2017年04月 アーカイブ

その気

この気なんの気 気になる気
名前も知らない 気ですから
名前も知らない気になるでしょう

この気なんの気 気になる気
見たこともない 気ですから
見たこともない花が咲くでしょう

しかし、その気は名前が付けられ見事な花を咲かせている。
その気とは「ネットの中の表現者」である。

そもそも表現者とは孤高の思考と秀逸なセンス・テクニックで
その存在感を示すしか手立てがなかった。
しかし、ネットの中に存在する多くの人が「表現者」になる術を得たのだ。

それれはそれは見事な花である。

表現者になることに躊躇していた人達だからこそ、
その中にある想いは地下に眠るプロトニウムよりも強く偉大である。
ネットデバイスが与えた「その気」は仮想空間で開放され百花繚乱。

ゆえに、悲劇も喜劇も多い。

表現者のツールが刀なら間合いを見極める能力が必要だったのだが、
このツール、一瞬で数光年先の惑星さえも滅ぼしかねない。
たかだか半島の微力な国でさえその気になってしまい、
世界の驚異という称号を得てしまうのだ。

その気さえあれば、誰でも大きな木になり美しい花を咲かすことができるのだ。
仮想空間の中で。

ただ、木には根があり、花が結実することを忘れてはいけない。
根には水が必要であり、実は次の芽になるのだ。
残念なことに、仮想空間の中に水はなく、「次」もない。
そのことを黙認させるだけの刺激が仕組みの中にあるからこそ
「その気」になれるのだ。

電気は地球上からは絶対になくならないという大前提がシャットダウンした時、
再起動スイッチをもっていれば、次の花を咲かすことができるだろうが、
花を咲かすためのテクニックを電子に頼るのは表現ではないような、
そんな気がする。

ああ、良かった。

 アマゾンの牙城が揺らいでいる。振込詐欺の手順も巧みになっている。海外からの日本を見る視点も複雑になっている。皆が皆、生きるために試行錯誤を繰り返す。それぞれ善意か悪意あれど、そのエネルギーこそ人のそれである。

 一方、本質が露呈し自爆していく人がいる。ドンキホーテならまだ美学もあるが、彼の自爆劇は見事だった。足ひとつ踏み込めない地雷ゾーンに彼は素足で踏み込んだ。本来、危険を察知する能力や今自分がいる場所はどれだけ危険でデリケートなゾーンなのかを普通、過剰に警戒するのに。AIがいずれ彼らの仕事はすべて奪うのは時間の問題だとしても、そのポンコツぶりはあっぱれとしか言葉が浮かばない。

 このネット時代、メディアの方達はそんな千鳥足の羊を絶対に逃さない。彼は一斉放火を浴び、素足で地雷を踏み見事に木っ端微塵。ある意味、あのインタビュー映像は胸のすく心地良い瞬間だった。彼らの本質を象徴していた瞬間だったからだ。

 ペンという槍を構えた軍勢に手持ちのコマは脇差一本しか持っていなかったのだ。結局、脇差の潔い使い方もできぬまま、いつも悪い嘘をついていたから、針千本の槍に串刺しにされたのだろう。恐らく、痛いと感じる前に、「なぜだ?」と自問する前に、すでに息絶えていたのだろう。彼はすでに死んでいたのだ。1億人の平成維新軍がいることをその仕事についている人は一時も忘れてはいけない。言及すれば、それのみが皆様のタスクなのだから。

