孫子曰く。

 テレビで「孫子の兵法」が紹介されていた。「自分の限界点を超えたい時は、常識と非常識を使い分けろ」という言葉に対して出演者がなるほどの連呼。う~ん、この言葉を初めて知ったのは高校生の頃だっただろうか。その頃はなんのことやら???チンプンカンプンだったが、今となっては確かに「なるほど」と少しは理解できる。しかし、だとしても、最近は「常識」と「非常識」の区別がつかないから困ったものである。さらに、「自分の限界点」についてはさらに濃霧の中で、3年前、富士山の2合目の駐車場に行く時以上の濃霧だった。あの濃霧はまるで映画のワンシーンのようで、少し恐怖を感じた。突然濃霧の中から巨大なモンスターの手が飛び出し、車ごと、そう、ジュラシックパークのティラノザウルスのようにひょいっと掴み上げられ、樹海にぽい!ってなりそうなほどの濃霧だった。ヘッドライトが4~5m先を照らしているが、地面も恐らくすぐ上にあるだろう樹々の枝葉も見えない濃霧。時速20kmぐらいの超徐行でもどこで道が曲がっているのか、さらに登っているのか下っているのかさえ感覚としてないような濃霧だった。

 「常識と非常識を使い分ける」と「自分の限界点」。ヘッドライトの届くゾーンならばなんとなくそのままの意味で理解できるが、霧の先は分からない。私たちは言葉や書籍の文面に対して、イチイチ「濃霧」の中のことまで考えないが、実は「常識」という言葉ひとつ掘り下げても、ヘッドライトが届く1m先は崖かもしれないし、「限界点」の枝葉の間から巨大なモンスターの手が伸びてくるかもしれない。でも、「へぇ~、孫子の兵法に書かれていたのか・・・」程度で「なるほど」を簡単に出している。つまり、感覚を抑制しているのである。私も会話中、安易に軽率に「なるほど」という相槌を打って、「ああ、表面的なリアクションをしてしまった・・・」と反省することが多い。しかし、「なるほど」もリズムや手拍子みたいな使い方があるので、イチイチ深読みして四六時中、just moment! BTW,,,ってわけにもいかない。

 孫子が実在していたかどうかさえ、実は濃霧の中なんだから。