何故だろう…。

 WEBサイトを仕事で制作しながら感じること。また、インターネットでいろいろ検索し、WEBページやブログ、SNSの情報を読んでいて最近感じることがあります。当然、WEBサイトを制作する際の文字原稿とは自社の業務や商品の案内を訴求することが目的です。だから、特長や利点をしっかり伝えるために文字原稿を制作する。また、ブログやSNSの文章も伝えたい情報をしっかり読みやすく文章化して制作する。しかし、それでもどこかなんとなく、伝えきれていない感覚が残ります。その感覚が作用して、自分自身が他のWEBページやSNSの記事を読んでいても、実はこの会社様やこの個人さんは本当に伝えたいことが別にあるのではないだろうかと、しっくりこないのです。それは、インターネットのテキストだからというわけではなく、新聞や雑誌や書籍にもあてはまり、しっかり編集された文章であるはずなのに、今読んだ文章は言わば「タテマエ」で、実は書き手の「本音」は違うんじゃないかと感じてしまうのです。これは「伝え方と捉え方」の問題だから、素直に書かれている文字のまま理解すれば良いだけのことだと分かっていても、素直になれないのです。

 恐らく、文章をネットに公開する。原稿を整えて印刷する段階で、書き手はいろいろな制約を受けています。ネットならばデリケートな部分は触れられないだろうし、書いているテーマ毎にタブーなゾーンがあるでしょう。特定の対象に向けて個人的な分析や評価を書くこともできないし、まして会社案内や新聞・雑誌・書籍なら、商品としての真価が問われる部分ですから、曖昧で個人的な根拠のない独り言は誰も読まないし、まずもって情報として商品化が成立しない。そんな様々な制約をクリアする過程で、文章は鋭敏に研ぎ澄まされていくのか?それとも劣化し微弱化していくのか?という感覚です。

 インスタが現在のSNSのトレンドだとして、写真にも撮影者や掲載者の意図が含まれているが、文章ほどその意図は明確ではなく、印象やイメージやニュアンスの部分、感覚の部分で捉えてもらえているから、投稿しやすく閲覧者もイメージを膨らませやすいという利点があるのでしょう。これも「伝え方と捉え方」の問題。

 じゃあ、文章にする際、どのような「伝え方と捉え方」が理想なのか?と聞かれれば、「要点だけを正確にシンプルに整理する。」や、「感覚的な情報と言語的(数値的)な情報をバランスよく織り交ぜる。」などがあるでしょう。ただ、このサジ加減、時代と共に微妙に変化しているように思います。その大きな変化の要因とはインターネットが呼び水となっているのは間違いないとしても、それは、最初に誰かが求めたからだとも言えます。

 これからの時代、日常生活の中でもビジネスの現場でも、この「サジ加減」を使いこなす人がアドバンテージを獲得し、自分の狙いを成果に評価に変換することができるような気がしています。こうなると単に文章力や持ち前の教養だけでは適正に処理できなし、まして、名前が売れている売れていないってことよりも、より本質的な何かの有無。それは本質的な個人としての気質や人間性の部分で、真意の出し方が求められているような気がします。しかし、それは古今東西の偉人達が取り組んできたレベル・クラスのお話だから、到底、素人には真似できない。だから、ただ漠然と「何故だろう…」とモヤモヤするしか術がないのでしょう。

 あまり深く考えず、普通にラーメン食べて、麺の硬さやスープの個人的な感想を書いている感じですべてが丸く収まるのでしょうし、それがストライクゾーンだとも言えます。

 インハイで体を起こされ腰が引け、アウトローに踏み込めず三振せぬよう、常に自分の軸と体重移動を意識したいです。