2016年05月 アーカイブ

パワーポール

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 ステキだ、ステキ過ぎるパワーポール。この秀逸なアイディアと制作技術に報いるためにも、絶対に当日は成果を上げなければならない。スペシャルサンクス!!!

 →制作者のブログはこちら「KUNI-SAN」

墨汁

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 いろいろな黒系インクを試しているのですが、やはり、基本中の基本、墨汁がベスト。黒が美しく強い。しかも、ペンと紙との相性が良く、なめらかにのびます。しかし、画材の中ではこんなに安価な画材はありません。「古き良きモノ」の価値はいつの時代も変わりません。

ヘビースプリット。

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 これは釣り道具です。鉛の玉に切れ目が入っていてラインをはさみ、プライヤーで潰しラインに固定します。「カミツブシ」と呼ばれている釣り道具です。

 私がブラックバスを釣る時は「ライトリグ」と呼ばれる、比較的軽めのソフトワームをフックにつけて釣ります。ライトに対してヘビーリグとは、比較的重く大きなハードルアーを指すのですが、私はそのゾーンはあまり過去にいい釣果がなかったので、結果、「ライトリグ」に定着しているのです。しかし、これから夏場になると、水面にはヒシモが茂り、水中も水草が繁殖します。ライトリグではこれらのストラクチャーの肝心なゾーンにルアーを入れにくくなり、上級者の傾向として重いヘビーリグでこれらのストラクチャーを攻めて、中に潜むバスをひねり出します。私はライトリグなので、ストラクチャーが切れる際にルアーを丁寧に落としたり、日陰になっている部分に丁寧にルアーを入れていかねばなりません。ストラクチャーにはビックフィッシュが潜む確率が高く、尚且つ、モノ影に潜む魚は臨戦体制だからです。それに、風や雨にもライトリグは弱いので、これからの夏の季節は少しいつも使っているウエイトをライトからヘビーにして、グッドサイズのブラックバスをモノ影から引きずり出したいと思っています。これがそのためのヘビースプリット用のシンカーなのです。

壊す風景。

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 子どもの頃(小学生)、学校の帰り道や日曜日、よく建築現場で工事風景を観察していた。何が楽しいのかとよく母に聞かれたが、その時は理由を説明できなかった。結局、壊している風景もその次にある建設(創造)への準備なわけで、誰かが何かをつくっている様を観察するのが楽しかったのだ。料理も同じ。実家で夏期旅館をしていた時期があり、夏休みは早朝から晩まで料理人さんの後ろで包丁さばきを見ていた。とにかく観察するのが好きなのである。

 この場所にはモデルハウスが建っていたが、最近、壊されて、恐らく新しいモデルハウスが建つのでしょう。子どもの頃のように一日中観察することはできないが、恐らく、この年齢になっても、時間に余裕があるのなら、じっとその様を観察するだろう。

 つくり手の傾向として、実際に作る技術やセンス、準備段階の資料集めリサーチ力、選択力、判断力など能動的な部分を意識しすることが多く重要視する傾向が強い。しかし、実はその前段階に「ただ見る」という体制が必要不可欠。つまり、機会をつくることがすべての出発点であり、むしろ、機会を得ずにいきなり行動(創造)はできない。まして、頭の中も手持ちの引き出しも空の状態で何かを生み出す、つくり出すことなど絶対に不可能なのである。

刻まれた時間。

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 書も絵も写真も、そして、文字もそもそも何か?という疑問。つくり手の時間が紙にサーバに刻まれているのである。そこには心情や技術や人間性やanythingが刻まれる。観る者はそれが何かを推測し想像し分析し自問する。あるいは学び模倣し共有し改良する。あらゆるコンテンツ、あらゆるデータでさえ、観ている者がそれらを自問しなければ、次に何も生まれない仕組み。

 美峰さんの作品を観る時、いつもそんなことを感じ考えて意識してしまいます。

電磁波共振遠赤外線活性水。

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 トーナメント中、ライブウェルの中で釣ったブラックバスを5時間程度、死なないようにキープしなければ計測・検量してもらえません。これから暑くなるのでライブウェルの水温が上がらないように氷を用意したり、水中の酸素量が低下して水質が劣化しないようにいろいろ注意しなければなりません。長年使っていた大型のクーラーが2年前、壊れたので、ビニール製のケースで代用していたのですが、やはり、魚への悪影響は歴然。特に夏の季節は目に見えて弱っていきます。そこで新しくクーラーを購入して、ブクブクと固形酸素、そして、この電磁波共振遠赤外線活性水スプレーを準備しました。キープ中はエラ部分を傷つけないようにして、最低でも3匹はキープしなければならないので、魚同士が水中で接触しないように、そして、ストレスでダメージを受けないようにと、いろいろ準備しています。

