能があるのでダウンロード購入しました。これだけの機能がついて¥4,800(税別)ですからツールとしてはお値打ちです。

 実際、カラーインクやアクリル絵具で水彩紙に描くことと比較すれば、このソフトが手に馴染むまで試行錯誤は必要ですが、手に馴染めば仕事にも充分活用できそうな気がしています。

クリッカー

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 このツールの名前は「クリッカー」。犬の調教用ツールです。

 オレンジ色のボタンを押すとアナログな「ペコペコ」というブリキの音がします。この周波数が動物の神経を刺激し注意を促すそうです。調教の際に犬を調教師に集中させる作用・効果があるそうです。これを知ったのは「ジュラシック・ワルード」でラプトルを調教するシーン。これを使っているのを見て欲しくなったので、ネットでリサーチして入手しました。

 確かに「ペコン!」という金属音の周波数が注意を促す感覚が実感できます。

 しかし、うちのおじいちゃん(愛犬)をいまさらどう調教したいというわけではなく、なんとなく、いつも手元にもっていたいなと思っただけです。

 身近にラプトルがいるわけでもないし、調教で生計をたてているわけでもないので、一番身近な奴と言えば、自分自身ぐらいです。この金属音が聴覚に与える刺激が、緊張感が緩んだ時とか、誰かへ何かを伝えたい状況で、ペコン!と鳴らしたいなぁ、という程度。

 例えば、ブラックバスバスの本能の中にも猛禽類のDNAがあり、釣りの最中、ペコン!と鳴らせば、バイブレーションのラトルの効果があるかもしれない、などという妄想も膨らませています。また、山でクマに遭遇した時なども、この金属音で興奮を沈下させられるかもしれない。空のペットボトルを手で潰した時のペコペコ音もクマは嫌うらしいので。そんな想定外の緊急事態にこのクリッカーが役立つかもしれない、などと考えています。まぁ、そんなケースないでしょうが。

第6位!

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 昨日は伊庭内湖で開催される7パームスさんの2016シーズン第1戦でした。こちらがスタート前の風景です。何回参戦してもこの雰囲気は素敵です。緊張感と和気あいあい感が漂っています。

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 そして、こちらが表彰式前の全員集合写真。強者達計59名。

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 こちらが私の釣果です。小さいですが時期的にタフな大会でしたのでノーフィッシュが42名という結果でした。3匹のトータルの長さで競う大会なので、とにかく3匹釣ることが目標。しかし、3匹釣れた人が3名というタフさ。そんな中、私はこの2匹で第6位に入賞させていただきました。

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 あと、1本、グッドサイズが釣れていたらこのお立ち台に上がれたかもしれません。ここに立つのは途方もなく難しいのです。

 参加された皆様、お疲れ様でした。そして、パームスの会長さん、社長さん、能登川店の渡辺店長、そして、ボート屋さんの皆様、素敵な大会運営をありがとうございました。

 いつか、いつか、この白い台に立ちたいです。

ほぼ日刊イトイ新聞

 ほぼ毎日、糸井重里さんが運営しておられる「ほぼ日刊イトイ新聞」を読んでいます。「ほぼ毎日」という切り口が糸井重里さんらしく、当然、記事の暖かさと誠実さは文章のお手本のようで(当然)、私には決して近づけない程の孤高な高さを感じてしまいます。こんな文章が書ける人になりたいと思うわけです。

 その中で「主観と客観」についての記事がありました。

 日常生活の中に氾濫する「客観」に自分自信の「主観」を押しつぶされない、手放さない、紛失しないように気をつけようと、いつものことながら、糸井さんらしい後味と余韻が残る素敵すぎる文章でした。

 「アート」の価値は主観だからこそと、言葉にできるにはそれ相当の根拠や要因が必要だと思います。「アートなんとか」とネーミングするだけで、「あとはご自由に!」的なイベントやプロジェクトをよく見かけるが、その全容と詳細を確かめるまでもなく、中身(主観)が弱い、表面的(客観)に終始したハリボテ企画に残念になる。残念になるのは期待しているからであり、一本でも筋の通った作品や心を震わせてくれる人に出会えたなら、それだけで満足なのだが、なかなか、主観のありかにたどりつけないことがもどかしい。ただ、自分の理解力のなさ加減と感度の鈍さに閉口することが多い。

