2016年10月 アーカイブ

このタッチ。

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 このタッチ、やはり、なんか、落ち着きます。

南新宿へ。

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 ひさびさに南新宿へ。人と会うため道端で人ごみを見ながら、時間を潰していた。

 東京はいつ来ても人が多いなぁ~と感じた。そして、それ以上先に思考が展開しなかった。

 一見、あらゆる情報が飽和・氾濫しているようで、実は虚無な街なのである。

進化とは?

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 人間にとって「進化」という変化がどのような作用を及ぼすのか?必然か偶然か地球上に君臨してしまったゆえの永遠の苦悩である。「権利」と「責任」の狭間で揺れ動いてきた人間の歴史とあと数十年で起こりうるだろう進化予測。心に響く下りが多く、本文が赤いラインだらけになってしまったので、また、しばらくしたら改めて読み返したい一冊です。

ノーコメント

 世の中に存在する数多の権威ある受賞式。はたして、突き詰めると誰が得をするのだろう。

 ノーコメントを貫き沈黙を守る人、勘違いし色気を催す人、術も縁もなくスルーする人、脇目も振らず盲信・猛進する人、まるで「受賞」とは心を変質させる魔法の薬である。

素朴な何故?

 素朴な疑問。すべての競技において、「より早く」「より長く」「より大きく」が何故、大前提なんだろう?

 この考え方は単にバスフィッシングトーナメントで私が大きいサイズのブラックバスが釣れないひがみなのですが、もし、「より大きく」というルールではなく、「より小さく」という競技ルールだったら何か問題があるのだろうか?いや、私が無知なだけで、「より小さく」で競うと大きな問題が過去に発生し、「より大きく」というルールに落ち着き、現代の主流になり、私達も当然その価値感・スタイルを常識として受け入れているのだ程度のことなんだろう。だって、競技なんだから普通常識的に考えて「小ささを競っても楽しくないでしょう!」というのが通念の感覚だということは分かっていますが、私のような極端に偏屈者天邪鬼野郎はそんな根底を覆し、「競う」という視点なら、「より小さく」でもいいじゃん!などと開き直っています。勝負事で勝てない人間、勝てる脈の少ない人間はこのように、とことんまでひねくれた発想をするから非常に危険です。

 この発想で言えば、「優れたデザイン」という常識についても疑問がある。

 「デザイン」や「アート」とは本来、優劣を決めない。決めないことが大前提で「決められない価値」があるはずのモノだと捉えています。それを代価や言葉(評価)で実しやかに優劣を決めるものだから、本来の価値ではない部分に光があたる。では、本来の価値、本来の視点ってどこなんだ?というお話ですが、それは、ひとりひとりの心の中にあり、決して、言葉にできない個人的な感覚として受け取っているモノ。それをわざわざ言葉や数値に置き換えて共有し、優劣を決めたいばかりに、個々の心の中にあった鮮度の高い美しい感覚が、濁り、淀み、硬化し、汚れるのです。

 「優れたデザインの仕事」とは、受け取った人がしみじみとまったりと手の中で、いつまでもあたためてもらえるようなモノだと私は思います。

 人と人、常識があればあるほど、教養があればあるほど、余裕があればあるほど、ボキャブラリーがあればあるほど、策略・戦略が多ければ多いほど、合わないのが常。そんな人と人が何かで競う時、やはり、常識・ルールは大切なんですね。

次世代!

 任天堂が「次世代のゲーム」を新発売しメディアで披露するらしい。

 「次世代」、非常に曖昧で魅力的な言葉である。

 「次世代のスマホ」「次世代のテレビ」「次世代の経営術」「次世代のビジネスモデル」。

 いずれも魅力的な響きです。

 時間は誰にも止めることができない。そして、未来は誰にも予測不可能である。これがあらゆる思考の大前提です。ゆえに、不安や期待が価値観を増幅させ失速させるというシクミ。

 乱暴な言い方かもしれないですが、次世代のことは次世代に任せておけばいい。次世代は今の世代が思い悩んでいるほど無能ではなく、むしろ、過去の現代の悪いサンプルを排除し、自分達に有益で有利な情報をしっかり精査しているに違いない。当然、不安もあれば焦燥もあるだろう。しかし、それはどの世代も同じだったはず。自分自身、多くのあたたかい手ほどきや恩恵を授かり今があるのだと捉える反面、自分の可能性を自分自身で切り開いて、ひとつひとつ実感し能力に変換してきたという自負もある。恐らく、次世代の皆様も同じ。

新記録達成!?