 これだけ入念に準備しても当日はノーフィッシュってことも十分ありえるのですが、やはり、準備を怠ってはいけません。特にこのようなアイテムはマスト。お金をかけるならロッドやリールやルアーにかけるのが、趣味としてのバスフィッシングの真骨頂・真髄・醍醐味だとは思うのですが、私はあまりそのあたりが無頓着で、どちらかといえば、こういうアイテムを揃えて満足してしまい、当日の朝、ピリピリした競技者の皆様とヨーイのドン!でスタートしたあとは、「釣れればいいけど、ぼちぼちやろう。」とスタート時点をテンションのピークに自分自身の活性は著しく低下します。小学校の頃の遠足、ゴルフ、登山などなんでもそうですが、私は当日までに燃え尽きるタイプなのです。つまり大会まであと2週間、この段階が実は一番ウキウキしています。うん、楽しい楽しい。

好奇心。

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 いずれもノンフィクション。一冊はとても人間臭く、一冊はとことんデジタルチックなタイトルである。いずれもアマゾンに勧められて、「これを買っている人はこれも買っているから」という理由でチョイスしたわけではないのですが、意外にも、テーマが似ている気がしています。まだ、15%ほどしか読んでいないので、曖昧な解釈ですが、「好奇心」についての分析が2冊ともよく登場します。びっくりしたのは、引用事例部分。このタイプのノンフィクションにはよく事例が登場するのです。例えば、MITの学生達にある実験をしたとか、5~8歳の子ども3,000人を対象に行った調査によるとなど、同じ研究者が登場したり、同時期(時代)の論説だったりする。一番びっくりしたのは「マシュマロテスト」。この事例は以前にも別のノンフィクション著書で登場していたので今回で3回目だった。初めてその実験を知った時は、とても新鮮な気持ちになったが、3回目ともなると「ああ、マシュマロね」などと、ちょっと優越感さえ感じてしまいました。まだまだ、楽しいお話があと85%づつ残っているので、じっくりと堪能したいと思います。

 人工頭脳が人間の頭脳を越える特異点が2050年が2045年に前倒しになったらしい。進化の速度がさらに加速していくだろうと、書いてあった。人間の頭脳の1,000倍の世界って、囲碁やチェスの勝ち負けなど、デモンストレーションに近いのだろう。いつか、AIもAIのことを考えて本を書くのだろうか?

特殊な設備。

 今日、仕事で長浜市内に出て踏み切りを渡ろうとしたら警報が鳴り出した。長浜駅周辺の遮断機だったので、長浜駅出発の新快速待ちだった。いつも通る踏み切りだったが、今日は何故か遮断機のバーを固定したフレームに設置された、小さい掲示物が目に止まった。恐らく2分間ほど待つことになるだろうと思い、その掲示物を読む。その掲示物に書かれていた内容を読み、いろいろ荒唐無稽なイメージ(想像)が膨らんだ。

 その掲示物にはこう書かれていました。

 この踏み切りには特殊な設備がしてありますから、警報器が鳴ったら踏み切りの上で立ち止まらず、す早くお渡りください。

 うん?「特殊な設備」?その掲示物には「す早くお渡りください。」とは書いてあるが、もし、立ち止まらなければ、その特殊な設備がどうなるのか?については書かれていなかった。警報が鳴っているのだから、電車が来る合図だということは子どもでも分かること。故意に立ち止まるなんて人はいないはず。しかし、もし立ち止まらなければ、一体、ここに記載されている「特殊な設備」は、立ち止まった人に対して、どんなお仕置きを与えるのだろう?

