貧乏人には暇がない。

 「格差社会」という文字を新聞やネットで見る度に僕はどっちなんだろう?と考える。少し前なら「勝ち組・負け組」という文字が横行していたが、「格差」「勝ち負け」とは何が基準になるのだろうと。

 ご縁があり、中国の裕福な人と3日間ほど過ごす機会があった。中国で不動産や環境事業を手広く展開している方とその御子息だった。確かにその佇まい・ふるまいには「余裕」が感じられた。また、相対的に中国の方にはどこか独特の雰囲気があり、言葉や行動が「前体重」なのだ。お話を聞けばその事業展開やビジネスに対する姿勢は相当の余裕があり、実際展開しておられる事業も普通・常識に捉えると相当大きい。しかし、ご本人達はいたって気さくで人間味にあふれている。先入観で「余裕がある人」だと捉えているから、そういう見方をどうしてもしてしまっただろうが、確かに僕と比較しても気持ちや生活面・ビジネス面において「余裕」が感じられた。ああ、こういうタイプが「富裕層」であり、「勝ち組」なのかとアンカーを打った。だが、その口から出てくる言葉はどこか印象として「借り物」が多く、運動会の借り物競走で「せんたくばさみ持っていませんか!」って走り回っているようだった。

 一方、厳しい生活を強いられている兄弟がいた。まだ、東京でデザインの仕事を始める前、池袋のサンシャイン60で60階のフロアから出るゴミを回収するアルバイトをしている職場で出会ったのだ。バイト先の同僚だったその兄弟はご両親がなく、池袋のマンションで二人で生活をしていた。親しくなりいろいろな話をしたが、確かに生活に余裕はなく、大学にも行かず、毎日の生活を二人でコツコツ取り組んでいた。当然、映画や好きな服などを買う余裕はなく、旅行や趣味にかけるお金も少ない。その会社の事務所が地下3階にあるのだが、駐車場の最下に昼間でも薄暗い事務所でいろいろな人が集まり、作業服に着替え各フロアにゴミ回収に行くのだ。オフィスビルだとは言え、様々なゴミが出されていたし、フロアが汚れていればそれを清掃するのも仕事のひとつだった。仕事を終わると着替えてからその兄弟とたわいもない立ち話をしてバイトが終わる。そして、彼らは次のバイトに向かった。彼らのことは何故か忘れることができない。理想やビジョンなどを彼らの口から聞いた記憶は一切ないが、モクモクとタンタンとゴミを集めている兄弟のふるまいは忘れることができない。

 この二つの経験から僕が感じたことは「余裕は欲しくない」という結論だ。

 裕福な成功者や著名人にも仕事がら会う機会が多いし、一流企業の社長様や会長様に会う機会も多い。一様にこの人達は「余裕」があり、自らの成功体験の上でゆったりと考え、その余裕を教育やビジネスに展開し、いかに意義のある存在になれるか、いかに己の人生が意味のあるものだったかを考えてる印象を受けた。が、羨ましさや嫉妬もあるが、僕はその境遇を切望はしていないようだ。コツコツ仕事を続けていればどこかで小さな余裕が生まれ、過去の実績を振り返る瞬間もあるだろうが、その気持ちが一瞬でも心の中に生まれると次の瞬間にその気持ちが「不安」や「焦燥」に変化するのだ。決して「奢り」まではいかないが、僕は「余裕」を「緩み」だとしか捉えられない気質・本質なのだ。

 つまり、生粋の貧乏人であり、「暇がない」「休むまない」ことが、比類なく心地良いのです。心に浮かぶこの思考は、相当、弄れた言い訳や言い草ばかりだが、そんなコンプレックスに体の中が満たされていることがとても心地良いのです。

 ということでこのGWもほぼ仕事をしようと思っています。