絵って何だろう。

 そもそも私が大学4回生の時に考えていたことはいたってシンプル。「絵を描いて飯を食う」だった。しかし、この発想が社会に通用しないと実感する機会はすぐにやってきた。「絵が好きだ。」という理由だけではどこの会社にも採用してもらえなかったのだ。さて、そこで次に考えたのが「絵を描くことに近い仕事」だった。大学生レベルの知識と経験では選択肢では少ない。もう、「デザイン」しかなかった。幸運にも4年間過ごした寮の中にデザイン学科の先輩や同級生がいたのでデザインに対する予備知識を得ることができた。デザイン学科の友人も多かったのだ。しかし、実習も講義も専門的な授業は一切受けていないから素人同然。しかし、選択肢がなかったのでデザイン会社に就職するためにはどうするかを真剣に考えた。大阪芸大の美術学科の友人達は関西の会社に就職したり、地元で美術の先生をする。中には就職はせずアルバイトで生計を繋ぎ、作家活動をする。などの展開展望が多かった。それらの選択肢に私は一切興味がない上に、「生計をたてる」という考えがピンとこなかった。

 うん?「生計をたてるために仕事をする。」という考えが「自分が好きなことは一旦放置・保留し、まずは働くんだ。」という捉え方になってしまったからだ。これは今考えるとほぼ同じ意味なのだが、その時の私の捉え方はまったく違った。極端な絞込みであり、荒唐無稽な目標設定であり、乱暴で軽率な意思決定だったが、「デザイン会社でデザインの仕事をしたい。」という気持ちが何故か強かったのだ。というかそれしか見えていなかった。もし、現在4回生のデザイン学科の学生がこの話を聞けば、「お前、それは無理やで!」と瞬殺だろう。4年間基礎の基礎から多様な応用、真剣にデザインに向き合ってきた4年間と絵しか描いていない人間を比較した場合、「お前はデザインをなめているのか!」と一瞥だろう。

 だが、美術的な知識やスキルが社会に通用しない以上、即効性も汎用性もない美術のスキルと知識を社会に適用し、仕事に変換するには理論や理屈ではなく、自分の直感を信じるしかない非常に切羽詰った状況だったのだ。危機感の塊だった。

 そして、たったそれだけの決意と覚悟で東京に引越し。勿論、デザイン会社へのコネも人脈も知人も0だった。しかし、唯一、「デザインの仕事をしたい」という異様に大きな、不思議と揺るがない気持ちがあった。

 そして、今、改めてこの年齢(53歳)になり考える。絵って何だろう?と。

 第1戦、「マット・デイモン」では負けたが、第2戦は気合いを入れるぞ!