CRISIS

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 いったい何がどこがどのように普通のテレビドラマと違うのだろう?まず、「本格的」という言葉が頭に浮かんだ。しかし、何がどこがどのように「本格的」なのだろう?

 例えば、歴代の刑事TVドラマと比較してみると、事件が発生し主人公達が解決するという物語の構造は同じ。ただ、「解決」が普通のテレビドラマとはちょっと違う。当然、観る側の視点も違うし演者の考え方も違っている結果だろうし、作り手の気持ちやテクニックやセンスも違うからそう感じるような気がします。ただ、テレビを観ている時間だけスッキリすればいいのか?そこに描かれたテーマや政治背景や国家システムなどまでも考えさせるべきなのか?という違い。大きく複雑なテーマをシンプルに描くか、シンプルなエンジョイ最優先でテンプレートにテーマをあてはめるのか?この捉え方の違いだけでも成果物が異なるように、このドラマも恐らく前者の取り組みの結果、「本格的」という空気を醸し出しているに違いない。

 恐らくそれは観る側の捉え方でもあり、小栗さんや西島さんが画面に出てくれば単なるファンが反応するというクラスもあるだろうし、過去のご両名の映画やテレビドラマの印象を覚醒して捉えるという捉え方もある。また、このチームが取り組んでいる事件の質についてもドラマの構造は変化するだろう。

 ただの民家に犯人が潜んでいるかもしれないという状況で、その家に踏み込むシーンなだけのに、ピリピリする緊張感が画面から溢れている。他の刑事ドラマではこの緊張感はない。観ている側がそう感じるのは、作り手の狙いだろうし、何かの理由でそう感じてしまうのだろう。それを言葉にすると一番しっくりくるのが「本格的」となる。

 このタイプのテレビドラマには威圧的で高圧的な政治家が必ず登場するが、これは実際の政治家がモデルになっているのか?ドラマゆえに作り上げた最大公約数なイメージなのか?まったく一般市民には分からないゾーンだが、もし、政治家が、もし、公安と呼ばれている人達がこのドラマを見て、失笑で終わるのか遺憾と感じるのかさえ分からないゾーンだとしても、イマージネーションは刺激される。

 しかし、何かどこか心が動いてしまうポイントなのかと考えると、それは「実際は」というイマジネーションなのかもしれない。絵空事ではなく、リアリティーをつくる、1時間のテレビドラマの中にそれを組み込むという作業はテクニックや理論理屈ではなく、やはり、作り手と演者のシンパシーがそのベクトルを帯びているから成立し生み出させる作品なのだろう。
 
 いやいや、毎回、素晴らし過ぎる。