 まさか、映画SAWのように、映画CUBEのように、立ち止まった人がバラバラになったり、縦に降りてきたバーが横にスライドして強引に立ち止まった人を線路の外へ押し出すとか?もしくは、映画トランスフォーマーのように普段はどこか警報器の中か、地面にしまい込まれている金属のバーが瞬時に現れ、立ち止まった人を踏み切りの外につまみ出すのか?そんな途方もない想像が膨らんだ。

 すると、杖をついたおじいちゃんが踏み切り直前まで歩いてきて、普通に止まった。私は車なので左側、おじいちゃんは右側。もし、今、このおじいちゃんが何かの原因で踏み切り内に侵入し、その特殊な設備が起動し電車が来るまでにおじいちゃんを一瞬で処理してしまったら、などと考えると、不謹慎だがひとり車中で笑いがこみ上げてきた。

 また、別の角度でこの「特殊な設備」看板について考えてみた。恐らく、JRの内部で踏み切りを設置する際、万が一、急いでいる人が中に侵入しないようにとこの掲示物の設置が必要だという話になったのだろう。もしくは既存のルールで踏み切りには必ず侵入者に対する警告表示が義務づけられ、その文章を担当者が考え、しかるべき手順と確認作業で、文面を制作した担当者から部長さんへ確認作業が行われたはず。それも、踏み切りに設置している掲示物だから、そう最近のお話ではない。20年、もしくは、もっと以前からこの文章はあったはずだ。一昔前なら「特殊な設備」が何であれ、踏み切りは踏み切りだから、バーが降りれば侵入は禁止というモラルとして深く考えることもないだろうから、この文章を考え出した人は曖昧に「特殊な設備」と表現しておけば、明確に理解・実感はできないが、ほとんどの人が侵入を断念するだろうと予測したのかもしれない。しかし、「特殊な設備」が作動したら、踏み切り内に謝って入った人がどうなってしまうのか?については、掲示物として明確にする必要があるように感じた。

 だって、私自身、長年、デザインの仕事をしてきて、いろいろな文章に触れてきたし、いろいろな施設のサインを制作したり文章をチェックしてきた経験があるが、どの案件であれ、制作物に記載する文章として「特殊な設備」と書いて、それが何かを書かないという案件は経験がない。天下のJR、そのあたり、少し緩いのではないだろうか。

 そうこうしていると電車が目の前を通り過ぎ、普通に踏み切りを渡り終えたが、私の頭の中では、映画CUBEのオープニング。立方体の内部、その中央部分に立っていた囚人のように、あのおじいちゃんが一瞬でサイコロステーキのようにバラバラになるシーンが浮かび、深く小さく長い笑いが止まらなかった。

 いったい、「特殊な設備」ってなんだ?

モンベルのマスコットキャラ。

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 先日、梅田のモンベルで買ったクマ君。お金があればお店の商品を全部買いたいと思えるほど素敵な空間でした。

 私の勝手な心地良いお店ランキングは第1位「画材屋さん」、第2位「本屋さん」、第3位「日曜雑貨量販店」、第4位「釣具店」、第5位「アウトドアショップ」です。お金があれば、こんなお店を開業したいものです。

デイジー・リドリーさん

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 正直、過去のスターウォーズ6本はDVDを買う気持ちにはなれなかった。「フォースの覚醒」を観た上でも、「1~6巻」を揃えるつもりは毛頭ない。でも、「7巻」はどうしても欲しかった。理由は唯一、ヒロイン、デイジー・リドリーさんが素敵だったから。この感じ、あの、かの、「スターウォーズ」が食われていたような、完全に飲み込まれてしまっていたような気がします。恐らく私が根からの「スターウォーズ」ファンではないからだろう。

大阪デザインフォーラム2016

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 今年も昨日、大阪デザインフォーラムに行ってきました。この外観、何度見ても素晴らしいです。

 さて、今回のフォーラムの構成は講演会が2つ、あとはフリートーク座談会形式でした。時間的に座談会はスルーさせていただき、講演会まで拝見・拝聴した。

 まず、講演会のひとつ目は残念な時間だった。ふたつ目は「それなり」といえばそれなりだが、「ここまでか」といえばここまでか、だった。学生が主体になって企画・運営しているとは言え、最終決断はデザイン学部の教授陣だろう。ならば、二つの講演会の出来は教授陣の責任である。冒頭の挨拶から嫌な予感はしたものの、やはり悪い直感が的中してしまった。優れた講演会の匂いは理論理屈ではなく、嗅覚で判断できてしまう。立派な肩書き、然るべき経歴、ゆるがない自負があったとしても、それは、どこまで行ってもそれだけのモノ。人の心を直接動かす要因にはなりにくい。恐らく、教授陣が最終決断したこのご両名は理論理屈では正解だったのでしょうから、学生諸氏には全く責任はない。今回のような残念な講演会になってしまった主たる原因は、講師達がこのフォーラムを何らかの理由で「緩く」捉え過ぎてたことだろう。こんな素敵な会場でデザイン科の学生達が注目してくれている状況、そんな「フォーラム」なんだから、「講演会」なんだから、もう少し意義を感じて、緊張感を醸し出して欲しかった。緊張して支離滅裂になっては本末転倒だが、その反対(緩すぎる)は辛い。こんな素敵な会場で学生や関係者各位の前で話をする機会を得たのだから、それ相当のテンションが欲しかった。正解か不正解かでいえば、正解だが、限りなく不正解に近い正解でした。学生諸君はあの講演をどう捉えたのだろう?と、とても心配だった。

