2017年05月 アーカイブ

コーヒーの木。

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 ホームセンターに行くと必ずチェックする観葉植物コーナーで本日、「コーヒーの木」を発見。早速、2鉢購入してきました。少し大きめの鉢に移植して、元気に成長しそうだったらもう少し買い足そうと思っています。まずは、ネットで育て方をチェックしようっと。

女子トーナメントチケット。

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 イ・ボミさんのスイングをこの眼に焼き付けてきま~す!

新しい練りケシ。

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 数年ぶりに新しい「練りケシ」を買った。

 普段、絵を描く時は必ず鉛筆で下書きをする。普通のプラスチック消しゴムとこの練りケシを併用している。初めて練りケシを使ったのが大阪芸大に入学した一回生の時、最初のデッサン実習の時に初めて「練りケシ」の説明を聞き、そんな描画用のツールがあることを知る。しかし、それまで普通の消しゴムしか使っていなかった私はこの練りケシのメリットが全く実感できなかった。「普通の消しゴムと比べてあまり消えないなぁ~」レベルの実感だった。

 その知識レベルでよく大阪芸術大学の美術学科に入学できたものだと今でもその無知ぶりを考えると冷や汗が出てくるが、この練りケシの万能さは完全に普通のプラスチック消しゴムを凌駕する。ノートに鉛筆で書いた文字を消すだけならプラケシでいいのだが、この練りケシこそが鉛筆で絵を描く際になくてはならないマストツールなのだ。

 その万能さについては非常に多用なのでこのブログでは書けないし紹介は実際難しいが、とにかくペン画でもアクリルでもポスカラーでもカラーインクでも絵を描く場合、必ず鉛筆で下絵を描く。実際、タッチや陰影や立体感は画材で仕上げるが、その前に自分が描こうとしているモチーフを頭の中で再構築・確認するためにも鉛筆の下絵が重要な行程なのです。その際、プラケシではとにかく消え過ぎるのです。そんな万能マストツールの練りケシだから長年使っていると黒くなる。ちょっと薄い鉛筆ぐらい黒くなる。その濃さをグレイトーンで例えるとBL75%ぐらい。すると、鉛筆の炭素がしっかり練りケシの中に染み込み、消しているのか描いているのか分からなくなる。逆にそれぐらいが実はちょうど良い消し加減なので、練りケシのコンデションとしては良い状態なのだが、さすがに消そうとしている調子よりも黒くなるのはNG。だから、昨日、新しい練りケシを買いました。

木の人、人の木、気になる木。

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 先日、伊吹山に登った際、下山中に発見した「木ギレ」。発見した時はなんとなく妙な印象で、ただただ、ほんとになんとなく拾ってきてしまった。山麓でいつも靴の泥を落とす神社の階段の脇の湧水が出ている場所で、木ギレの泥を落として車に放り込んだ。そのまま会社にしばらくおいていたが、数日して改めてその木ギレを立ててみるとその形が漢字の「人」に見えた。

 まぁ、それだけなのだが、その瞬間拾った時に感じたあのモヤモヤがスッキリしました。

星野源という男。

 星野源氏の第一印象は「マルチな才能があるイマドキの男」だった。その容姿や独特で特異な発言や妙に落ち着いた温和なモノゴシがイマドキなのだと捉えていた。コントを演じていてもなかなか個性的で演技も素晴らしい。最初は「歌手」「アーティスト」という印象だったので、「あれ、この男、こんなコントの世界観も持っているのか」と多才な男だと感じた。そして、テレビドラマ「逃げ恥」でのブレイク。なんとも個性的な役柄を見事に演じていたし、漫画原作の世界観を見事にテレビドラマとして消化しておられるなぁ~という印象。「ああ、新しいタイプの俳優さんだなぁ」という、というレベルまでの印象だった。新垣結衣さんとコンビで番組宣伝で登場されるケースでも、お似合いのカップル観が漂っていたし、俳優・歌手・タレントとほんとに多才な男だという印象(だけ!?)だった。

