良い違和感。

 「オリジナリティー」とは何か?

 どうしてもパソコンで制作したコンテンツって、どこかにありそうな感じが漂っています。理論理屈で捉えると、形状や色彩や各パーツのコンビネーションは明らかに違うモノなんだけれど、感性や感覚で捉えると「同じモノ!?」となってしまいます。この感覚は長年デザインの仕事をしてきた、言わば専門的な狭い視野で捉えた感覚だから、一般的な広告やデザインのコンテンツとして、目的やクライアントの要望をしっかり訴求できればそれでOK。何もその先を探求する必要は蛇足だというセオリーも正解。しかし、なんとなくそれじゃ違和感が拭えないのも現実的に感覚としてあるのです。

 そこで「オリジナリティー」という言葉をどう捉え、自分がその言葉をどう使うかというスタンスで、つくり手としてのポテンシャル評価が変化するような気がしています。つまり、仕事において「オリジナリティー」という言葉の使い方、使う場面を慎重に吟味しないと、相手に誤解される、伝えたい狙いや主張がスムーズに伝わらない。本人が言葉を十分に理解し習得していなければ、パソコンでつくるデジタルコンテンツと同じ、「コピペモドキ」を生み出してしまう結果になるのです。

 では、パソコンのデジタルフィールドから外へ目を向けるって具体的にどうするのか?やはり、日本には四季があり、目に見えて美しい変化が自然の中には多く存在します。その変化の中には美しい木々や花、山や海、空や星があるわけで、身近なモノとしては、日々の天候の変化や食材も自然からの恵みなので「変化の産物」です。美味しい食材を美しい景色、心地よいスペースで頂くという嗜みこそに、人としての感性を起動させる間合い・機会があると思います。

 一方、デジタル仮想空間にはそれが一切なく、結果、一時の知恵熱のようにわずかに興奮はするけれど、平熱に戻ったときに「あれ?僕は何に浮かれていたのだろう?」とか「よくよく冷静に捉えるとこの2次元の世界に何故感動していたのだろう?」と我に変えると、ヒヤリとするわけです。

 結局、外に出て、雲の流れを見つめたり、風向きを気にしたり、雨の中にいることで、自分の中の感覚が再起動する、その感覚をニュートラルポジションだと意識することができれば、つくり手としてのコンディションも整うと思っています。

 そんな感覚をキープできれば、「良い違和感」を見極めることも簡単だと思うのです。

 仕事のツールとしてパソコンやソフト、スマホはもう手放すことはできないのでツールとしてカッターやペンと同じように主人として使い、決して、奴隷にならぬことだと思います。