 さて、そんな二つの講演会だったが、特筆すべきはオープニングアクトの「浪花節」。テーマは井原西鶴の「好色五人女」の一篇。ここのひととき(40分間)は非常に集中できた。冒頭からそういう空気が漂っていた。だから、ずっと目をつぶり浪曲師の声が生み出す世界に没頭できた。今回の私のフォーラムは「浪花節」で始まり「浪花節」で終わったようなものだった。とても叙情溢れる表現力と古典的な井原西鶴の世界観に引き込まれ、帰りの冷房の効きすぎた新快速の車中でも、何回も何回もその物語を反芻し身体と心はホカホカだった。

 あまり、自身、古典には親しみを感じないが、「好色五人女」は改めて書籍(原作)を買おうと思っています。いつの時代も「好色」は人間の本質だと思います。

 そんな、大阪デザインフォーラム2016でした。

 余談になりますが、「好色五人女」を聴いたあと、ミレニアムの下巻を読み終えた。なぜか、二人の女性像が微妙に重なりひとつになった。ああ、好色ってこの部分なんだなと。素敵です。

快晴につき。

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 例年、このコースでラウンドする季節は冬が多い。理由は「なんとなく落ち着いた時期」であることと、「オフシーズンだからプレイフィーが安い」ことでした。しかし、過去数回のラウンドを振り返ると、冬だから当然、寒く、雨もあれば雪もあった。前回はコースに到着した段階で吹雪。コースの支配人にラウンド可能か?を聞けば25%とのこと。25%って!雨男ならぬ雪男がメンバーにいるのかなとテンションが落ちたりもしたが、よくよく考えれば冬なんだから仕方ないのである。

 そこで今回は5月の開催となり、当然、インシーズンだから値段も普通になっていたが、こうして、快晴で美しい芝生の中でラウンドしていると、「ああ、ゴルフって本来こうだよな」などと感慨深くなる始末。自然の中で行うスポーツだから「雨」「風」「雪」は仕方ないと諦め大前提でここ数年、厳しい季節でプレイしていたが、いやいや、ちゃんとインシーズンに来たらこんなに素晴らしい条件でラウンドができるんです。

 改めて、「これが普通のゴルフだよなぁ~」などと再認識。結果、私は終始楽しく、かつスコアもボチボチでしたから、納得のラウンドでした。適度にピリピリ・ヒリヒリしながらも、終始、楽しいゴルフでした。

 快晴につき、ミスショットの原因は「雨・風・雪」ではなく、自分のテクニック不足。スコア(数字)はそのまま自身のポテンシャルなのです。何をどう期待しようが、妄想・迷走しようが、数字は現実なのです。そんな潔さがゴルフの魅力であり醍醐味です。なんだかんだ言ったところで、自分の現在のプレイテクニックが明確に数値になるゴルフ。私の目標は86でしたから、結果、95はちょっと消化不良でしたが、冗談で同伴者の方に「大変、失礼な予想スコアで申し訳ないですが、もし、141だったら・・・」などとプレイ前にイジっていたら、結果138だったので、とても複雑な気持ちになりました。でも、私は楽しかったです。

 やはり、ゴルフは「快晴」と「青い芝生の上」と「楽しい仲間」とプレイするのが一番です。

 名誉のために追記しますが、この写真の方は108でした。頑張れ!138のオヤジ!!!

釣ってる釣ってる。

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 土曜日は守山でゴルフ。少し早く到着してしまい、目の前にある琵琶湖へ。すでにバスボートがたくさん琵琶湖に浮いています。

 登山も釣りもゴルフも、ほんと、滋賀県は素晴らしい自然がいっぱいです。改めてそんなことを再確認できた、気持ちのいい朝でした。

REデザイン。

 まっさらの状態から仕事が発生する機会は非常に少ない。つまり、新しい企画、新しい事業、新しい商品に対するデザインを制作する機会である。そのような機会でさえ、世の中にはすでに存在する製品があり、ライバル会社との競合商品などの場合、それらを意識したデザインが必須となる。よって、常にデザインとはすでにある何らかの成果を充分に分析し「より良く」することが求められるのです。安易に制作会社を変更すれば、つくり手を変えれば、リデザインが完結するとはならない可能性が高いのが、デザインという仕事の難しさであり、本来の価値でもあります。