 ああ、舌先三寸、口八丁で稼ぐだけの仕事でなくてよかった。

独創性

 アートやクリエイティブの世界では個々の独創性がひしめき合っているのだろうと想像していた。若い頃、自分の中にある独創性を磨き、誰よりも優れたクリエティブワークを生み出そうと努力を重ね、貪欲にいろいろなモノを観て、自分の好奇心や直感を信じて思考と行動を繰り返していた。新しい発見や新しい感動を得ることで自身の独創性が少しずつ確立していくのだろうと。しかし、探求し追いかければ追いかけるほど独創性の実態が分からなくなった。決して、諦めたわけではないが、どうやらこの辺で独創性を追いかけるのを一旦止め、自分の歩いてきた道を振り返り整理するタイミングなのではないかと考えている。独創性という言葉が存在しているわけだから、その言葉の真価はどこかにあるのだろう。この言葉が生まれたの要因がどこかに今でも存在しているだろうし、独創性を追いかけてきた全ての人達が私のように迷子になり、「そんなモノ、実はどこにもないんじゃないの?」とは考えてはいないはず。今でも独創性を信じている人達は、日夜、切磋琢磨し精進を繰り返しているはずだから、あまり軽率で冷めた言い草は不謹慎だ。しかし、本当に独創的な何かに出会ったら、私はそれを独創性と認識することができるのだろうか?それが分からない。

 これはただの老化の兆候なのかもしれないし、「Just sleep on it!」である。

ドローンで空撮

平均値と偏差値。

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 こちらはある統計データで「デザイナーの年齢別年収」。

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 そして、こちらが「偏差値」を割り出すための基本グラフ。

 いずれも、明確に相対的な数値で座標を知ることができる。

 「平均値」や「偏差値」を意識したことがないと言えば嘘になるが、極力、思考の中に入ってきてほしくないベクトルである。しかし、ビジネスを展開し、生計を立てるためには無視することはできないし、無人島で自給自足生活でもしない限り、社会生活には必ず「平均値」と「偏差値」が伴う。この思考タイプを一般的に「左脳タイプ」とすると、「右脳タイプ」とは、イメージや直感や曖昧だけれど感覚的で実質的なタイプとなり、言い換えると「言語的」と「非言語的」なの対極となります。

 アートやデザインの仕事に取り組んでいる人達は「右脳タイプ」が多そうだが、実際はどうなんだろう?感覚的で直感的なセンスだけでデザインの仕事は成立しないから、常に感情や思考についても相対的なアプローチと絶対的なアプローチが必須となる。

 例えば、本などで知る億万長者の成功事例物語には、必ず「右脳タイプ」非言語の精神的な取り組みや偶然を必然に代用する曖昧だがリアルな物語が書かれている。しかし、この夢物語にも実は「左脳タイプ」の優れた特異な数値的意識と相対的な自己分析が作用し合っている。しかし、文章にする場合、精神論や曖昧な非言語情報の方が心に響くため、現実的な数字や平均値については整理される場合が多いように感じていた。「読者が何を欲しいのか?」という視点と、デザインの仕事でお客様が何を求めているか?はそういう作用ありきで似ているものだと思い込んでいた。でも、実はもっと「平均値」「偏差値」から割り出した座標のことを知りたいのが現実みたいだ。ゆえに、バイアスを抑制し、先入観や思い込みを停止させなければならない。

 これがなかなか難しい。特に上の二つのグラフなどを見ても心が拒否してしまうのだ。

 捉え方としては、「ゆえに」ではなく、「むしろ、バイアスを~」なのである。何事も。

隻眼のヒーロー

 ふと、思ったことがある。

 小説や映画、漫画や歴史上のヒーローには隻眼が多い。

 何故だろう?と。

 53歳になり、老眼鏡を手放せなくなってしまい、とてもメンドくさい。しかし、歴史に名前を残した画家達は視力が悪い人が多く、色盲だったり、近眼だったらしい。40歳中頃まで、視力が1.5以上を維持していたが、40歳後半から老眼が始まった。健康診断の視力検査ではまだ裸眼で1.5以上あるが、老眼は辛い。

 もし、自分が何かの理由で隻眼になったらなどと考えてみる。

 老眼より辛いのだろうか、それとも、別の世界が見えてくるのだろうか。

 デッサン中にフォルムや調子の狂いを修正する時、右目だけで修正する。タッチを調整する場合は、限りなく目を閉じ意図的にピントを甘くする。さらに、全体を仕上げる段階で、両目で確認しながらピントを開放している。とにかく、人間の目は何事も見えすぎるのだ。隻眼になれば、もしかすると、雑念が消え、心眼が開き真実だけが見えたりするのかもしれない。

アオウミガメ。

 ヒルナンデスで水族館のロケを放送していた。

 そこにはいろいろな人気キャラクターがいて、それぞれに多彩な魅力があるとタレントが紹介していた。動物達をまとめたフリップをタレントが持ちながら、
「シロクマの○○君!アザラシの○○ちゃん!イルカの○○ちゃん!」などなど、それぞれに愛称を読み上げていく。最後に紹介されたのが「アオウミガメ」。

 あれ?愛称もなければ、「ちゃん」も「君」も付けられていないぞ!?

