手づくり。

 私も含め人は「手づくり」という言葉に弱い。

 弱いというか心が動かされるのです。何と比べて?マシンと比べてです。

 デザインの仕事について最初に始めた頃、仕事現場にマシン(PC)は無かった。すべて「手づくり」だったのです。だから、テクニックも必要だったし、デザイン感覚もプロレベルを習得する必要があった。そうこうしているうちにデザインの仕事現場にマシンが登場した。タイミング良く、私はデザインのアナログテクニックとデジタルテクニックの変換期に遭遇できたのだ。もし、そのタイミングが少しずれていれば、どちからに偏ったテクニックになっていた可能性が高い。また、デザインの仕事を始める前は美術(絵画)の勉強をしていたから、当然、デジタルなど介在しない世界だった。そして、幸運にもその変換期に東京にいたということも、あとあと大きな意味・価値があったのだと捉えています。

 さて、デザインにおける「手づくり」の価値についてですが、「人の心が動きやすい」のであれば、活用しない手はありません。しかし、デジタル化した仕事現場で「手」を意識することは意外と難しく、ツールとしてはキーボートとマウスだけだから、「手」はつくるというよりも作業(操作)に終始している。ブレインワークという言葉があるが、着想やアイディアは頭の中で、それをただ、ツールでオブジェクトにしている、デジタルデータに変換しているだけなのです。最初は手では生み出せなかった表現や組み合わせがモニターの上で次から次へと達成できる快感に陶酔していたが、ふと気づくと自分の手がPCにヤキモチを焼いていた。理論・理屈にバイアスをかけ、キーボードもマウスも手で操作している以上、「手づくり」だと解釈することもできるが、それは、本当の「手づくり」を体験・実感していない人だけに許された狭い小さな優越感でしかない。

 海外からの訪日旅行者が画一的な企画ツアーから体験型にシフトしているらしい。都市圏でもローカルエリアでも、猫も杓子も「体験型」を推奨しているのは、社会がマシン化し、アルゴリズム化してしまった結果、人間が本来備えている「感覚」がヤキモチを焼いている証拠なのだろう。やはり、どんなことでも「手づくり」には不思議な効果・効力があるのだ。

 ある書籍でフロイトが「文化こそが平和への糸口だ」的なことを言っていたが、「文化(文章化)」が人間の欲動を適正に抑制すれば、そこにはどんな均衡があるのだろう。その状況・状態を「平和」と呼ぶのなら、「手づくり」は創造と破壊のループだとも言えなくない。

 ただ、理論・理屈はさて置き、この手が動いている以上、つくらないという選択肢はない。