素朴な何故?

 素朴な疑問。すべての競技において、「より早く」「より長く」「より大きく」が何故、大前提なんだろう?

 この考え方は単にバスフィッシングトーナメントで私が大きいサイズのブラックバスが釣れないひがみなのですが、もし、「より大きく」というルールではなく、「より小さく」という競技ルールだったら何か問題があるのだろうか?いや、私が無知なだけで、「より小さく」で競うと大きな問題が過去に発生し、「より大きく」というルールに落ち着き、現代の主流になり、私達も当然その価値感・スタイルを常識として受け入れているのだ程度のことなんだろう。だって、競技なんだから普通常識的に考えて「小ささを競っても楽しくないでしょう!」というのが通念の感覚だということは分かっていますが、私のような極端に偏屈者天邪鬼野郎はそんな根底を覆し、「競う」という視点なら、「より小さく」でもいいじゃん!などと開き直っています。勝負事で勝てない人間、勝てる脈の少ない人間はこのように、とことんまでひねくれた発想をするから非常に危険です。

 この発想で言えば、「優れたデザイン」という常識についても疑問がある。

 「デザイン」や「アート」とは本来、優劣を決めない。決めないことが大前提で「決められない価値」があるはずのモノだと捉えています。それを代価や言葉(評価)で実しやかに優劣を決めるものだから、本来の価値ではない部分に光があたる。では、本来の価値、本来の視点ってどこなんだ?というお話ですが、それは、ひとりひとりの心の中にあり、決して、言葉にできない個人的な感覚として受け取っているモノ。それをわざわざ言葉や数値に置き換えて共有し、優劣を決めたいばかりに、個々の心の中にあった鮮度の高い美しい感覚が、濁り、淀み、硬化し、汚れるのです。

 「優れたデザインの仕事」とは、受け取った人がしみじみとまったりと手の中で、いつまでもあたためてもらえるようなモノだと私は思います。

 人と人、常識があればあるほど、教養があればあるほど、余裕があればあるほど、ボキャブラリーがあればあるほど、策略・戦略が多ければ多いほど、合わないのが常。そんな人と人が何かで競う時、やはり、常識・ルールは大切なんですね。