2016年06月 アーカイブ

手づくり。

 私も含め人は「手づくり」という言葉に弱い。

 弱いというか心が動かされるのです。何と比べて?マシンと比べてです。

 デザインの仕事について最初に始めた頃、仕事現場にマシン(PC)は無かった。すべて「手づくり」だったのです。だから、テクニックも必要だったし、デザイン感覚もプロレベルを習得する必要があった。そうこうしているうちにデザインの仕事現場にマシンが登場した。タイミング良く、私はデザインのアナログテクニックとデジタルテクニックの変換期に遭遇できたのだ。もし、そのタイミングが少しずれていれば、どちからに偏ったテクニックになっていた可能性が高い。また、デザインの仕事を始める前は美術(絵画)の勉強をしていたから、当然、デジタルなど介在しない世界だった。そして、幸運にもその変換期に東京にいたということも、あとあと大きな意味・価値があったのだと捉えています。

 さて、デザインにおける「手づくり」の価値についてですが、「人の心が動きやすい」のであれば、活用しない手はありません。しかし、デジタル化した仕事現場で「手」を意識することは意外と難しく、ツールとしてはキーボートとマウスだけだから、「手」はつくるというよりも作業(操作)に終始している。ブレインワークという言葉があるが、着想やアイディアは頭の中で、それをただ、ツールでオブジェクトにしている、デジタルデータに変換しているだけなのです。最初は手では生み出せなかった表現や組み合わせがモニターの上で次から次へと達成できる快感に陶酔していたが、ふと気づくと自分の手がPCにヤキモチを焼いていた。理論・理屈にバイアスをかけ、キーボードもマウスも手で操作している以上、「手づくり」だと解釈することもできるが、それは、本当の「手づくり」を体験・実感していない人だけに許された狭い小さな優越感でしかない。

 海外からの訪日旅行者が画一的な企画ツアーから体験型にシフトしているらしい。都市圏でもローカルエリアでも、猫も杓子も「体験型」を推奨しているのは、社会がマシン化し、アルゴリズム化してしまった結果、人間が本来備えている「感覚」がヤキモチを焼いている証拠なのだろう。やはり、どんなことでも「手づくり」には不思議な効果・効力があるのだ。

 ある書籍でフロイトが「文化こそが平和への糸口だ」的なことを言っていたが、「文化(文章化)」が人間の欲動を適正に抑制すれば、そこにはどんな均衡があるのだろう。その状況・状態を「平和」と呼ぶのなら、「手づくり」は創造と破壊のループだとも言えなくない。

 ただ、理論・理屈はさて置き、この手が動いている以上、つくらないという選択肢はない。

高評価。

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 「世界でも高評価の日本のグラフィックデザイン。その「現在」を見る展覧会」が開催されているらしい。と、このような展覧会だが、どうも私は「高評価」という文字に違和感を覚える。誰からの評価なのか?どの程度、数値的に高い(多い)のか?などは非常に曖昧で、ただ、「世界でも高評価の~」と言われても根拠は何?どこ?という違和感である。

 デザインの仕事を始めた頃(30年前)から、デザイン力を高めるためには良いデザインをたくさん見る、がセオリーであり常識だった。図録や年間を見て、「これが良いデザイン」だと刷り込まれてきたわけです。若い頃ならばそれで疑う余地も余裕もないから、「これが良いデザインだ」と鵜呑みにして、自分のつたない技術と感覚をここを手本に高めようで素直に純粋に納得できた。しかし、年齢を重ね、いろいろなタイプのデザインの仕事に長年従事してきて感じること、思うこと、考えることは、基本的に「良いデザインって何?」という自問自答・自己分析である。

 デザインの仕事を始める前も、美術学部美術学科の私は、「良い絵画とは何か?」を探求していた。個展をする、団体に加盟する、著名な先生のお膝元に鎮座するなどなど、いろいろな価値観・スタイルを知る事に、大きな違和感を感じた。なんだそれ!部活かっ!?と。

 さて、世界の中で「平和な国ランキング」を調査したところ、日本は第10位だった。第1位はデンマーク、そして、ヨーロッパの各国や北欧の各国が続く流れで第10位である。この設定背景は人口や経済指数や軍事産業との関連性などを複数の指標を総合的に分析しランキングされている。そんな確固たる数値的な根拠があるらしい。ならば、日本の平和度数は第10位なのかと納得できるが、いきなり、「世界でも高評価の日本のグラフィックデザイン」と言われても、あまりピンと来ない。

 つまり、「デザイン」と「ピン」をあまり関連づけない方がいいのである。デザインはもっと曖昧でいいのである。評価を一列に並べて優劣を決めるのは、別の狙いがあるからなのである。