 「良いつくり手になるには、良いモノをたくさん見る」という指南に、仕事でも人生の場面でもよく出会うが、「何をどう見ればいい?」については誰も紐解いてくれないから、結局、試行錯誤から始めて、自分だけの「良いモノ」に出会うしかない。誰から「良いモノ」だと教えてもらったことが、自分の「良いモノ」だという確率は経験上、非常に少ないからです。この部分に主観の軸があるのでしょう。

 さて、「アート」の価値についていくつか思うことがあるが、まだまだ、ブログで書けるほど整理できていないのが正直なところで、「ほぼ日刊イトイ新聞」でいろいろな良いモノに出会えているのだろうが、口の中に入れて噛み始めた段階です。美味しいのか美味しくないのか?栄養になるのかならないのか?ちゃんと自分の身体が吸収してくれるのかしてくれないのか?イトイ新聞を読み始めてから思うことは、より深く広く迷いのゾーンが広がったということ。

 逆に迷っていなかったことが短絡的で軽率だったと反省することしきりです。

 今の結論は自分の中にある優柔不断で天邪鬼な「主観」だけど、大切にしたいと思っています。

明日は初戦。

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 明日はここで2016シーズンの第1戦が開催される。聞けば、すでに定員は満員だそうで、例年のごとく強者が揃うのでしょう。7パームさんの大会に参戦して3年目。私の最高順位は8位である。

 さて、今シーズンに向けて特に秘策はないし、参戦者の皆様がしっかりと大会前にポイントチェックをしているというような入念な準備もまったくしていない。しかも、バスフィッシング自体が昨年の最終戦(10月)以来という非常にノーカンな状態です。上位に入賞する自信もなければ戦略もない。「参加することに意義はある」とも考えていないので、参戦する以上は上位を目指したい。

 気持ちの中で唯一ある感触としては、昨年の10月に釣れた1匹が明日の大会中のキーポイントになるだろうと考えている。上級者の皆様に言わせれば、昨年の10月と4月では全く状況が異なるので、参考には全くならないという捉え方が通念だろう。しかし、バスフィッシングにおける「通念」とは何か?と自問自答すると、意外と私の場合、それはとてもシンプルで単純である。そもそもルアーをキャストしてバスを釣るということ自体、巧みにキャストしたから魚が釣れるという確証はない。つまり、誰にも明日のことは予測不可能なのである。参戦者の皆様がやっていることは、過去に得た釣果情報から5時間のプランを決めて実行することのみ。その結果、ルアーをキャストしたポイントにバスが入れば釣れ、いなければ釣れないということだけが分かっていること。だから、どの時間帯にどのポイントでどのタックルでどのルアーでどのように攻めれば、優勝できる魚がヒットするのかは誰にも分からない。正に水(暗)中模索なのである。

 言い換えれば、これがルアーフィッシングの醍醐味である。もちろん、タックルやルアーが充分に装備されていることやエレキ操船のテクニックやキャスト・フッキング・ランディングテクが高いことで、ビックバスを釣り上げる確率は上がるが、むしろ、上がるだけなのである。

 私は気性的に1匹つづ丁寧に釣りたいといつも思っているので、ビックバスを狙うとか何匹釣ろうというプランはまったくない。まして、手こぎ仕様なので、エレキ船のような効率的なアプローチはできない。この条件で上位を狙うことなど限りなく無謀に近い参戦なのだが、それでも明日の優勝者は誰か分からない以上参戦する価値がある。

 つまり、「偶然の幸運」と「必然の不運」の間を自分の手でオールを漕ぎながら5時間彷徨うのが、なんとも楽しいのである。

 私の場合、「良い確率」をただ上げるため、ニュートラルにシンプルに攻めたいと思っています。