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 この日曜日は4月から参戦している7パームスさんの第6戦(最終戦)でした。これであとは11月6日(日)に開催されるファイナル戦(各6戦の上位入賞者のみ)になりました。さて、2016シーズンの総決算ですから、気負わずいつものマイスタイルで3匹合計寸法100cmを目指して頑張ります!

 年間ランキング成績も、のべ100名の参加者(全6戦)中、16位とまずまず納得の位置。5月だけを欠席してしまいましたので、来年こそはフル参戦(全6戦)で年間ランキングシングル(第9位以内)を目指したいと思っています。

 このバス君は日曜日の大会中に釣れた赤ちゃんバス。普通の仕掛けにこのサイズが釣れちゃうんですね。なかなか将来有望な勇ましいチビ君でした。私もたくさんブラックバスを釣ってきましたが、これはダントツの最小サイズ、新記録達成でした。

 このサイズを釣らせたら年間優勝間違いなし!?

登録承認完了。

 「しがクリエイター情報データベース」サイトへの登録を承認していただけた。こちらがその中のマイページです。

http://www.shigaplaza.or.jp/creatordb/profile?creator_id=186

 いろいろなエキスパート・プロフェッショナルな方が登録されていて、皆様、素晴らしい経歴です。素敵な出会いがあることを期待しています。

 まだ、登録作品数が貧弱なので時間をつくって過去の作品をアップしていきたいと思っています。しかしながら、自分の作品と言ってもけっこういろいろな仕事をさせていただいてきたので、整理するのが大変です。個人的に印象的だった作品を紹介すると偏るし、たくさんの種類を網羅してもポイントがズレる。「お前はどんな仕事をしてきたのか?」というお問い合わせに対して、「なんでもやります!」では、工夫がないし、「この仕事は自信があります!」でも、なんとなく、クリエイティブな印象が弱い。過去の実績を整理するって、意外と難しい。

アポリア。

アポリア(aporiaギリシア語)

 ギリシア語の原義は「行き詰まり」、すなわち、問題が解決困難な状態のこと。ソクラテスは、対話によって相手をアポリアに陥れ、無知を自覚させた。相手は、ソクラテスの問いに導かれて、自分の生き方についての自分の意見から、論理的に矛盾が生じることを認め、途方に暮れた。

という説明文がこの言葉には添えられている。

 人間は昔から苦悩していたのですね。むしろ苦悩こそが人間の証なのかもしれません。そして、他の生物にはない能力であり特権なのかもしれません。

生態系。

 「生態系」という言葉を人間はつくり出し、自分たちの都合で弄んでいる。

 そもそも「生態系」を人間は操作できないのに。

 昨日、ひさびさにテレビに「ブラックバス」が登場した。さすが、読売テレビである。

 しかし、その捉え方は「フィッシュイーター」として生態系を狂わせている元凶だという解釈である。まぁ、ブラックボックスをスルーしているテレビ局よりも意欲的だと捉え、その結論は飲み込んだが、そもそも、「ブラックバスvs人間」の抗争はどこからいつから始まったのだろう?

 「生態系」を人間が認知・理解・解釈しようとする際に生まれる不協和音が実はあらゆる違和感の元凶だとしたら、人間はどこか他の惑星に移住するべきなんだろう。荒唐無稽な考え方だが、自然の驚異の前になす術を失い、無力化されるごとにその無力さ加減を嫌悪しているゆえに、人間の思考能力では絶対に正解は出せないのだろう。しかし、近い未来、AIが自己を持ったらどうなるのだろう?

 そんなことを考えながらブラックバス釣りの大会に参加している私も生態系のワンピースなのだ。

ライアン・レイノルズ。

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 昨晩、映画「デットプール」を観た。ひさびさに連続して2回観た。しっかりキャラを創り込んだ上で、テンポも設定も展開も良かった。ああ、こう来るのかと。アメリカの映画づくりの根底に流れている魅力を体感できた最高の作品だった。

 このノリ、X-menともアイアンマンともスパイダーマンとも違う、新しいノリである。今夜も恐らく観るだろう。ライアン・レイノルズ、ほぼ最高である。モラル的に倫理的にちょっとづつ違和感があるが、それがまたマイナスになっていない、そこがほぼ最高なのである。

