結局、役に立つコンテンツ。

 いまやネット上には130兆ものページがあるらしい。利用者に見つけてもらうために検索結果で上位にヒットさせる必要があり、そのためのテクニックがSEO対策である。本来は利用者が目的の情報を見つけやすくするための技術なのだがそれを逆手にとった輩がいるのです。

 とにかく、エンジンの上位にヒットした情報が有益だという仕組みになってしまったのだ。エンジンが情報を精査するアルゴリズムに悪意はなく、本末転倒な状況ではあるが、世の中、特にネットの内側がそういう仕組みになっている以上、外側では何も打つ手がない。つまり、ネットの情報は結果、「そういうモノ」なのだ。今更、キーワードを乱用した情報や無断複製があるページの順位を下げたところで、悪意の根源は消えない。

 このような事件が生まれる度に専門家や関係者は「結局、役に立つコンテンツをつくることが重要なんです」的な弁でお茶を濁すが、まず、「乱用」と「無断複製」が生まれる根を絶たねば、悪意はネット上から消えなし、情報が「役に立つ」ベクトルで浄化されることもない。情報とは結果「そういうモノ」だと学習し、情報の裏にある真実や気骨の部分を見極める必要があるのだ。「役に立つ」という捉え方も、千差万別百花繚乱だから、どこまでもケースバイケースな状況にどのようにワンバイワンで対峙すればいいのか?「結局」ってどの座標を言っているのだろう?となる。ここもグリット次第。

 恐らく何をどう考えても悪意が人間の心から消えない以上、AIの中にも悪意が蔓延るだろうし、役に立ちたいと純粋に取り組んでいる人でさえ、世の中の情報から「悪意」が消えなければ、情報発信ツールとしてのネットに失望するだろう。想像の産物、かのゾンビでさえ死んでるはずなのに悪意が感じられる。人間とは結局、そういうモノなのだろう。

 大きな力と悪意は紙一重なのです。

 と言いつつも私の中にも「悪意」があるわけですから、できるだけ「善意」に頑張っていただき、「悪意」が致命的な失敗をしないように仲良く見守っていくしかないのである。

 正に「フォース共にあれ」なのである。