無限の住人。

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 いやいや、この世の中、知らないことが多すぎる。むしろ、知っていることが少な過ぎる。

 以前、あるセミナーでインストの方がこんなテストをされました。セミナー参加者には円を描いた用紙が配られ、「世の中にあるすべての情報がその円だとしたら、皆さんが得ている情報(知識)はどれぐらいだと思いますか?その割合をその円グラフに記入してください。」というテスト。

 私は迷うことなく円の中心に向かって一本のラインを引いた。これでも僭越だと思いつつ控えめに。

 しかし、セミナー参加者の中にはその円グラフの50%ぐらいまで塗りつぶしている人がいるのを発見してびっくりした。中には「円グラフ」自体を理解していないのか、円の上(内側)の部分を15%ほど水平に仕切る人もいる。恐らくこの人は「円グラフ」という知識が上部15%に入っていないのだ。

 さて、インストの方は皆様が自分の知識をどう捉えるかで、思考や行動に大きな作用・影響があります。私もこのテストをいろいろな会場で、「つかみ」として行っていますが、さすがに円を全部塗りつぶした人には出会っていませんが、そこの50%の方は「なかなか」ですねと。失笑しておられました。

 このテスト、正解はないのだから、失笑の意味はだいたい予想できるものの、世の中の情報に対する自分自身の捉え方で、その人の「世界観」が推測できるというアプローチだった。

 さて、「無限の住人」という作品を私は数日前まで知らなかった。ネットで検索していけば、かなりの相当の作品である。ひとつのブームにもなって、実写映画も決まったらしい。知らなかった。

 現代は情報社会だと言われている。知らないことはインターネットの中にすべてあると言われているが、ほんとにそうだろうか。これも推測だが、世の中の古今東西の出来事がすべてインターネットの中に情報として存在するためには、人間は「無限の力」を手に入れなければならないはず。しかし、人間が不老不死の能力を手に入れた状況で、さて、「情報」には価値があるのか?となる。「知らないことがある」という認識が「情報」を有効化するのであって、誰もが迷わず円グラフを塗りつぶすような時代が来れば、「情報」や「知識」は価値を失うのかもしれない。

 これは正に「ウルヴァリンの苦悩」である。死ぬから生に価値が生まれるのだ。

 明日、「無限の住人」の第1巻が到着する。楽しみである。