永遠ですね。

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 確か「ブレードランナー」を初めて映画館で観たのは25歳。場所は池袋だった。当然、映画の封切りロードショーではなく、単館での再上映である。池袋の裏通りにある単館で、仕事終わりだったので夜だったし、今、振り返ると「雨」だった。だから、ここまで心を奪われてしまったのかもしれないし、SF映画の金字塔であることなども観たあとで知ったことだし、N,Y,のビデオ屋さんで英語版のビデオを買ったことなども重なり、いろいろな良いタイミングが個人的に見事に重なった作品なのだ。そんな良い映画を観るといつも「何故だろう?」と考えてしまう。この作品のどの部分が何故に心に響くのか?などを理屈ばかり考えてしまう。しかし、あれが良いからこれが良いからという思考の道筋ではなく、言葉や理屈になる前の感覚に確固たる「GOOD!」という感覚を意識したら、その実感を言葉や理屈に置き換えず、心に残っているその感覚をそのままキープするべきなのだ。

 デザインの仕事も同様に理論や理屈だけで取り組んでしまうと、感覚の部分を切り捨ててしまいがち。頭で「シンプル イズ ベスト」「引き算のセオリー」「ユーザビリティー」「グローバルデザイン」などと心地良い言葉に泥酔しないように注意が必要。だから、一番最初に来る(受ける・感じる)波のような感覚をその感覚のまま残すことを意識しなければならない。その蓄積しか良いつくり手になるルートはないのです。

 レイチェルの美しく脆い悲哀は何度観ても劣化していない。つまり、まだ、25歳の頃の感覚は劣化・退化・鈍化していない証だろう。レイチェルはそんな私の永遠の存在のひとつです。