 しかし、娘が星野源氏の「初エッセイ」を買ってきたことでその印象が大きく変化する。まず、「文才もあるんだ」という印象からエッセイを借りて読むとこれがなかなかの良品。どんな内容のエッセイなのか?個性的な男だから何か独特の世界観があるだろうが、源さんの楽曲を聞いても、テレビ番組でコメントしている際でもいわゆる二枚目と三枚目の間のちょうど良い、いわゆるイマドキのトレンドな存在という印象だったが、初エッセイを読み終えた段階でその印象は完全に消えた。

 いやいや、なかなか、そこそこの曲者である。マイルドで好感の溢れる印象が続いていただけに、エッセイの内容はなかなかの「良い!?感じ」だった。強烈で巧みな文才を披露されたわけではなかったが、比較するモノではないが、又吉直樹氏の「火花」よりも私は良い感じだった。改めて「星野源という男」をもっと知りたくなりました。その感じはこのブログでは書かないので、ぜひ、書店でお買い求めください。エッセイのタイトルは「くそして生活はつづく」、いや、「そして生活はつづく」である。

 今後、執筆作品があれば必ずチェックしたいひとりです。

落ち着く壁紙。

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 映画の公開情報を知ってから検索して入手した壁紙。仕事用のメインマシンのモニターに貼り込んでいます。この壁紙、とことん気持ちが落ち着きます。

1週間前。

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 ゴッホが自殺する1週間前に描いた作品だそうです。

 多くの偉大な作品を残した画家達。やはり、気になり多くの本で彼らの人生を知る度に、絵に人生を捧げるということがどれだけ大きな覚悟が必要なのかを実感します。決して決して画家の人生は華やかで煌びやかではなく、失意と憎悪と嫌悪に犯され、最後は寿命を待たない事例も多いのです。普通の感覚であれば想像・理解できない世界が画家の心の中には確かに存在していたのだ思います。

大好きなシーン。

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 「無限の住人全30巻」、全てのシーンが好きです。沙村さんのペン筋一本一本に物語への熱く深い気持ちが込められているのだろうと、ディープなファンのひとりとして妄想しています。

 中でも好きなシーンを描いてみました。登場人物全て大好きですが、やはり一番は「吉乃瞳阿(よしの どうあ)ちゃん」。強く可愛過ぎるそのふるまいに、ああ、実写映画に登場しなくて良かった・・・と不思議な安堵を感じていました。

 しかし、ページを模写するといろいろなことに気づきます。ただ物語を見ているだけ読んでいるだけでは実感できないことが多いです。手紙の筆文字も鉛筆の下書きだけで細い習字用の筆で描き(書き)ましたが、当然、原本の忠実な複写はできませんでした。ゆえに、この原画を沙村さんが描いた時の筆を持つ手の感覚の「鋭さ」「巧さ」「軽快さ」「集中力の高さ」を実感するわけです。現在、安価な画用紙に描いていますが、本番の原稿用紙に描くとまた仕上がりもよりシビアになりますから、少しずつ手の感覚を高めて本番に臨みたいと思っています。頭で考えているイメージと実際、自分の手の動きはなかなか連携してくれません。日頃のコンディションづくりがとても大切だと思います。まして、素人の仕事ですから、準備だけは十二分にしたいです。

エクシブ琵琶湖様にて。

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 昨日はエクシブ琵琶湖様に夏原グループ様の「夏原会長の米寿を祝う会」のビデオ撮影に行ってきました。1ヶ月前に取材させていただいた映像と会長の幼少時代からのお写真を組み合わせた記念映像2本の撮影・制作をこの日に向け仕上げ、この日は準備段階からオヒラキまでの映像撮影担当です。夏原会長、自らが語られた波乱万丈の人生を10分2本の映像にまとめる作業はかなり集中しましたが、ご来場された夏原グループ様の役員様約50名の拍手を頂き、最後方でビデオカメラを回しながらほっと安堵感に浸っていました。夏原グループの社長様を始め、式典映像の担当の皆様お疲れ様でした。とても良い機会を頂き心から感謝しています。