ロゴデザインの現場

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 「デザイナーの制作領域の多元化はよりいっそう進んでおり、幅広い制作物に対応しつつ、「ブランディングの視点をもってトータルにデザインしていく能力」が求められています。企業やブランドだけでなく、地域、行政、教育、街づくりなどにデザインの力で参加し、貢献していく気鋭デザイナーの制作現場に密着。クライアントへのヒアリング、アイデアスケッチ、ラフ制作、プレゼンテーション、デザインの精緻化、ガイドラインの作成と、すべての工程を詳らかにすることで、デザイナーという職業の実際、そして「デザインの今」に迫ります。」~WEB内書籍紹介文より抜粋~

 確かに「多元化」は進んでいる。その実感があります。ロゴデザインの現場は実に幅広い。デザインの仕事を大きく2つに分けると、「想像的なゾーン」と「作業的なゾーン」に分かれます。これは現場で長年デザインという仕事に向き合っていないと実感できません。外から見ているとデザインの仕事は「想像的なゾーン」にフォーカスしてしまいがちで、「作業的なゾーン」を軽視する傾向にあります。地味な仕事というか単純だけれど重要な仕事を軽視して、どうも想像的で創造的な部分を一般的には煌びやかな存在として捉えがちです。

 しかも、この類の書籍で紹介されている、新進気鋭のクリエイターさん達の軌跡はとても煌びやかで羨むほどですが、実は煌びやかで想像的なゾーンの片鱗に過ぎないのです。実はもっと現場ではドロドロした試行錯誤が多発しており、成果として実現できなかった、いわば、優勝を逃した銀メダリスト達が蠢いているのです。優勝するコンテンツとは理にかなってクライアントさんからの要望が結実していますが、実はその次点以下のコンテンツも優勝の脈はあった。しかし、気分や無碍な理論で処理した結果、優勝(最終決定)しなかったのです。

 これらをイチイチまとめていては書籍として成立しませんから、商品として「ロゴデザインの現場」を広く認知させるために優勝した作品がこの書籍には盛り込まれていますが、実は、クリエイティブワークとして魅力やエネルギーにあふれていたコンテンツは準優勝だったことが多いのです。それらはつくり手の中に残留し、日の目を見ることなく消えていく作品達なのです。必然と言えば必然ですが、実は残らないモノ、残せなかったモノにこそ別ベクトル(次元)の魅力があった可能性が高いのです。

 ビックデータも同様です。残すことが技術的に可能だったモノだけが残っているに過ぎないのです。そこから生まれるビジネスや価値も当然、最大公約数に過ぎません。意外と見落としがちはゾーンなのです。

テンポ良く。

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 レベル的には決して高くない展開だと思いますが、自分なりにテンポ良く相手の手を読むことができ、コマの手順も無駄がなかったと思っています。もっとセンスのある手順があるのでしょうが、まだ、そのクラスには到達していません。4割打者まであと少し。(しかし、この勝率がなかなか遠いのです。)

フロイト様

 2016年6月10日初版の書籍「ひとはなぜ戦争をするのか」はこの文章で滑り出す。

 1932年7月30日 ポツダム近郊、カプートにて

 フロイト様

 あなたに手紙を差し上げ、私の選んだ大切な問題について議論できるのを、たいへん嬉しく思います。国際連盟の国際知的協力機関から提案があり、誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思える問いについて意見を交換できることになりました。このようなまたとない機会に恵まれ、嬉しいかぎりです。(本文より抜粋)

 本文と二つの解説(養老孟司さんの解説も含む)で全111ページの薄めの書籍ではあるが、このようなタイプの書籍を常に手元に置いておくことは、人生でとても重要なことだと思います。なぜ、巨人二人の手紙がこの時代まで残り、このような書籍になったのかについて、しっかり感覚を立てて読みたいと思います。

漫画「アトム ザ・ビギニング」

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 科学を語ろうとするとき、人間を語ろうとするとき、必ず、そこに「争い」を描かなければならないのは普遍の法則なのだろうか?「進化」は必ず「争い」の後に生まれている。その争いが大きければ大きいほど進化の伸び代に比例する。進歩や成長するためには必ず何か大きな代償が必要で、代償なしには進歩や成長は得られないという普遍の法則。そこには必ずドラマが生まれる。相反し、争いも憎しみも悲哀も悲劇もない世界を描こうとすると、その世界観は必ず「徹底的な管理者社会」となってしまう。強大な力により管理・支配された世界からは悲劇が生まれない変わりに、人間的なドラマも共感できる物語も生まれない。歴史上の巨人、AとFがこの部分にメスを入れているが、結局、巨人とて人間なのである。自分自身を切り刻むことは避けたいと思っていたのだろう。むしろ、それが人間の本質でいいわけなのだから。