 この捉え方はすべてのデザインの仕事にあてはまるので、まず、仕事の案件に取り組む際は、分析力が非常に重要になります。当然、定期的な案件や自社で取り組ませていただいた案件についても、「そろそろリニューアルを」という展開はよくあり、以前の自社で制作させていただいたデザインをさらにブラッシュアップし、新しいアイディアや表現手法を取り込んで、より良いデザインをつくらねばならないのです。「デザインの仕事の真価」とはこの部分にあるため、テクニックや知識の鮮度を常に維持することと合わせて、分析力の活性化も同時に取り組まなければ、いつのまにか感覚が鈍り、古臭い、特に年齢と共にこの感覚は鈍化・劣化・退化するので、私など特に歯を食いしばりながら、感覚の鮮度をキープしなければならない。当然、現状維持に甘んじていては、下降を意味するので、何がなんでも、石にかじりついてでも、上を向いて歩いていかねばならないのです。

 そして、デザインの仕事の評価は多種多様です。しかし、クライアント様に理論的な説明や、多くの事例との比較検証事例を説明しても、納得していただくことは難しい。そんな常識のお話をしたところで、お客様はピンとこない。それはそのはず、私もユーザー目線に立った場合、「欲しい!」と思っている商品に対して、理屈や正論を並べられても、定石はどうでもよく、自分が「欲しい!」という気持ちをいかに納得させてくれるか?という売り手様から買うのが普通の流れなのですから。つまり、私が「欲しい!」という気持ちをどこまでプロの売り手として理解(分析)してくださるかで、買い手を決めているのです。

 しかし、「リデザイン」とひとことで言っても千差万別です。長年、デザインの仕事をしてきましたが、同じパターンが適用できるケースなど皆無でした。例え同じような内容のテーマの規模の仕事だったとしても、同じパターンの分析は通用しません。それが現場です。つくり手でさえ、その日の気分で分析手法や感覚が変化するのですから、買い手の気持ちが理論や理屈でいつも整うはずがない。「昨日まで、このデザインでOKだったに・・・」「このタイプで合意していたのに・・・」「このテイストで喜んでいたのに・・・」、今日は今日の風が吹き、確実に明日は明日の風が吹くのです。

 そんな、一見、苦しい仕事をよく続けてきたなと自分でも思いますが、実はこれが楽しい。

 これこそがこの仕事の醍醐味だと思っています。

 自分も変化するし、クライアント様も変化する。この微妙な間合いこそが、実はデザインが、デザインこそが埋められる唯一のアプローチなのだと思います。杓子定規に「ねばらならない」「であるべきだ」を繰り返していると、いつか孤立する怖さを痛感しているだけに、つくり手は貪欲に好奇心と向上心と探究心で、明日吹く風を予測しているのです。

養老孟司さん講演会

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 こちらは5月22日(日)ひこね市文化ぷらざで開催される、「養老孟司」さんの講演会チケット3枚とチラシです。

 この講演会を知ったのが2週間前、撮影の仕事で彦根駅をウロウロしていてポスターを発見。恐らく、広い会場だから席は余っているとふんで、チケット購入が今日になりました。しかし、文化ぷらざのチケット予約窓口で残りの席を確認すると、ほぼ90%は完売でした。さすが、メジャーな知識人だけに興味のある人が多いんですね。

 講演会のテーマは「自分の壁」。すでに養老さんの書籍はほぼ読んでいるので、どんなことをお話されるのか楽しみです。個人的には本題からそれて虫のお話がリアルガチで聞ければ楽しいと期待しています。

 でも、例えどんなお話をされようが、養老さんご本人を直接見れるという機会はそうありませんから、ただ、生の養老孟司さんをこの肉眼と肉耳で実感できる。私はそれだけで満足です。もし、握手とか直接話かけてもらえるようなことになったら、52歳のおっさんの顔が赤くなるかもしれない。うん、そんなことだけはやめておこう。いや、養老さんがステージに登場したら、自分を忘れて駆け寄ってしまうかもしれない。こればかり、当日になってみなければ分かりません。

