言葉にする力

 「その気持ち、ちゃんと伝わってますか?」というD社のコピーライターが書いた本がある。

 コピーライターとして数々の受賞経歴があり、想いを伝える秘訣を教えてくれるそうです。まぁ、ここまで書き出した段階で私がこの著者の気持ちをちゃんと受け取っていないのは歴然なのですが、「言葉にできることが武器なる」という切り口はおおむね実感できるし、あの場面でもっと上手く伝えられたらあんなトラブルにならなかっただろうという後悔はあとを絶たないものの、このタイプの著者の気骨の部分が見えない私はどうも斜めに捉えてしまう。ここが私のいたらぬ悪い癖なのだが、私は言葉よりもちゃんと伝えるためには意識しなければならないモノがあると考えている。

 確かに言葉は大切です。「会議で発言する」「営業先でプレゼンする」「面接で自己アピールする」「異性に想いを伝える」「SNSで「いいね!」をもらいたい」これらすべて程よく実現し習得したい技術ではあるが、そこまでの経歴の著者が「武器」という言葉をチョイスしていることにちょっと違和感を感じる。

 少し話の脈がずれるがD社の社長が例の事件の責任を負い辞任した。そんな超巨大企業で仕事をしていた優秀な人材が仕事が忙しいからという理由で、自らの命を断つのはちょっと自身の感覚として違和感がある。優秀であるか否かは別次元なかもしれないし、超巨大企業だから就業規則や雇用条件と現実の就労環境に深刻な状況があったとも想像しにくいからだ。恐らく、同じ条件でも逞しく仕事をこなしている人もいるだろうし、その逞しさが身体能力に依存するのか精神構造に依存するのかは不明だが、ただ仕事が忙しい、職場の環境で追い込まれたからと言って自ら命を絶つというのはいかなものか。語弊があり偏った考え方かもしれませんが、私ならそこまで無理をしなければならない状況なら思い詰める前に会社を辞めるだろう。そこまでの状況になる前に予感や推測できただろうし、使命感があったにせよ、自分の命はひとつである。それを犠牲にしてやらなければならない仕事などない。目的と手法が交錯し混乱していたのではないだろうかと感じた。

 そこで、その責任を負って社長が辞任するというのもいかなものだろうか。これもよくあるパターンだし、結局、社長は言葉にできなかったから逃げたのである。

 しかし、戦国時代なら首が落ちて切腹するような状況である。この社長は結局、真意を隠し、言葉にすることなく自分の命を守り、優秀で真面目な社員さんは自らの命を絶ったのである。

 多かれ少なかれこのムードはこの国の美徳として捉えられているものの、この本の著者がいくら「言葉は武器になる」と言ったところで、それは本太刀なのか脇差しなのか?と問い詰めたくなる。

 対戦ゲームの仮想空間で華奢なヒロインが自分の背丈よりも長い太刀を振り回しているシーンを見かけるが、あのサイズの太刀を振り回せるのは現実ではありえない。仮想空間だから譲るものの、武器を描くならばその重量や質感も大切だと思う。操作レバーひとつで自分の身長以上の太刀を振り回し、迫ってくる敵を叩き切るのは爽快だが、その爽快さも脳は非現実だと知っていながら、興奮する臓器なのである。この仕組み、この構造を利用している以上、本当の武器は使いこなせないし、本当の敵も倒せない。

 私は言葉にするテクニックも大切だと思うが、登山道を登り始め荒くなる鼓動、ボートの上で感じる魚の感触、100mのスタートラインで全体重が両手にかかる実感こそが重要で、デザインの仕事においても、理論理屈を削ぎ落とした骨の部分でつくることが重要だと思います。成果物が優れている優れていない、つくり手として評価されるされない、受賞経験があるないはすべて終わったこと。

 何回も折れて太くなった骨こそが最大の武器だと。気骨の強いつくり手でありたい。

 そして、逃げ足の速いスプリンターでもありたい。