映画「ジェイソン・ボーン」

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 最近、映画「オデッセイ(火星の人)」を観たところなのに、マット・デイモンが主役をする映画のサイクルのタイトさとレベルの高さが尋常じゃない。次から次へとこのレベルの高さをキープする俳優さんは他に思いつかない(とことんファンなのだから仕方なし)。この夏、最も楽しみな映画です。

伊吹山1合目にて

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 本日は天候も良いの午後から伊吹山へ。目標は山頂でパノラマ(360°)写真撮影でしたが、時間的に余裕がなくなり(体力的にも)、山頂を諦め3合目で撮影してきました。普段との登山と比較して、カメラ機材、特に三脚が重い。よくテレビで登山風景、それもかなり厳冬の過酷な状況で撮影をしておられるシーンを観ますが、あれはかなり相当の体力を日頃から鍛えておかないと無理だと思いました。まして、テント泊をしながら撮影をするという展開になれば、食料や宿泊の道具も自力で山の上にあげなければなりません。いかに屈強な体力と気力が必要か想像できます。

 さて、いつも休憩する1合目。今日は初めて見るワンチャンがいました。恐らくウチと同じ豆柴犬です。しかし、毛並み、表情、動き、目線、反応など総合的に判断すると、この豆柴犬は若手です。しかも、生まれて2年以内ぐらい。ああ、ウチのチョップ君にもこんな頃があったのか、などとしみじみした気持ちになりました。

 機材が想像以上に重く、足首に余計な力が入っていたのでしょう。今も両足首とふくらはぎがピクピクしています。次は、山頂でドローンを飛ばし空撮をする予定です。星空なども撮影したいですし、時期的に伊吹山の山頂あたりに蛍が飛ぶらしいのでそれも映像で納めたいですが、もう少し体力を上げておかないと厳しいことになるでしょう。

瀧澤材木店様現場見学会開催中!

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 長浜市口分田にて瀧澤材木店様の現場見学会が開催されています。期間は本日(18日)と明日の2日間です。「木の家」「日本の家」「瀧澤の家」を現場でぜひ実感してください。

 詳しくはこちらへ→瀧澤材木店様公式WEBサイトへ

最大の何故?

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 特典として養老さんの解説も掲載されているそうです。楽しみな1冊です。

 人工頭脳がチェスの世界チャンピオンに勝つ時代、いつか近い未来、AIは自意識を持ち、人間に質問するんでしょうね、「ひとはなぜ戦争をするのか?」と。

 フラミンゴが言っています。「歴史をつくるのはいつの時代も勝者だ」と。ほんとにそうなんでしょうか?偉大なる二人の巨人の間にどのような言葉が交わされていたのか?非常に楽しみな一冊です。

おじいちゃん。

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 すでに人間年齢で言えば70歳を超えている。先日の検診で関節炎と診断された。目もあまり見ていない、季節の影響かから水がなくなるサイクルが早い、高い段差でつまずく、うん、まるで飼い主のようです。共に年をとりましたね、チョップくん。

赤色!?

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 あれ?このユリの花、赤色だったけ?昨年は白色だったような記憶があるのですが、今年、なんだかつぼみが赤いなぁ~と思っていたら、やっぱり赤色の花でした。そんなことってあるのだろうか?記憶が間違っているのだろうか?最近、よくこういうことが起こる。ただ、記憶が曖昧になっているだけなのですが、逆に新鮮な気持ちになれる場合も多く、微妙に老化なのでしょうけれど、老眼であれ筋力の低下であれ仕方なし。ただ、記憶が曖昧になると、同じ場面でも新鮮な気持ちなれる、リセットされた気持ちになれるという利点があります。この年齢になると固定観念やら理論理屈に縛られがんじがらめになりつつある一方で、諸機能が低下・劣化していくわけですが、それもまた視点を変えれば、新鮮な気持ちを維持できる仕組み、マンネリ思考・マンネリ行動にメスを入れることができるとも捉えられなくない。モノゴト、すべて捉え方次第です。しかし、赤色だったけ・・・。

GRAVITY

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 昨晩、地上波初の映画「GARVITY」をテレビで観た。

