壊す風景。

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 子どもの頃(小学生)、学校の帰り道や日曜日、よく建築現場で工事風景を観察していた。何が楽しいのかとよく母に聞かれたが、その時は理由を説明できなかった。結局、壊している風景もその次にある建設(創造)への準備なわけで、誰かが何かをつくっている様を観察するのが楽しかったのだ。料理も同じ。実家で夏期旅館をしていた時期があり、夏休みは早朝から晩まで料理人さんの後ろで包丁さばきを見ていた。とにかく観察するのが好きなのである。

 この場所にはモデルハウスが建っていたが、最近、壊されて、恐らく新しいモデルハウスが建つのでしょう。子どもの頃のように一日中観察することはできないが、恐らく、この年齢になっても、時間に余裕があるのなら、じっとその様を観察するだろう。

 つくり手の傾向として、実際に作る技術やセンス、準備段階の資料集めリサーチ力、選択力、判断力など能動的な部分を意識しすることが多く重要視する傾向が強い。しかし、実はその前段階に「ただ見る」という体制が必要不可欠。つまり、機会をつくることがすべての出発点であり、むしろ、機会を得ずにいきなり行動(創造)はできない。まして、頭の中も手持ちの引き出しも空の状態で何かを生み出す、つくり出すことなど絶対に不可能なのである。