 ちょっと可哀想なアオウミガメ。

定説を覆す。

 昨晩テレビを観ていたら、「恐竜の定説が覆る!」というタイトルを耳にした。なになに、恐竜の定説が覆す!?と、大好きな恐竜ネタだったので、いかなものかと迂闊にも気持ちを持っていかれました。結果、「なんでやねん!」となってしまうのですが。

 その仮説とは「トリケラトプスは草食で、ライバルのティラノザイウルスは肉食とされていた定説が間違いで、双方とも雑食だった!」と、わざわざCGをふんだんに使ってその仮説を説明していた。

 テレビだから言いたい放題だが、「定説が覆る!」「恐竜は雑食だった」「永遠のライバルだった」「太古のロマンが崩れる」、最後の最後に、「もしかすると、ティラノザイウルスはにニャーと鳴いていたかもしれないですね。」というコメントでそのテーマを締め括った。

 へぇ~、テレビの番組づくりも深夜枠となれば、こんなポンコツな感じになるのかと、ひとり部屋で「なんでやねん!」とつぶやいてしまった。

 「定説を覆す」って聞こえたものから、私は新しい化石や分析結果が確認され、進化のプロセスや繁殖地域について新しい事実が証明されたのかとか、世界のどこかの地域で、繁殖形態や亜種の新事実が発見されたのかとか、氷河期や隕石説意外の絶滅理由が発見されたのかなどと勝手に想像を膨らませたが、まったくの「膨らませ損」だった。骨格や筋肉の構造、食生活などの痕跡から、鳥類に近く、ティラノザイウルスもその後期には羽毛が生えていたとか、生殖についても、様々な仮説があるので、その辺に対する新たな定説の発見を想像したが、「ニャー」で強引に締め括った。

 あの女性アナウンサーの顔はしばらく頭に残るだろう。

「オノマトペ」って侮れない。

 「オノマトペ」とは擬音語・擬態語・擬声語です。

 パタパタとか、ドキドキ・コツコツなどの状況や心情を表現する語彙です。

 英語や他の外国語と比較して、日本語にはこのオノマトペ表現がケタチで多いらしい。その理由は日本語の比喩表現・引用表現が複雑で言語としては非日常的で、文章としては趣があり、体裁が良い表現でも、言葉にすると小難しくなる。それを代用するために使われているのが「オノマトペ」。

 しかし、表現力があるからと言って、会議や然るべき状況で、パクパク・ビンビンとか言ってしまうと品格が下がるし、それを使うことでより伝わると判断しても控える状況です。しかし、口語がブログやSNSに多様されるのは、やはり、読み手に伝わるから。その効果や作用は決して侮ることができません。小難しい、難解な文章よりも、さらりと感覚的にシンプルな文章を心がけることが読み手に対する誠意となる場合も多いのです。

 しかも、この「オノマトペ」の活用術として、介護や認知症の現場でのコミュニケーションにとても有効で、実際、理屈には叶っているが、小難しい言葉を使って相手の理解に至らず、コミュニケーションが成立しないよりも、「オノマトペ」を多用し、しっかりとニュアンスやフィーリングを伝える方が治療や介護の場面では有効だそうです。

 英語や海外の言語と比較して、日本語の「オノマトペ」の数は10倍以上。英語の場合は300程度なのが、日本語では3,000近くあるらしいです。言葉って、文章って、使い方が難しいです。リズムやテンポやトーンやイントネーションでも伝わり方が変化しますし、勢いだけでも伝わらないし、丁寧に慎重に誠実に理屈を並べてもドンビキされる場合もあります。結局、空気や間合いを読める人が適正な成果を生むのですね。

