自然科学と人文科学。

 新聞を読む習慣は情報・知識を蓄えるという効用がある上、日頃の思考を具体的に文字にして気づかせてくれるという効用もある。世の中に流通しているゴシップや思考のような規範をある特定のライターが文章にしているのだと捉えることができれば、それは鮮度の高い捉え方・視野の外からの有益な刺激と解釈ができると思います。どれだけ教養・記憶を豊富に蓄えた人であれ、知らないことすべて知ることは不可能である。知らないゾーンにある未知のルールを適用し誰かが階層化してくれることで、自分の意思・能力に関係なく、優先順位が浮沈しているとしたら、それらはまるで空から落ちてくる雨のように気まぐれで、地球上の循環機能というシステムの中で意識と無意識、認知と不認知の均衡を交錯する作用があるのだろう。

 エドワード・O・ウィルソン著「ヒトはどこまで進化するのか」と書籍がある。日経新聞のサイエンスライター内田真理香様の記事が曖昧な思考を明確な文章として意識化させてくれた。この著書はいずれ購入し読むとして、その紹介文がとても素敵だったので全文抜粋します。


 「自然科学は私たちを救ってくれない「冷たい」学問だと感じる人も、人文科学を「役に立たない」と考える人にも手のとってほしい一冊だ。著者のウィルソンは生物学の大家であり、さらに自然科学と人文科学を統合する社会生物学などの概念の創始者でもある。本書はその大胆とも思える説をもとにしながら、人間が存在する意味という大きな問いに挑む。
 38億年前に誕生した生物の進化、私たちが普段気にとめることがない微生物、地球上に存在する多様な生物、さらにET(地球外生命体)の存在の可能性。本書は、時間も空間も広大な話題を交えつつ、ウィルソン生物学の世界に引き込んでいく。
 その内容は以下のように多彩だ。集団のために分業するアリの社会的な生態は興味深いが、中でも他種のアリを奴隷にするサムライアリの戦略には驚かされる。ETの存在の可能性を探りつつも、ETが地球上のヒトと接触する可能性はないという。なぜか。偶然や幸運の積み重ねの結果で進化した人類は、体内に存在するものも含め、共生微生物が必須だ。地球外にもし知的生命体が存在するならば、人類と同様の進化を遂げているはずであり、ETは独自の生態系を形作っていると考えられる。従って、相容れない知的生命体同士の接触は破壊的な結果をもたらすと予測する。
 最近の心理学などの知見からは、人類が進化したのは、社会的知能を研ぎ澄ませ、集団の生活率を高めたためだといわれている。人間は人間に魅せられるからこそ、物語やゴシップやスポーツを好む。同族意識があるからこそ仲間内で協力もするが、その同族意識は集団外への攻撃、つまり現在も頻発するテロや紛争の源泉ともなる。
 ただし、ヒトの行動が科学的に解明されたとしても、新しい技術が生み出されたとしても、自然科学はそれらに対して価値判断を下すことはできない。同族意識が備わっていることが差別をしてもよい理由にはならない。バイオテクノロジーが発達しても、闇雲に利用すべきだと判断はできない。これらは人文科学の領分である。
 「自然科学の発見し分析する力に人文科学の内省的創造性が加われば、人間の存在は高められ、どこまでも実り多く興味深い意味を持つものになるはずだ」と著者は説く。これは夢物語だろうか。いや、人類は協力しながら進化を遂げてき。これからも自然科学と人文科学が協力することで、私たちの新たな展望が開かれることだろう。」と記している。

 人間の想像力が未確認知的生命体の存在を描き、多くの仮説(メッセージ)を投げかけるのも、人間への普遍的な同族意識故の現れだ。平和を求める故の争い、かのフロイトでさえ「戦争は必然」という意味合いの言葉をある書籍に残しているのを読んだことがある。人間の暴挙を生命の尊厳を踏みにじるような思考を受け入れることは不謹慎であり、決して共鳴はできないが、誰しも「新たな展望」を期待していることに依存はないはずだから、自然科学と人文科学の融合的知見がその呼び水になり強く太い本流が生まれ無価値な暴力が根絶されることを期待したい。

 原題「The Meaning of Human Existence」という書籍である。