 夏原会長様の約2時間の取材映像を編集しながら、会長様のお言葉が今でも心に焼きついています。大きな企業を根底から支えてこられた会長様の大きさゆえの言葉。自分自身に置き換えて仕事に邁進したいと強く感じました。

 こちらは開演少し前の打ち合わせ風景。千穂さんも長丁場、ほんとにお疲れ様でした。

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 偶然にも、この映像を制作するためのエクシブ琵琶湖様での夏原会長様へのインタビューが私の53歳の誕生日だったということもあり、いつまでも心に残る印象的なお仕事のひとつになりました。

 式典の中でもインパクトのあったゾーンは、やはり、「ザ・ぼんち」様の漫才のひととき。「生おさむちゃん」を拝見しましたが、芸能人さん・タレントさんのポテンシャルの高さ・強さ・大きさをビシビシと感じてしました。しかし、何事もライブって良いです。モニター経由の情報はいかに表示技術が進化しデバイスの機能が高くなろうが、「ライブ」の迫力に比べると、4K・5Kどころか100Kでも足りないと思います。それほど人間の感覚は素晴らしい受信機能があるということです。

成功と偶然の関係。

 「成功する人は偶然を味方にする~運と成功の経済学~(ロバート・H・フランク著)」という書籍がある。
 
 「「努力と才能は報われる」という幻想」
 「才能があっても努力しても、運がなければ成功しない」
 「情報革命で「偶然」の力がますます強まった理由」
 「ポルシェからフェラーリに替えると、人は幸せになれるのか?」などなど、一見、興味が湧きそうなフレーズが広告の紙面にはちりばめられている。

 「成功」「才能と努力」「情報革命」あたりの語彙をチョイスしているだけでも、心の羅針が震えるが、さて、「成功と偶然の関係」を経済学でどう紐解いているのだろう?

 「成功」という語彙だけでも十人十色様々な解釈があり、感じるイメージも異なるし、「偶然」をテーマにした書籍の大前提として、すべて「結果論」になるため、成功者の事例を具体的に上げ、根拠や背景を説明した上で、それがいかに偶然だったかを感覚的に紐解けば、そこに何か発見があるのかもしれない。それを「必然」と解釈せず、「偶然」と解釈することは著者の自由だが、結局、経済学が切り口ならば当然、成功者の事例しか出てこないはず。読者も失敗を繰り返している人の話など聞きたくないだろうし、出版社がその姿勢・状態・事例を「売れる」とは判断しない。などと推測してしまいます。これすべて必然である。つまり、「成功」や「偶然」や「経済学」を文章にしている、できている状態が確実に「必然」の賜物なのだから、どこまで文章の力を借り、著者のポテンシャルをフル活用しようが、そもそも正確に「偶然」を文章で語れないはず。これが僕の解釈です。つまり、「運と成功の経済学」の裏に、「必然と失敗の真意」が潜んでいるはずなのだ。だって、「幸運」を意識するためには「不運」を実感していなければならないし、「成功」を意識するためには「失敗」を体験していなければ分からない。濾過する前の泥水があるはず。

 この本を購入して読んだら、そんな不可解なジレンマを感じることになりそうだと捉えた段階で、やはり、この切り口に興味があるのだとも感じている。文字づらは読めば理解できるが、連想が沸いたり過去に得た知識・知恵と結びつかなければただの快楽に終わる。読書の難しさはそれを知ること以上に、知るための気づくための準備・コンディションが整っているか否かなので、今のところ、この本は見送ろうと思っています。

Carabiner

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 最新のカナビナ。最高の素材、最新の設計構造と機能性、そして、美しいデザイン。良品を手にすると自然と理屈抜きにテンションが上がります。

瀧澤様見学会。

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 瀧澤材木店様の現場見学会2日目に行ってきました。静かな在所の中、余裕のある敷地に建つ本格的な「日本の家」の魅力が、ご来場された皆様の心にしっかり残ったことでしょう。

