リスベット・サランデル

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 昨晩、「ミレニアム4」上下巻の上巻を読み終えた。物語の内容についてお話することはしませんが、正直な感想は「リスベットのキャラが少し違う」という感覚です。上巻のあとがきには、ミレニアム4の企画が発生した段階からの経緯がありましたが、ラーソンの死後、ミレニアム4と5の下書きがパソコンの中から発見されたが、それを完成させることは難しいと判断し、新たな作家を厳選し、ミレニアム1・2・3を熟読した上で、彼が新しいミレニアム4を再構築したと書いてあった。そして、この企画は今後5・6へと展開が予定されているとのことです。

 映画では、ノルーウェー版1・2・3とハリウッド版の1「ドラゴンタトゥー~」があるわけですが、すでに映画「ミレニアム4」企画がこの原作を元に進行中のこと。2と3の映画企画もまだ生きているということも追記してあった。当然、ハリウッド版の2・3も観たいが、さて、映画「ミレニアム4」はどんな作品になるのでしょう?などと期待が膨らみます。

 さて、ミレニアム4のリスベットへの違和感は具体的にどのような部分なのか?

 ここでも本編に触れることはできないので、詳細は書きませんが、「ラーソンだったらこのテーマを選ぶのだろうか?」という疑問と連動するリスベットへの違和感です。キーワードは「特異点」。

 「特異点」については、私は数学や物理や天文学の専門家ではないので、あくまでも「かじりレベル」ですが、2050年のシンギュラリティのことが頭に浮かびました。非常に大きなテーマです。世界重のあらゆる起業家や研究者がそれぞれにこのテーマに取り組んでいることは、新聞や書籍で私のような立場の人間にも理解・掌握できます。それが具体的に日常生活や自分の仕事にどう作用するのか?などは途方もなく崇高で想像の域を超えることはできません。しかし、それは必ず実現されるだろうという予測はできます。2050年ということは私は85歳ですから、もうどうでもいいジャンルのお話になっている可能性が高い。でも、この動向が加速し世の中がそうなれば、それは良いことなのか悪ことなのか?と想像力が高揚するのです。

 話は少し逸れますが、宮崎監督が「ナウシカ」の連載を完結されたのが1994年。当時53歳でした。テレビのインタビューなどで宮崎監督が「ナウシカ」の原作を制作されたのが40代の頃だったと知り、その頃の世界を宮崎監督はそんな風に捉え、未来を想像し、非常に大きなテーマを掲げ、「ナウシカ」を完成されました。ラーソンも他界された時は50歳でした。ということは、人は50歳を超えたあたりから、想像力のスイッチが覚醒するだろうか?という感想です。

 勿論、50歳になったから誰でも自然に入るスイッチではなく、20代から40代まで然るべき思考と行動に精進・邁進した末に獲得できるスイッチですから、それまで人生をサボっていては自分の中のスイッチすら持ち得ることはできない。人生を仕事を生活をしっかり積み重ねてきた人だけに与えられるスイッチなのだと思います。

 実はミレニアムを書店で発見した時はあまり興味がありませんでした。他にも読みたい書籍がたくさんあったので、気にはなっていましたが、購入には至りませんでした。結果、1・2・3の上下巻計6冊を買ったのは映画「ドラゴン~」を観てからですから、後手になっています。

 ひとりのつくり手が生み出したキャラクターに心を奪われることは、他の小説や映画でもありましたが、その中でもリスベットは特別席に鎮座しています。自分の中で勝手に映画や小説を観て創造した「リスベット」と、新しく再構築された物語に登場している「リスベット」。当然、書き手が違うのだから仕方ないと言えばはそれまでですが、この違和感の意味が下巻で完全に払拭されることを、今は期待しています。