 とにかく、楽しみです。

ことばの選び方。

 手元にある「語感辞典」のまえがきに「ことばの選び方」という文章がある。

 ことばを選ぶのは、伝えようとする情報だけではない。当人の意図とは関係なく、その事柄を選び、そんなふうに表現したその人自身の、立場や態度や評価や配慮、性別や年齢、感じ方や考え方、価値感や教養や品性を含めた人間性が相手に否応なく伝わってしまう。ひとつの文章が生まれるまでには、無意識のうちに発想や表現のさまざまなレベルでの選択が積み重ねられる。その過程で人間の在り方が、結果として姿を現す言語作品に映っているからである。表現の外面から発想の内面へとそのレベルを順にたどってみよう。~はじめにより抜粋~

 なんと心地よい流れ、淀まないテンポ、そして、軽快で誠実で的確な文章なのだろう。文章を研ぎ澄ますとノイズが排除され純化される。ノイズだらけの人間(私)にはこの文章は到底生み出せそうにない。例え、外面を取り繕う術を得たとしても、内面の混沌が露呈するのだ。

 ことばの選び方、決して軽率に安易に乱暴には渡れない綱渡りの綱のようです。

4つ目の机。

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 昨日、イラスト制作用のデスクが到着しました。この3連休は仕事場にこの4つ目の机を設置・完備することがメインテーマでしたので、これで完了・完成です。

 盤面の角度を調整できる机で商品のセールスポイントとしては、「製図用」「イラスト制作用」「マンガ制作用」という目的で製造された机。盤面の角度も5度、10度、15度、20度、25度とワンタッチで変更することができる上、盤面の重量も充分。さらに、机の高さも4段階に変更できます。オフィス机は当然フラットなので、パソコンや書類や資料用。見積もりや原稿の整理などに活用する分には充分なのですが、製図やイラストを描く場合、描いている用紙に対して下から見上げてしまう体制になります。そして、長時間、絵を描いていると姿勢が悪くなる傾向があり、特に椅子に座る姿勢が元々良くないので、それに気がつかないままフラットな机で絵を描いていると最近疲れるのです。また、紙面を下から見上げている体制では、微妙に作品のデッサンが上下が間延びします。アングル的に下方からのパースが作用するのです。ちょうど、カメラでローアングルから撮影したような構図になるので、描く用紙に対して、できるだけ視点は紙面の中心、真上の位置を維持したいのです。しかも、簡易的な机だとグラグラしたり安定感のない机は描く最中に微妙なストロークが難しくなります。できるだけ、安定感があり、紙面に対して視点を常にいい位置に置きたいのです。それがこの机を購入した最大の利点なのです。

 そして、このDVDは昨日、販売開始された「スターウォーズ7」。1ヶ月前から予約して、昨日入手しました。本作の1から6までは、正直、あまり興味がなかったので、7の情報を得た時も同様に興味はありませんでした。映画館にも行っていないし、ネットでS.W.ファンのような入念なチェックもしていない。昨晩、早速、鑑賞しましたが、物語としては自己評価で平均点以下です。カミさん曰く「スター・ウォーズならレンタルでええやん」とまで言われる始末。

 しかし、S.W.7のDVDを買った理由はひとつ。レイ役の新人女優、デイジー・リドリーさんを画面で観たかったのです。どうも、自分がDVDを買う条件は大きく3つあり、「好きな監督」「好きな物語」「好きな女優」のどれか条件に当てはまれば買うパターンが多い。逆に人から勧められる作品は買わない。今回はその3つ目の理由で迷うことなく「買い」だったのです。壮大な宇宙で展開しているイマジネーション溢れる最高の映像技術の結晶である本作において、デイジーさんの存在感はキュートでタフでとても心地よかったです。歴代のキャストがどんどん老いていく本作の流れにおいて、レイ(デイジーさん)は正に「光」の象徴でした。

 で、結果、3連休も仕事ということになりましたが、いい机がセットアップできたので、どんどん新しい作品を描いていきたいと思っています。

異分野交流・多分野協力論。

 東京大学教養部の藤谷祐子副理事長が提唱しておられる「異分野交流・多分野協力論」について。

 この取り組みは東京大学の総合的教育改革の一環として新設された後期教養科目の中の一科目なのだそうです。全12回のテーマを用意し、毎回、議論形式で授業を行っている。授業の構成は下記の12回である。

第1回 コピペは不正か
第2回 グローバル人材は本当に必要か
第3回 福島原発事故は日本固有の問題か
第4回 芸術作品には客観的価値はあるか
第5回 代理出産は許されるか
第6回 飢えた子どもを前に文学は役に立つか
第7回 真理は一つか
第8回 国民はすべてを知る権利があるか
第9回 学問は社会に対して責任を負わねばならないか
第10回 絶対に人は殺してはいけないか
番外篇 議論によって合意に達することは可能か
最終回 差異を乗り越えることは可能か