→瀧澤材木店WEBサイトはこちらです。

起業支援。

 国が掲げる「起業支援」の取り組みには実態をケアできていない印象がある、あるように思える。私が知る限り、起業支援を受けない起業家の皆様は独立独歩で逞しく事業に取り組んでおられ、意欲が旺盛で何事にも貪欲な印象を受ける。一方、独立するきっかけとして公的な資金援助を得ようとしている人、もしくはそれを得て事業を展開している人はスキ(別の捉え方をすれば余裕)がある印象を受ける。あくまでも印象レベルの個人的な感想だから、実態・真意・心情は分かりません。

 また、比較的大きくメジャーな仕事を組織の中で展開している(展開する機会を得ている)人と、規模として小ぶりでマイナーな仕事に取り組んでいる自営業の人を比較すると、同じ印象があり、戦いの現場で、前者は立派な鎧を着て戦い、後者は素肌むき出し状態。同じ相手のひと振りを受けた際、前者は多少相手の剣を喰らっても傷は受けない。一方、後者は間合いを見誤るとそのひと振りが命取りになる。重く頑強な鎧でフットワークを鈍らせて防御するのが正解か、身軽に立ち回り相手への攻撃のタイミングを見極めるのが正解か?かという捉え方ができます。
 
 例えば、○○交流会や○○協議会、また、世界規模の組織団体に所属して、然るべき属性を得ていると、私はその安心感からかどこか貪欲さが抜けていく感覚になりました。時間と費用をかけて得た属性(機会)だから、無駄にはしたくないし友好な交流をする機会もオートマチックに増える手はずだから、機会を逃すことは本末転倒(損だと捉える)となる。つまり、ベクトルが内側に向いていたのです。一方、何にも属していないとベクトルを内側に向ける余裕がない。無駄打ちに終わったとしても、無計画で準備不足だとしても、前に外側に向けて何かカタチあるものを放たなければならない。常に余裕がなく、一時も安心・安全な状況ではないのです。勝負するコマはたったひとつ、自分の頭と体のみ。そういう状況で、理想を描くことは難しい。常に現実的に生活するための生業がイコールビジネスなのです。当然、金銭感覚も違い、当然、能力や才能も異なる。

 そんな気持ちで毎日仕事をしていますが、不安になった時に確認していることがあります。それは、今、現在その瞬間、自分自身に「3つの姿勢(伝え方と捉え方)」があるか?という確認です。

 それは、「ハングリー」と「アングリー」と「フレンドリー」です。

 公的な起業支援がなくともこの3つの姿勢さえあれば、事業は展開できると思います。むしろ、外からの支援が重い鎧が枷にならぬよう、私は軽快で俊敏な姿勢・体勢を重視したいです。ケースによって理論・理屈は瞬発力や感覚を鈍化させてしまう。この現代社会、人間の本能・感覚など必要ない、美しいテンプレートの上で立ち振る舞うことがスタンダードだという捉え方も否定はしないが、個人的に鵜呑みにはしたくない。致命的な失敗を完璧に回避しなければならないからだ。また、そのピリピリ感が一回味わうと中毒になり慢性化する。~は死ぬまで治らないということ。それが本質のようです。

何故だろう…。

 WEBサイトを仕事で制作しながら感じること。また、インターネットでいろいろ検索し、WEBページやブログ、SNSの情報を読んでいて最近感じることがあります。当然、WEBサイトを制作する際の文字原稿とは自社の業務や商品の案内を訴求することが目的です。だから、特長や利点をしっかり伝えるために文字原稿を制作する。また、ブログやSNSの文章も伝えたい情報をしっかり読みやすく文章化して制作する。しかし、それでもどこかなんとなく、伝えきれていない感覚が残ります。その感覚が作用して、自分自身が他のWEBページやSNSの記事を読んでいても、実はこの会社様やこの個人さんは本当に伝えたいことが別にあるのではないだろうかと、しっくりこないのです。それは、インターネットのテキストだからというわけではなく、新聞や雑誌や書籍にもあてはまり、しっかり編集された文章であるはずなのに、今読んだ文章は言わば「タテマエ」で、実は書き手の「本音」は違うんじゃないかと感じてしまうのです。これは「伝え方と捉え方」の問題だから、素直に書かれている文字のまま理解すれば良いだけのことだと分かっていても、素直になれないのです。

