大阪デザインフォーラム2016

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 今年も昨日、大阪デザインフォーラムに行ってきました。この外観、何度見ても素晴らしいです。

 さて、今回のフォーラムの構成は講演会が2つ、あとはフリートーク座談会形式でした。時間的に座談会はスルーさせていただき、講演会まで拝見・拝聴した。

 まず、講演会のひとつ目は残念な時間だった。ふたつ目は「それなり」といえばそれなりだが、「ここまでか」といえばここまでか、だった。学生が主体になって企画・運営しているとは言え、最終決断はデザイン学部の教授陣だろう。ならば、二つの講演会の出来は教授陣の責任である。冒頭の挨拶から嫌な予感はしたものの、やはり悪い直感が的中してしまった。優れた講演会の匂いは理論理屈ではなく、嗅覚で判断できてしまう。立派な肩書き、然るべき経歴、ゆるがない自負があったとしても、それは、どこまで行ってもそれだけのモノ。人の心を直接動かす要因にはなりにくい。恐らく、教授陣が最終決断したこのご両名は理論理屈では正解だったのでしょうから、学生諸氏には全く責任はない。今回のような残念な講演会になってしまった主たる原因は、講師達がこのフォーラムを何らかの理由で「緩く」捉え過ぎてたことだろう。こんな素敵な会場でデザイン科の学生達が注目してくれている状況、そんな「フォーラム」なんだから、「講演会」なんだから、もう少し意義を感じて、緊張感を醸し出して欲しかった。緊張して支離滅裂になっては本末転倒だが、その反対(緩すぎる)は辛い。こんな素敵な会場で学生や関係者各位の前で話をする機会を得たのだから、それ相当のテンションが欲しかった。正解か不正解かでいえば、正解だが、限りなく不正解に近い正解でした。学生諸君はあの講演をどう捉えたのだろう?と、とても心配だった。

 さて、そんな二つの講演会だったが、特筆すべきはオープニングアクトの「浪花節」。テーマは井原西鶴の「好色五人女」の一篇。ここのひととき(40分間)は非常に集中できた。冒頭からそういう空気が漂っていた。だから、ずっと目をつぶり浪曲師の声が生み出す世界に没頭できた。今回の私のフォーラムは「浪花節」で始まり「浪花節」で終わったようなものだった。とても叙情溢れる表現力と古典的な井原西鶴の世界観に引き込まれ、帰りの冷房の効きすぎた新快速の車中でも、何回も何回もその物語を反芻し身体と心はホカホカだった。

 あまり、自身、古典には親しみを感じないが、「好色五人女」は改めて書籍(原作)を買おうと思っています。いつの時代も「好色」は人間の本質だと思います。

 そんな、大阪デザインフォーラム2016でした。

 余談になりますが、「好色五人女」を聴いたあと、ミレニアムの下巻を読み終えた。なぜか、二人の女性像が微妙に重なりひとつになった。ああ、好色ってこの部分なんだなと。素敵です。