論理学者の独り言。

鶏が道路を渡ったのか、道路が鶏を渡ったのかは、あなたの基準系次第である。
アルバート・アインシュタイン

「論理学者型の人はかなり珍しく、全人口のわずか3%を占めていますが、「平凡である」ことが何よりも惨めだと思う論理学者型の人達にとって、これは良いことです。持ち前の発明力や創造力、独特の視点や力強い知性を誇りにしています。哲学者や建築家、または空想好きの教師が多く、歴史の中で数々の科学的発見に関与してきました。」と、これはあるWEBコンテンツでもあるアンケートの分析結果です。つまり、そのアンケート(100問)の問題を答えて出た分析結果でした。過去にこのタイプの分析を受けた経験はあるが、「論理学者タイプ」という結果は初体験でした。

 改めて「論理学者」っていう言葉に親しみが湧き、いろいろな論理学者が気になり始めています。

 分析結果の文面の中で、妙に納得してしまった部分が「わずか3%」という数字。漠然と私のタイプはそうなんだろうなぁ~、いや、そうありたいと願っている部分も作用したのだろう、その結果が「論理学者」だと、逆に他の15タイプは何だったのかとも考えてしまいました。

 論理学者タイプだからなのかもしれないが、私は良く論点を反転させることがある。意図的にか本能的にかスイッチを切り替える瞬間、具体的にどうしているのか、脳の中でどんなスイッチングが発生しているか全く実感できていないのですが、ふっと自分の状況に対して捉え方や視点を反転させる。ユーモアや仕事のアイディアもこの瞬間に生まれることが多い。ある状況ではその反転が「逃避」だったり、ある場面では「攻撃」だったりするのですが、この間合いのつくり方がかなり常識から逸脱しているような実感がありました。良い言い方をすれば「フットワークが良く個性的」だろうし、悪い言い方をすれば「逃げ足が早くズルい」となる。例えば、企画会議の席でも、「賛成と反論」のタイミングを意図的にコントロールする傾向が強く、相手の論点が良く見えるのです。むしろ、相手の話を聞いている際、「論点しか」見ていないので、メモなど取らずとも何時間相手が話をしようが、話の流れは完全に記憶している。弊害としてディテールや感情面を完全に無視するため、論点と感情が混合している曖昧な意図は見事に無視してオートマチックに忘れます。つまり、あまりこの人の話は面白くないなぁ~というケースはほぼ論点が曖昧な人であり、感情的で語彙が強い人でも論点が崩れていなければ共感するし魅力を感じる。この「見切り」が初見の相手でも3秒以内。合わせて、表情やふるまい(挙動)も、電話ならイントネーションや言葉のリズム・音階も意識して聞くが、論点はロックオンする。

 ああ、こうブログに書いてみると、やはり、自分はメンドクサイ奴なんだと痛感します。反省(汗)。