 恐らく、文章をネットに公開する。原稿を整えて印刷する段階で、書き手はいろいろな制約を受けています。ネットならばデリケートな部分は触れられないだろうし、書いているテーマ毎にタブーなゾーンがあるでしょう。特定の対象に向けて個人的な分析や評価を書くこともできないし、まして会社案内や新聞・雑誌・書籍なら、商品としての真価が問われる部分ですから、曖昧で個人的な根拠のない独り言は誰も読まないし、まずもって情報として商品化が成立しない。そんな様々な制約をクリアする過程で、文章は鋭敏に研ぎ澄まされていくのか?それとも劣化し微弱化していくのか?という感覚です。

 インスタが現在のSNSのトレンドだとして、写真にも撮影者や掲載者の意図が含まれているが、文章ほどその意図は明確ではなく、印象やイメージやニュアンスの部分、感覚の部分で捉えてもらえているから、投稿しやすく閲覧者もイメージを膨らませやすいという利点があるのでしょう。これも「伝え方と捉え方」の問題。

 じゃあ、文章にする際、どのような「伝え方と捉え方」が理想なのか?と聞かれれば、「要点だけを正確にシンプルに整理する。」や、「感覚的な情報と言語的(数値的)な情報をバランスよく織り交ぜる。」などがあるでしょう。ただ、このサジ加減、時代と共に微妙に変化しているように思います。その大きな変化の要因とはインターネットが呼び水となっているのは間違いないとしても、それは、最初に誰かが求めたからだとも言えます。

 これからの時代、日常生活の中でもビジネスの現場でも、この「サジ加減」を使いこなす人がアドバンテージを獲得し、自分の狙いを成果に評価に変換することができるような気がしています。こうなると単に文章力や持ち前の教養だけでは適正に処理できなし、まして、名前が売れている売れていないってことよりも、より本質的な何かの有無。それは本質的な個人としての気質や人間性の部分で、真意の出し方が求められているような気がします。しかし、それは古今東西の偉人達が取り組んできたレベル・クラスのお話だから、到底、素人には真似できない。だから、ただ漠然と「何故だろう…」とモヤモヤするしか術がないのでしょう。

 あまり深く考えず、普通にラーメン食べて、麺の硬さやスープの個人的な感想を書いている感じですべてが丸く収まるのでしょうし、それがストライクゾーンだとも言えます。

 インハイで体を起こされ腰が引け、アウトローに踏み込めず三振せぬよう、常に自分の軸と体重移動を意識したいです。

中動態の世界。

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 さて、この本の中には何が潜むのだろう。手元に来るのがとても楽しみです。

理屈抜きに。

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 理論・理屈を抜きにしてカッコイイって、とても大切なことです。

爆睡!チョップ君。

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 さっきまで、無駄吠えしていたかと思えば、すでに爆睡。名前を読んでも、鎖をひっぱっても起きません。すでに老化全開ど真ん中なのだから、好きな時に吠えて、好きな時に寝て、好きな時に食べてくださいね。

 お前はジュリア・ロバーツかっ!!ご自由にどうぞ。

伊吹山

 1月以来の伊吹山。3合目までは暑かったのですが、そこからちょっと冷たい強風が吹き始めました。早速、レインギアの上着を来て無事山頂へ。山頂にはまだ残雪があり、風も冷たかったです。

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 今日の目的はこのアナログ高度計のテスト。いつも海抜100mを指しているので、ちょっと信頼できなかったのですが、ちゃんと山頂で1,370mを指しているので一安心。