 SF作品で海外では高い評価を得ている作品である。「オデッセイ(火星の人)」が記録を抜くまでは、この「GARVITY」が興行成績記録第1位だったらしい。ここまでの情報を意識し、いよいよテレビで観戦しようとした矢先に、「誰だ!お前は?」的な男性アナウンサーと俳優が「「GARVITY」」について語り出した。しばらく聞いていたが、見事にトンチンカンでナンセンスな説明内容に怒りさえ覚えた。それはこれから私達が映画を観て自由に感じる部分だから、それを改めて、映画が始まる前に何故ベラベラと語り始めるのか?その目的は何?SF映画だから、予備知識として、映画の魅力をご丁寧に噛み砕き、要約してくれるのか?その判断はテレビ局のプロデューサーの見解なのか、構成作家の意向なのか、そういうコンデションづくりが必要だと安易に軽率に誰かが判断した結果なのか?それとも、この俳優をたてて関連映画作品、もしくはテレビドラマの宣伝をしたいのか?いずれにしても、ポンコツ過ぎる。まったく必要がないこの冒頭の説明に、15秒でチャンネルを変えた。恐らく、この二人が映画を語り、おまけに番宣をしたとしても3分が限界だろうと判断して、3分間別のチャンネルに切り替えて、怒りを鎮める。そして、チャンネルを戻すと、まだ語っている。再度チャンネルを切り替えて30秒。チャンネルを戻すと、満足そうな二人は「さぁ、映画をお楽しみください。」というシメの部分だった。まったく、必要のないカットである。テレビ局も相当迷走しているものだ。

 ポンコツ二人の無駄な時間のことは忘れ、「GARVITY」に集中した。

 しかし、当然のこと、いい場面の展開中にCMが入る。ほんとにいい場面でトンチンカンなCMが入る。テレビだから仕方なし、なのだけれど、何故、テレビメディアが退化してしまったのか、この流れが原因だと改めて感じました。秀逸なSF作品に対して、余計な切り口で無駄なカットを入れ、世界最高峰の映画陣がつくり上げた作品を15分単位でぶつ切りにする有様。大好きなSF映画だったので、最後のシーンを観終え、「もっと楽しめたはずだ」と感じてしまいました。

 さて、今日は「GARVITY」のDVDを借りてこよう。「字幕なし」、「英語」で楽しもうと思っています。

 余談ですが、最近、テレビをつけると、ほぼ100%、芸能人がどこかで料理を食べて「美味しい」としか言っていない。まぁ、高そうな料理だから美味しいのは分かるが、「それがテレビ電波を使ってわざわざ伝えたいこと?」「それだけ?」とツッコミを入れてしまっています。

 最近、テレビの中に登場する人達の言葉や理論や論理やふるまいがあまりにも貧素・貧弱で、テレビ文化の劣化・退化はこのように進行しているんだ、などと感じています。

 さらに、AKBの総選挙の季節らしいが、彼ら彼女達のゴールはどこなんだろう?

 また、LINEが第1部に上場した、F.B.を超えるサービスを提供していくらしいが、さて、「超えて」どうするのか?こちらもゴール設定が分からない。ガラケーがあと数年で製造中止になって、第2期スマホ時代が到来するらしいが、それでも、私はスマホ以外の端末を探し出したいと思っています。

 映画「オデッセイ(火星の人)」の原作小説が届くのが待ち遠しい。

ワンオクライブ2016チケット

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 ワンオクライブ2016チケット、予約完了。大きな楽しみがひとつ増えました。

OODA LOOP

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 監視・観察→状況判断→意思決定→行動→と、このループが大切。

伊庭内湖上流。

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 さてさて、どうなることやら。

SPEEDLITE 430EX II

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 本日到着、一眼デジタルカメラ用のフラッシュです。上位機種なので相当の光量があります。さらに、本機とワイヤレスで発光同期するので、様々なライティングが可能になります。ほぼオートで使用する予定ですが、細かい補正やマニュアル対応も可能。特に絞り優先で背景にボカシを入れる場合はこの光量が圧倒的に有利です。これでさらに一眼デジタルテクを磨こうと思っています。さらに、料理撮影や内観(部屋)の撮影サイド補助ラインもLED照明を買いましたし、ピンスポット用にかなりの光量の携帯ピンライトも購入しました。これでほぼ磐石です。

 ちなみに、大光量(1020ルーメン)のピンライトはカメラ本体のボタンを確認するにも役立ちます。なんせ老眼なので、メガネをかけても小さいボタンが見えない。ピントはオートですが、モニターならルーペで確認できるのですが、なんせ、カメラ本体のボタンが見えない。これでイージーミスを0にしたいと思います。直径20mm、長さ120mm程度の携帯ピンライトなのですが、光学設計が秀逸でとてつもなく明るいです。1020ルーメンは頼りになります。

来週、第3戦ですが・・・。

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 来週は待望の第3戦ですが、どうなることやら。