マンガで解説。

 「マンガ」の歴史は印刷技術が誕生してから、ヨーロッパの風刺画あたりが起源で、そこから各国の文化や歴史が反映され進化している。特に日本のマンガは世界各国で評価が高く、それぞれの作品が確固たるビジネスモデルとして成立している。

 物語などの作品としてのマンガと「マンガ表現」「マンガ手法」を取り入れたビジネスツールやコミュニケーションツールの普及・浸透も多種多様であり、どの場面においても「マンガ」という表現手法が何かを誰かに伝える場合に非常に有効なのです。

 さて、「マンガで解説」という書籍もよく書店で見ますし、ネットでも新聞でも、マンガで伝えたいことを物語化しわかりやすく、言語情報と非言語情報を巧みに組合わせています。イラストレーションとマンガの違いはタイムテーブルがあることやセリフがあり、それぞれに個性(キャラ)の設定ができるなどの特徴があるのですが、ここの部分、なかなか頭で理論理屈で生み出せないゾーンであり、描き手の気質や本質が露呈するので、自分に嘘がつけないデリケートなゾーンです。

描画用ソフト。

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 これはある描画用ソフトのサンプルイラスト。

 このソフトを使うとこんなクオリティーのイラストが描けますというサンプル。

 良い意味で誤解させる、期待させる効果はこの絵にはあるのですが、実際、この描画用ソフトを使ってこのクオリティーのイラストが描けるのか?についてはあまり考えない。いや、考えさえない戦略を感じるサンプルイラストです。さらに、このクオリティーの絵を描けたとして、それが仕事にビジネスになるのか?という部分はまったく次元が別で、釣りが上手でもそれで飯は食える!?という現実問題が残ります。

 なぜ、そう実感できるのかと言えば、過去にその誤解でたくさんソフトを自分自身が買っているからです。ひいき目に見て、全滅ということではなく、50%ぐらいは稼ぎに繋げられているものの、残りの50%は「良い経験」で終わっていいます。しかし、知識やテクニックは案件が発生してから入手・習得・装備していては遅いのも現実。だから、無駄打ちになりそうな予感がムンムンでも、ただの「経験のひとつ」で終わっても、気になったら触手をのばさなければならないのです。

 この意識、デザインの仕事に限った捉え方ではないと思います。

ワクワクドキドキ。

 夏バテなのかここ3日間ほど体調が悪かった。9月中盤で少し涼しくなったかと思っていたら、日替わりで暑くなったり、体調管理が難しい季節の変わり目でした。涼しくなったから夜、気まぐれに走り始めたら右足(股関節)の調子が悪くなり、気圧の変化も激しく雨もけっこう降ったので、その影響で偏頭痛も日替わりだった。毎日の運動もセーブしつつ、なんとか9月を乗り越えました。ライブも行ったしゴルフも行った。新しいパソコンも買ったし仕事も忙しくさせていただけた。そんな9月でした。

 今日から10月。2016年もあと3ヶ月。すでにクリスマスケーキ販売促進関連の仕事も終えている。年末のことも意識し始めてしまいます。

 そんな中、ワクワクドキドキできることも貪欲に探求し、思考と行動を繰り返しているのですが、必ずしも世の中の「ワクワクドキドキ」と、自分自身の「ワクワクドキドキ」が連動・連鎖しない私は、良い意味で自己中心的にワクワクドキドキできることを物色しています。このマイペースさ、習慣(偏屈な)、ルーティーン(独自の)は改めて考えてみると若い頃からほぼ同じで、この9月を振り返っても、3年前を振り返っても、30年前を振り返っても(可能な限り)、同じです。

 今、一番のワクワクドキドキは、今更ではありますが、10月中に入手しようと予定している「スマホ」です。機種はエクスペリア(アンドロイド)かなと思っていますが、今更も今更、ガラケーが製造中止のタイミングでスマホに変えるわけですから、マラソン大会で言えば最後尾スタート。スマホの活用術で先頭集団に食い込む気持ちがないからなどと、いじけたスタート。もう、スマホの機能面は相当安定しているし、世の中的にはほぼ浸透し尽くしている状態での、つまり、スタートの号砲が響き、皆様がスタートをしてから、さぁ、そろそろスタートしようかな?あれ?もう誰もスタートラインにはいないぞ!という状況です。スマホユーザーとして最後尾からスタートした私が、あの端末とどう仲良くなるのか?まるで合コンのようなお見合いのような気持ち、そんなワクワクドキドキなのです。

 さて、10月も仕事を頑張ろう。お見合い相手、器量が良く相性が良いことを願っています。