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「筆ペン」と「Gペン」の違い

 まず、鉛筆で下絵

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 普段、描画にはあまり使わないが、今回は筆ペン(ベタ用)で描き始める。

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 そして、筆ペン一本でタッチも描いていく。

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 ひさびさのイラストなので気持ちが入り過ぎて真っ黒け。やり過ぎ。
 なぜ、筆ペンで描こうかと思い立ったのかと言えば、映画でAIが筆ペンような筆記道具で風景を描写するシーンがあり、筆ペンだけで描いたらどうなるのか試してみたかったから。

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 同様に鉛筆で下書き。

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 これがGペンだと。

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 こうなる。

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 やはり、筆ペンはベタ用に使うべきなのだ。

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集中力と反射神経

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 反射神経の測定結果です。単純なプログラムなのでしょうが、意外と楽しい。

 ゾンビが出てきたりビームを乱発するゲームには興味がないが、このようなシンプルなWEBプログラムはつくってみたいですね。とても参考になるサイトコンテンツです。

 →テストサイトはこちらです。

反射神経。

 「反射神経」というキーワードで検索すると、「反射神経という名称の神経は存在せず、あくまでも「認識→判断→動作」という一連の流れ(スピード)のことを、私たちは反射神経と呼んでいます。」という説明文がヒットする。

 それに関連して「あなたの反射神経測定テスト」というサイトなどもいろいろある。

 さて、この「反射神経」。日頃はあまり意識しないが、早い人は遅い人と比較してどのような利点があるのだろう?ちなみに反射神経測定テストをしてみると僕の場合「0.2秒」という結果が出た。この数値は「普通」で、「0.15秒」前後をコンスタントに出せると早い人なのだそうです。

 中学生の頃、野球部に所属しながら陸上記録会の季節(夏)には100mの記録会に出るため練習をしたいた。田舎の小さい中学校だが、100mは校内で2番で50mは1番だった。記録は対したことがなかったが、とにかくスタートの反射速度とトップスピードまでの加速には自信があった。全国平均なら平凡な数値なのだが、「反応は遅い方ではない。」という程度の認識になった。

 デザインの仕事を始めて、この「反射神経」を強く意識する機会があった。それは、打ち合わせの際のお客様の反応や電話連絡を受けた時の反応速度だ。つまり、相手の会話がスタートで、その内容に対する返答が「反射」なのだ。経験不足や知識が足りないと適正な反応ができないし、気持ちや体調が優れていないコンディションでも、反応が鈍くなる。いくら相手の会話を事前に入念に想定できていたとしても、その通りに打ち合わせが適正に完結することはない。だから、いくら膨大な資料を用意して安心していても、予習を何回も繰り返し対応策を講じて打ち合わせに望んでも、あまり効果・成果はないということに気づいた。よりも、いかに相手の話をしっかり聞き、内容や論理、心情や真意をいかに言葉や表情から聞き取れるかという、50m走だと感じた。

 「勇み足」「フライング」「早トチリ」でトンチンカンな状況を招くこともあるし、こちらの理解不足でゴールを見失う場合も多かった。ただ反射神経が早いだけでは50mを走り切ることができないのだ。当然、「認識→判断→動作」の手順だから認識や判断を誤ると、誤った動作しか生まれない。ならば、多少反射速度は遅くとも確実性を優先する場合が多いのです。

 しかし、「反射神経が少し早い」という気持ちがこの確実性に悪影響を及ぼすのだ。未だにこの悪影響が体に染み込んでいるので、つまらない軽率な失敗することが多い。年齢と共に反射神経も老化しているので、いずれ、ちょうど良い加減になるのを今は期待している。

 結局、うさぎと亀の勝負なら、確実にゴールのテープを切れるのは亀なのである。つまり、あまり利点はないのだ。人生も仕事も単純な50m走ではないのです。

貧乏人には暇がない。

 「格差社会」という文字を新聞やネットで見る度に僕はどっちなんだろう?と考える。少し前なら「勝ち組・負け組」という文字が横行していたが、「格差」「勝ち負け」とは何が基準になるのだろうと。

