内側と外側。

 以前読んだ福岡伸一先生がその本の中で「口から肛門は身体の外側」だと言っておられた。一般的には食べ物を口の中に入れているという感覚なので、口から肛門までは身体の内側だと思い込んでいたら、福岡先生の捉え方は違っていて、身体の内側というのは口で咀嚼し胃で消化した食べ物が腸壁で栄養分として吸収された先が身体の内側なのだそうです。新鮮なこの捉え方に視界が広がった。

 で、この文章を読んでから、いろいろな場面でいろいろなモノの「内側と外側」について意識するようになった。

 今まで内側だと思っていたのが実は外側だったり、外側だと捉えていたことが内側の出来事だったりするのではないかという意識・捉え方の確認作業です。

 すると、身体の内側と外側の構造のように、「心」も内側外側構造になっているような気がした。

 心の内側とは他人には見えない聞こえない感じることができない閉塞的なスペース・ゾーンで、外側とは言動や振る舞いなどで外から(他人から)見える・感じられる存在。心の存在についてはどのように捉えているかについては個人差があるだろうし、理論理屈で機能や能力として捉えている人もあれば、曖昧なイメージでぼんやり・ざっくりとした捉え方をしている人もいるだろう。実際、「心とはこういうモノだ」とか「心はこうあるるべきだ」などの文字表現で心を明記・規定・定義する人もいれば、「なんだかふわふわしている空気のようなモノ」などように概念で捉える人もいるだろう。それほど「心」とは実際に存在していろいろな感情を生み出す機能がありつつも、ではさて、どんなモノだと聞かれると、明確に答えることは難しい存在なのだと思うのです。

 だから、当然、個人差があるだろうし、共有できることって結局、外に出したことのみだから、心を共有することは実際は不可能で、言葉や感情などをお互いに外側同士でアウトプットしたボールをキャッチボールしているだけなのです。「上手く言葉にできませんが」という注釈を言ってから、食レポしているタレントさんなどをテレビで観ると、心が感じた信号を誰かに伝える、つまり、心の内側から外側に出すテクニックってかなり複雑で難易度が高そうだなと感じます。

 私は医学にまったく精通していないが、家庭の医学レベルの知識で、栄養バランスの良い食生活が健康維持には有効で、偏った食生活や暴飲暴食を繰り返していると結局、そのダメージが健康を害するってことレベルは知っている。心も同様に漠然と捉えず、概念として内側外側構造になっていると捉えると、理論理屈も曖昧なイメージも結構整理し比較し捉えることができます。

 これの捉え方はどこかの心の専門家がしっかり理論立てて構築した構造理論ではないので、どこから内側でどこから外側なのかも説明できませんし、ただ、漠然と内側と外側を意識して比較しているだけのレベルです。実例や実験を繰り返し調査・検証し、そのデータを解析した理論でもないのですが、福島先生のお話をきっかけに、モノゴトの「内側と外側」を改めて再認識して、それを心に適用してみると、意外と日常生活や仕事でのモヤモヤした思考の流れが整いましたという、まったく個人的な自論です。

 さて、今日は12月30日。今年もあと1日。無事、年賀状も出せたので、明日はこの「内側と外側」の捉え方で書き溜めたメモを少し掘り下げ、少し覚醒させて2016年の締めのブログを数本書き出したいと思っています。