テレビを熱く語る。

 昨晩、ある俳優さんが最近のテレビドラマについて熱く語っておられた。

 「最近は素晴らしいテレビドラマがない。」と。

 テレビ業界が以前のような活況を失い陳腐化していると。さて、それは現実だろうか?私はテレビ業界のことは全く知らないし、まして芸能人の世界など無縁である。子どもの頃はテレビを良く観る子どもだったし、多くの影響を受けてきた。その影響が今のデザインの仕事に作用していると捉えているし、多くのタレントや俳優さん達の言葉や演技からも人間形成の素となる刺激を受けてきたと捉えている。それは認める。

 日本人が英語を苦手とする理由のひとつにヒアリング能力があげられるらしい。当然、英語圏で生まれた赤ちゃんは親の言葉を毎日聞きながら育つため、言葉としての英語に違和感がなく、日常生活をする上でも言語は必要だから脳の発達と連動し英語を習得する。同時に英語を音として捉え、発音やニュアンスと感情面の連動も感覚で捉えるため、これらが連鎖・連携して英語を使いこなせるのだ。日本人も同じ環境で日本語を習得するのだが、英語と日本語では文法の違いや語感の違いが結構あり、同様にイントネーションや音としてのリズム・テンポを聞き分けるヒアリング能力もテクニック的に違うらしい。よって、生まれてから3歳までの間にどの言語圏で育ったのかで聴覚のタイプが決まるのだそうだ。だから、音として言語を認識する時期が過ぎると、知覚野で捉えてしまい本来のネイティブな英語を習得する障壁になるのだそうだ。

 さて、テレビも同様に親の言葉と同じぐらいテレビから様々な影響を受けている私達は英語脳同様に「テレビ脳」という能力部位があり、それぞれの時代毎に絶対感覚で体感しながら、対峙しているのだ。と思い込んでいる。

 しかし、「英語脳」も「テレビ脳」もそれほど真剣に熱く捉えるような存在ではない、ような気がした。それは私がテレビ業界の人間ではなく、死活問題と無縁だからなのだが、いつの時代も英語は英語でテレビはテレビなのである。熱く語ろうが冷静沈着に捉えようが、ひとつの仕組み・システムである。栄枯盛衰と時代性や経済情勢などと無理やり相関させれば、熱くも冷たくもなるだろうが、熱くなりたいから意図的に熱く語る。冷静冷徹にふるまいたいからそう捉えているだけのような気がする。つまり、私達が熱く捉えているモノも冷静に捉えているモノも実態は同じで、いつの時代も仕組みやシステムは同じでそれに関わる人のテンション・感情・ポテンシャルで変質しているようみ見えるだけで、さほど、熱く語ったところで現実的には今も昔もほぼ同じモノなんじゃないだろうかと、昨晩のテレビを観ていて感じた。この感受性も結局、たまたま、昨晩はそういう気分だっただけなのだろう。この距離感というか間合いが人生を左右したり、人間関係を決めてしまうと考えると、感情面をコントロールすることってとても大切だという結論に達し、心地よく寝ました。

 物事の伝え方と捉え方はできるだけシンプルに「S(主語)+V(動詞)+O(目的語)」の構造で。