春の色。

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 私は個人的に桜の花にあまり心が動かない。あまりにも儚いからだ。散るのが早すぎる。

 闘病した経験は幸運にもありませんが、闘病している病室で冬の季節、最後の枯葉が冷たい風にさらされて、いつ落ちるのだろうなどとヒヤヒヤ・ドキドキする暇もなく、桜の花は散る。

 よりも、小さな雑草の芽がアスファルトの間から出ているのを発見すると、エネルギーをもらえたような気持ちになります。上からチューリップ、りんご、カリフラワーですが、春の陽気と共に寸分違わずウチの連中はスイッチを入れてくる。このたくましさと季節への反応の誠実さが好きです。

良い違和感。

 「オリジナリティー」とは何か?

 どうしてもパソコンで制作したコンテンツって、どこかにありそうな感じが漂っています。理論理屈で捉えると、形状や色彩や各パーツのコンビネーションは明らかに違うモノなんだけれど、感性や感覚で捉えると「同じモノ!?」となってしまいます。この感覚は長年デザインの仕事をしてきた、言わば専門的な狭い視野で捉えた感覚だから、一般的な広告やデザインのコンテンツとして、目的やクライアントの要望をしっかり訴求できればそれでOK。何もその先を探求する必要は蛇足だというセオリーも正解。しかし、なんとなくそれじゃ違和感が拭えないのも現実的に感覚としてあるのです。

 そこで「オリジナリティー」という言葉をどう捉え、自分がその言葉をどう使うかというスタンスで、つくり手としてのポテンシャル評価が変化するような気がしています。つまり、仕事において「オリジナリティー」という言葉の使い方、使う場面を慎重に吟味しないと、相手に誤解される、伝えたい狙いや主張がスムーズに伝わらない。本人が言葉を十分に理解し習得していなければ、パソコンでつくるデジタルコンテンツと同じ、「コピペモドキ」を生み出してしまう結果になるのです。

 では、パソコンのデジタルフィールドから外へ目を向けるって具体的にどうするのか?やはり、日本には四季があり、目に見えて美しい変化が自然の中には多く存在します。その変化の中には美しい木々や花、山や海、空や星があるわけで、身近なモノとしては、日々の天候の変化や食材も自然からの恵みなので「変化の産物」です。美味しい食材を美しい景色、心地よいスペースで頂くという嗜みこそに、人としての感性を起動させる間合い・機会があると思います。

 一方、デジタル仮想空間にはそれが一切なく、結果、一時の知恵熱のようにわずかに興奮はするけれど、平熱に戻ったときに「あれ?僕は何に浮かれていたのだろう?」とか「よくよく冷静に捉えるとこの2次元の世界に何故感動していたのだろう?」と我に変えると、ヒヤリとするわけです。

 結局、外に出て、雲の流れを見つめたり、風向きを気にしたり、雨の中にいることで、自分の中の感覚が再起動する、その感覚をニュートラルポジションだと意識することができれば、つくり手としてのコンディションも整うと思っています。

 そんな感覚をキープできれば、「良い違和感」を見極めることも簡単だと思うのです。

 仕事のツールとしてパソコンやソフト、スマホはもう手放すことはできないのでツールとしてカッターやペンと同じように主人として使い、決して、奴隷にならぬことだと思います。

ワークスペース

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 こんなワークスペースにしたいが、まず、どこから手をつけようかな。

 まず、本とか書類をしっかり整理しなければならないし、カメラや周辺機器も使いやすい場所に置く。広い机も欲しいが現状のモノを活用しつつ、この完成イメージに近づけたい。

爬虫類カフェ

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 うん、可愛い。

 ここら辺では大阪にあるらしい「爬虫類カフェ」。次、大阪に行った時はぜひチェックしようと思っています。

ワークスペース

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 今更ながらデザインの仕事場というのはこのようにお洒落でシンプルな方がいいのだろうか?「机の上が整理できていないのは頭の中も整理できていない証拠だ!」と何かの本で読んだが、今更ながらその通りかもしれないと気づきつつあります。「つつ」なのは、長年、見慣れた仕事場の風景を変える決意・勇気がまだ不充分なのである。しかし、歳も歳だし、どんどん記憶力とか集中力が低下している。なんでもメモをとり残しているつもりが、そのメモがどこか分からなくなる始末。このようなモヤモヤを一回リセットするために、仕事場をシンプルに整理し、思い切って模様替えをしようと思っています。こんなことぐらいしか解決策がないのが現実。正に蜘蛛の糸だ。