 なんとも、壮大で曖昧で必然なテーマです。では、ひとつひとつ答えていきたいと思います。

Q コピペは不正か?
A 何をコピペするかで不正か否かが分かれます。
  つまり、この議論をどのような立場のどのような属性の人とするかで分けるべきです。

Q グローバル人材は本当に必要か?
A 必要だと思えない理由が必要なし。

Q 福島原発事故は日本固有の問題か?
A NO。

Q 芸術作品には客観的価値はあるか?
A そもそも芸術に「客観」はない。

Q 代理出産は許されるか?
A 誰に許してもらうかという論点ではない上に、代理出産は必然である。

Q 飢えた子どもを前に文学は役に立つか?
A 役に立つ。

Q 真理は一つか?
A NO。

Q 国民はすべてを知る権利があるか?
A 権利はあるが、権利があるだけ。
  物理的にか概念的にか、もしくは哲学的には慣習に依存する。

Q 学問は社会に対して責任を負わねばならないか?
A どのように「社会」を規定するかで責任の有無が変化する。 

Q 絶対に人は殺してはいけないか?
A 殺してもいいという前提では何も生まれない。

Q 議論によって合意に達することは可能か?
A 議論する人達の時間の概念次第。

Q 差異を乗り越えることは可能か?
A 当然、可能である上に、不可能な状況の原因・要因を黙認せず直視し理解し納得するべき。

 議論ありきのテーマですから、乱暴な結論ばかりですが、私の根の部分はこんな感じです。

 しかし、東大生の皆様も次から次へと大変な時代になりました。

選挙ポスター。

 営業や打ち合わせでお客様のところに行くことがよくあり、車から街角に選挙用のポスターが貼ってあるのをよく見かける。デザイン的には議員さんの顔写真が大きくレイアウトされ、所属先やスローガンがデザインされているパターンである。目立つ配色、読みやすい文字の大きさとフォント。内容的にはとてもシンプルで、それ以上それ以下でもないとてもシンプルな情報が一枚の紙に印刷されている。

 人工頭脳関連の書籍を読んでいるとコンピューターが進化すると、今存在する人間の仕事の中でいくつかが代行されるという現実を知った。決まり決まった想像的ではない事務的な単純処理は、はるかにコンピューターの方が正確で効率が良いということである。当然、それらのプログラムに連動している工作製造機械があれば、単純作業なども代行可能である。新しい何かを想像したり開発するようなテーマはまだまだ苦手で、人間への繊細で微妙な対応についてもまだまだ進化の渦中らしいが、方程式があり正解を多様な選択肢の中から判断するだけならば、人間はコンピューターに劣る場合がある。むしろ、正解が分かっている単純作業ならば、人間はその仕事を放棄していもいい時代だということである。

 さて、議員さん達の仕事はどっちだろう?私は議員経験が当然ないので、どのような仕事を任期中に展開しておられるか理解・掌握していませんが、テレビやネットの情報で知る範囲では、あまり想像的な仕事は少ないような印象がある。議案を制作し議会で審議し可決させることが主なタスクなのであれば、想像的な要素は少ないような印象がある。この流れを分解すると、情報収集と整理・設計、そして、立案・提案し議論した末、多数決で可決する。このファンクションを成立させるための、費用対効果はどうなのだろう?

 「どうなのだろう?」ということは、何かと比較していることになるのが、例えば、農業と比較してどうなのだろう?

 土を最適化し、強い種・苗を選別し、成果(商品)として育てる作業には長年のつくり手の経験則がかなりの比率で作用している。そのノウハウの中には決まりきった手順もあるだろうが、農業の相手は自然である。自然相手の仕事だから想定外の事態(トラブル)が容易に発生する。いつでも発生する。経験則はあれど、これらのトラブルに対応するためには会議をしている時間はない。毎日毎日、一瞬一瞬が勝負なのである。まして相手は野菜や穀物などの生物である。判断を謝れば成果は生み出されない。それまでの作業時間や原価を失うことになります。このような農業と比較して政治というタスクはどうなのだろう?農業より政治が単純だとは言わないまでも、人工頭脳が対応できそうなのは農業よりも政治のような気がするのです。農業も政治も素人の私が曖昧な情報だけで安易に軽率に判断できるようなテーマではないが、一般人の知識レベルでは政治のシステム・構造こそ、専用のアプリで代用できそうなことが多いような気がします。