 ご縁があり、中国の裕福な人と3日間ほど過ごす機会があった。中国で不動産や環境事業を手広く展開している方とその御子息だった。確かにその佇まい・ふるまいには「余裕」が感じられた。また、相対的に中国の方にはどこか独特の雰囲気があり、言葉や行動が「前体重」なのだ。お話を聞けばその事業展開やビジネスに対する姿勢は相当の余裕があり、実際展開しておられる事業も普通・常識に捉えると相当大きい。しかし、ご本人達はいたって気さくで人間味にあふれている。先入観で「余裕がある人」だと捉えているから、そういう見方をどうしてもしてしまっただろうが、確かに僕と比較しても気持ちや生活面・ビジネス面において「余裕」が感じられた。ああ、こういうタイプが「富裕層」であり、「勝ち組」なのかとアンカーを打った。だが、その口から出てくる言葉はどこか印象として「借り物」が多く、運動会の借り物競走で「せんたくばさみ持っていませんか!」って走り回っているようだった。

 一方、厳しい生活を強いられている兄弟がいた。まだ、東京でデザインの仕事を始める前、池袋のサンシャイン60で60階のフロアから出るゴミを回収するアルバイトをしている職場で出会ったのだ。バイト先の同僚だったその兄弟はご両親がなく、池袋のマンションで二人で生活をしていた。親しくなりいろいろな話をしたが、確かに生活に余裕はなく、大学にも行かず、毎日の生活を二人でコツコツ取り組んでいた。当然、映画や好きな服などを買う余裕はなく、旅行や趣味にかけるお金も少ない。その会社の事務所が地下3階にあるのだが、駐車場の最下に昼間でも薄暗い事務所でいろいろな人が集まり、作業服に着替え各フロアにゴミ回収に行くのだ。オフィスビルだとは言え、様々なゴミが出されていたし、フロアが汚れていればそれを清掃するのも仕事のひとつだった。仕事を終わると着替えてからその兄弟とたわいもない立ち話をしてバイトが終わる。そして、彼らは次のバイトに向かった。彼らのことは何故か忘れることができない。理想やビジョンなどを彼らの口から聞いた記憶は一切ないが、モクモクとタンタンとゴミを集めている兄弟のふるまいは忘れることができない。

 この二つの経験から僕が感じたことは「余裕は欲しくない」という結論だ。

 裕福な成功者や著名人にも仕事がら会う機会が多いし、一流企業の社長様や会長様に会う機会も多い。一様にこの人達は「余裕」があり、自らの成功体験の上でゆったりと考え、その余裕を教育やビジネスに展開し、いかに意義のある存在になれるか、いかに己の人生が意味のあるものだったかを考えてる印象を受けた。が、羨ましさや嫉妬もあるが、僕はその境遇を切望はしていないようだ。コツコツ仕事を続けていればどこかで小さな余裕が生まれ、過去の実績を振り返る瞬間もあるだろうが、その気持ちが一瞬でも心の中に生まれると次の瞬間にその気持ちが「不安」や「焦燥」に変化するのだ。決して「奢り」まではいかないが、僕は「余裕」を「緩み」だとしか捉えられない気質・本質なのだ。

 つまり、生粋の貧乏人であり、「暇がない」「休むまない」ことが、比類なく心地良いのです。心に浮かぶこの思考は、相当、弄れた言い訳や言い草ばかりだが、そんなコンプレックスに体の中が満たされていることがとても心地良いのです。

 ということでこのGWもほぼ仕事をしようと思っています。

笑える笑えない話

 今日、「自営業の老後」という本がアマゾンから届いた。

 なんと、4月17日初版で27日に第2版になっている書籍だ。

 著者のことはこの本に書いてあること以外、何もも知らないが会いたくなった。

 そういう本をつくりたい。

 まず、出版社に連絡し著者に会いに行こうと思っています。

 内容はここでは書けないが、笑える笑えない話が満載です。

CRISIS

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 いったい何がどこがどのように普通のテレビドラマと違うのだろう?まず、「本格的」という言葉が頭に浮かんだ。しかし、何がどこがどのように「本格的」なのだろう?