目のつけどころ。

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 「目のつけどころ ものの考え方」という書籍を買った。

 明日にはアマゾンから届くだろう。「世界のエリートが実践している」というフレーズに惹かれ、アマゾンのレビューをチェックし、ネットでも書籍の評判をチェックして確認しました。この書籍との出会いは新聞広告だったが、それをきっかけにネットでチェックし、購入を決断するというパターンでした。ネットがなかた時代ならテレビや新聞や雑誌で得た情報を記憶していて、お店で確認し決断するという手順と比較すると、現代は圧倒的に広く情報を得られる状況になっている。しかし、これが書籍ならば、書店で確認するまでもなく、レビュー程度の情報で決断できるが、「デザインの仕事」を発注しようと考えている人がデザイン会社やつくり手の情報をネットでリサーチしても、充分な決断材料は入手しにくい。当然、WEBサイトにはスキのない饒舌な言葉がちりばめられているし、その言葉を100%信用したとしても、まだ発注に至るには情報のディテールが足りない。では、足りないディテールをどうして補足し足りる状態にできるかが発信側の試行錯誤の部分である。ネットの情報の表層だけを比較しても、本質や真意や実感に辿りつくには、もう少し深く情報にリアリティーが必要なのだ。ただ、購入(発注)を決断する前段階として、お問い合わせやお見積依頼のアクションを起こしていただくにも、工夫が必要だし、提供できる情報はあますところなく誠実に発信しなければならない。ただ、それも限界がある。

 さて、「目のつけどろ」とは?の部分をこの書籍で実感し、自社(アクト)の情報発信の優良で効果的な工夫点を得られることを期待している。

 今、ヨーロッパの洞窟を探検し、洞窟の壁に描かれた太古のサイン(記号)を探索し、データベースを制作している方の教授の書籍を読んでいるが、500近い洞窟のサインを精査すると、32種類の記号に分類できるらしい。描いた人の真意がその壁のサインに込められていて、暗く狭い洞窟でそのサインを目視した時の心の震えは例えようもなく深く大きいと著者は書いている。

 そんなサイン、ひとつでもいいからこの時代に残せるなら残したい。

skillfully?

For example, which will swell when I talk in English when an American good at Japanese and a Japanese good at English talk in English?
Which will it be that the feeling of the person becomes the words skillfully?
Because the thing called all skillfull is how to choose words and personality and a human being in the essence, The quality of the conversation should be fixed what you changed through a result, words.
Then you should think that human nature cultivated in the different language zone by culture and custom makes a base of the communication.

「いろは」様駐車場看板

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 看板の盤面が仕上がりました。明日、取り付けます。

 仕事では印刷物からWEBデータ、パッケージから映像コンテンツなど、いろいろ取り組ませていただいているが、中でも「看板デザイン」は仕事としての達成感が大きいです。他の仕事と比較してとかではなく、どこか本質的にデータを制作したりイラストを描いたりすることよりも、何かモノをつくる作業が好きです。

 以前、オリジナルの立体作品をつくりネットショップで紹介しようかとも考え、材料を仕入れてみたが、どうもそういうノリが好きなのではなく、まず、お客様の要望が明確にあり、設計をし完成させるというプロセスが好きなのです。