 テレビのニュースで政治家達が巨額の資金を独断で操作したり、無駄遣いをしていることを知る度に、政治のシステムや構造を否定するのではなく、そもそも政治自体の必要性に疑問を感じてします。これは一般市民の悪気のない一意見なのですが、同じようなことを国民は感じているんじゃないだろうか。そもそも、ひとつの議案立案にかけている費用や時間、何事も金次第の世の中ですが、一般市民と比べてあまりも単位・単価が大きい割には、実際やっていることはとても単純で、無理やり大義名分を積み重ねて大きく見せているだけで、実態・実質的には公明正大なアプリを制作して代行させれば、と思うのです。

 選挙ポスターの単純明快なデザインを見る度に、ああこの人の素養はいかなものか?有名な大学で知識を詰め込み、潤沢な資金をベースに然るべき経験値を積み、大義な空間で議会という時間でそれらしくふるまっているが、本質は卓上ゲームのコマのようだと。つまり、その属性が然るべき立場を形成しているだけのIDであるならば、別段、「ゆるキャラ」と同じではないかと。選挙ポスターの写真を見る度に、ああこの人たちはそういうキャラを演じることに人生を賭けているのかもしれないな、などと感じてしまいます。ルックスのいい熱意溢れる人間性を表面的に打ち出し、それを「キャラ」にしている仕事。だから、論理が曖昧な答弁や拙い日本語を露呈しても、国民は「議員さんなのに何を言っているの?」レベルで許される。これ正にそういう「ゆるキャラ」だからなのである。

 それもそのはず、ただ、選挙で選出されただけなのだから。素養も教養もポテンシャルも関係なく、選挙ポスターなどで認知されているモノサシ加減だけで得た属性・立場なのだから。だから、選挙ポスターには「デザイン性」が必要ないのです。むしろ、あってはならないんでしょう。

 そんな仕事、ほんとに大変だと思います。相関で俯瞰で客観で自己分析さえできていれば、決して、立候補したいという結論にはならないでしょう。それを考慮してかしないでか、決意し覚悟し手を上げている証があのポスターなのでしょうから。

40000回の質問。

「子どもは40000回質問する」という本がある。
下記はアマゾンに記載されていたこの書籍の説明文である。
~アマゾンの商品ページより抜粋~

商品の説明

内容紹介

 「好奇心格差」が「経済格差」を生む! 「知ることへの意欲=好奇心」は成功や健康にまで大きな影響を及ぼす。その好奇心を突き動かしつづけるのは実は「知識」であり、知識を得るには「労力」が必要だ。また、知識のない好奇心や創造性は失速する。
 いっぽう、幼少期の環境に由来する「好奇心格差」は、深刻な経済格差に発展することが懸念される。はたして、いま私たちが自分のために、そして子どもたちのためにできることとは?人間の好奇心がいかに生まれ、育まれる、なぜ人間に好奇心が必要なのかを、多彩な例を引きつつ解明。親、教育者、そして知的意欲に溢れるビジネスマンまで必読のノンフィクション。

《目からウロコの情報が満載! 》
・ダヴィンチのToDoリストとはどんなもの?
・少しだけ知っていることか好奇心に火をつける
・大学教育を受けない代償は大きい
・好奇心格差が経済格差を悪化させる
・好奇心は加齢に寄る認知機能低下に抵抗する
・好奇心旺盛な子はそうでない子と何が違う?
・高所得層の子は低所得層の子より多く質問する
・多く質問する子は、親から多くの質問をされている
・知識は知識に引き寄せられる
・インターネットが奪う「生産的フラストレーション」
・都市のセレンディピティがイノベーションを生む
・「好奇心」や「やり抜く力」だけでは足りない。
・好奇心を保ち続けるための7つの方法とは?
内容(「BOOK」データベースより)

幼少期に子どもの問いにきちんと答えたり、
知識の在り処を教えたりする家の子は、学校でも良い成績を収め、
経済的にも成功しやすい。
逆に、優れた資質があっても知識が得られない環境の子は、
伸び悩む傾向にある。知識習得を軽視してはいけない。
目からウロコの情報も満載!好奇心+知識=真の創造性。
人生で一番大切な「知りたい心」の秘密に迫った快著。

となっています。

 当然、この本は買いますが、買うまでにこの商品説明を読んで、自分の中にある「質問力」「好奇心」「知識欲」という言葉(フレーズ)をどこまで暖められるか?と準備し、この書籍の到着を待ちたいと思っています。