 例えば、歴代の刑事TVドラマと比較してみると、事件が発生し主人公達が解決するという物語の構造は同じ。ただ、「解決」が普通のテレビドラマとはちょっと違う。当然、観る側の視点も違うし演者の考え方も違っている結果だろうし、作り手の気持ちやテクニックやセンスも違うからそう感じるような気がします。ただ、テレビを観ている時間だけスッキリすればいいのか?そこに描かれたテーマや政治背景や国家システムなどまでも考えさせるべきなのか?という違い。大きく複雑なテーマをシンプルに描くか、シンプルなエンジョイ最優先でテンプレートにテーマをあてはめるのか?この捉え方の違いだけでも成果物が異なるように、このドラマも恐らく前者の取り組みの結果、「本格的」という空気を醸し出しているに違いない。

 恐らくそれは観る側の捉え方でもあり、小栗さんや西島さんが画面に出てくれば単なるファンが反応するというクラスもあるだろうし、過去のご両名の映画やテレビドラマの印象を覚醒して捉えるという捉え方もある。また、このチームが取り組んでいる事件の質についてもドラマの構造は変化するだろう。

 ただの民家に犯人が潜んでいるかもしれないという状況で、その家に踏み込むシーンなだけのに、ピリピリする緊張感が画面から溢れている。他の刑事ドラマではこの緊張感はない。観ている側がそう感じるのは、作り手の狙いだろうし、何かの理由でそう感じてしまうのだろう。それを言葉にすると一番しっくりくるのが「本格的」となる。

 このタイプのテレビドラマには威圧的で高圧的な政治家が必ず登場するが、これは実際の政治家がモデルになっているのか?ドラマゆえに作り上げた最大公約数なイメージなのか?まったく一般市民には分からないゾーンだが、もし、政治家が、もし、公安と呼ばれている人達がこのドラマを見て、失笑で終わるのか遺憾と感じるのかさえ分からないゾーンだとしても、イマージネーションは刺激される。

 しかし、何かどこか心が動いてしまうポイントなのかと考えると、それは「実際は」というイマジネーションなのかもしれない。絵空事ではなく、リアリティーをつくる、1時間のテレビドラマの中にそれを組み込むという作業はテクニックや理論理屈ではなく、やはり、作り手と演者のシンパシーがそのベクトルを帯びているから成立し生み出させる作品なのだろう。
 
 いやいや、毎回、素晴らし過ぎる。

お気に入りキャラBEST3

 僕が観た映画に登場した「人間以外登場キャラ」のお気に入りベスト3です。

 まずは、番外編でとにかくインパクトがあったキャラ。「祟り神」
 「もののけ姫」という作品を根底から支えている強烈な存在です。あの森から登場するシーンはちょっとやそっとでは忘れらません。「獅子神」よりもインパクトがありました。

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 そして、お気に入りキャラベスト3です。

 第3位は映画「トイストーリー」のバズライトイヤー。
 あの頑固さと正義感。しばらく落ち込んでいたのが、あるきっかけで元気に戻るシーンはとても感動的でした。
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 第2位は映画「ベイマックス」の主人公の介護ロボット。
 この人も「頑固さ」と「誠実さ」を失わなないタイプ。愛する人のための自己犠牲の精神と、献身的なふるまい。そして、不思議な言動(思考回路)。愛すべきキャラです。
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 そして、第1位は映画「ガーディアンズオブギャラクシー」の「グルート」。セリフは「I am groot.」と「We are groot.」のみ。強く逞しく、まさに大木のように一本筋が通った誠実さ。エンドロールのダンスは可愛すぎる。
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 このGWから続編が公開されている。この作品はどんどん続いてほしいです。