 話は逸れますが、最近、SNSにまったく興味が無くなった。仕事として必要不可欠だから、どこまでも仕事として捉え、仕組みについては常に最新情報を確保しているが、個人的にSNSに対して、完全に冷え切っている。何故か?掲載されている情報に心が震えないのだ。恐らく、世の中の人たちも同じで、そろそろ「ただの記事」「ただの情報」には飽きてきているのではないだろうか。では、どんな情報を期待しているのか?となると、まだ明確に絞り込めていませんが、なんとなくですが、「完成度の高い情報」を欲しているような気がします。以前なら「鮮度の高さ」や「著名度」や「希少価値」あたりがキーワードだったのだろうが、芸能人のブログを毎日チェックしたところで、得るものがない。まして、文章が巧みでも温かいわけでも鋭敏なわけでもない。圧倒的にSNSにはそのタイプの文章が氾濫しているので、結果、ネットの情報発信は個人が丁寧に日々の想いを綴っている個人ブログに回帰するような気がしています。でなければ、繋がれない繋がらないような。だから、しっかり考えて、粛々とこのブログを書いていこうと思っています。

映画「無限の住人」

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 この29日に映画「無限の住人」が公開される。

 特筆すべき、いや、見入るべきポイントはひとつだけ。市原さんの「尸良」である。

 恐らく、この映画の魅力はここに集約されている予感がします。プンプンと。

 市原さんはこの「尸良役」で、過去のどの作品よりも縦横無尽にハジけているに違いない。

 もう、そうなったら主役だろうがヒロインだろうが関係ないだろう。確かに「BOX」はハマっていたが、この「尸良」と比較したら比較にならないだろうと。このタイプの俳優さんがほんとに少ないから、市原さんをスクリーンで観るたびに、いつか「七人の侍」をリメイクする際は、ぜひ、市原さん主役でお願いしたいなどと考えてしまいます。

トロントか。

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 トロントか、いいなぁ~。

人生を変える映画10選。

 「人生を変える映画10選」という切り口のメルマガが到着した。

 確かに人生観や仕事観、そして、人間観について過去に観た映画の登場人物から学んだことは多い。その映画をチラシやポスターを見て自主的にチョイスしたのか、知人からの紹介だったのかは様々なケースがあり、その映画の時代性や流行とのマッチングも自分の中のタイミングでチョイスした経緯もあるだろう。逆に捉えると、偶然だったが必然だったと解釈させるパワーのある良い映画は、確かに人生を変える、自分の人生に作用・影響が大きかったと言える。

 仮に私が人生を変えた映画10選をここに書き出しても、ピンと来ない人もいれば、共感してくださる人もいるだろう。つまり、対人関係と同様にすべてはコンデションとタイミングなのです。

 朝一に「人生を変える映画10選」というメルマガを読んでも、あまり心は震えない。ただ、少しだけ、「こちらをクリック」というURLをクリックしたくなる衝動はあるが、恐らくその先には残念な結果が臭うし、ネットの仕組みと先方の軽率な戦略を理解していれば、そのURLはスルーが正解。

 しかし、「何故、映画が人生を変えるのか?」というQに対してはじっくり自問・自己分析をしたい気持ちになりました。ここは自分に正直でいいと思いました。

英語のスパムメール。

 最近、よく来る英語のスパムメールを自力で翻訳している。常識で考えれば、「あっ!また、どこからか英語のスパムだ!」で、即、ゴミ箱行きなのだが。

 当然、日本語のスパムも到着しているが、意外と読むように心がけている。決して敬遠することなく、曖昧で根拠のない不誠実な文面ではあるが、そんな一見価値のなさげな文章の中にも、書き手の狙いや語彙のチョイスがあるから、その感覚を分析しようとする狙いだ。よくよく読めば、曖昧な文章でも書き手の人間性や気質が文章の中に潜んでいる。

 むしろ、こうなってはいけないという悪い事例としては非常に有効だと捉えて。

 そんな中、英語のスパムも読み込んでいくと、長文の中に書き手の人間性が感じられる一文があったり、個性的な引用や比喩があるから、意外と楽しめる。単語の練習にもなるし、駄文も少ないことが多い。とても良い(悪い!?)サンプルなのである。

 英語力を上げるために、「英字新聞を読め!」などというアドバイスがあるが、実際、どこで買うのか分からないし、英語のサイトをぼんやり眺めていても気持ちが入らない。ならば、わざわざ送ってきた一見うっとおしい英語のスパムでも、捉え方、視点を変えると意外な活用方法があるのだ。意外と楽しいです。