銭形平次。

「男だったらひとつにかける かけてもつれた謎を解く」

 これは古いテレビドラマ「銭形平次」の主題歌の冒頭である。

 不意にいつもこのフレーズが頭に浮かぶ。その理由は曖昧だが、何か理由があるはずだ。

 「ひとつにかける」とはどういう意味なんだろう?僕の解釈は「失敗してもいいから自分の答をひとつだけ頭で想い浮かべ、思考してみなさい、行動してみなさい。最初から謎の解き方は誰にも分からないから、ひとつの答を仮定し、まず、謎を解くことに意識を集中すればいいんじゃない?」と捉えている。

 多くのネットの中にも書籍の中にも発信者の「答」がある。「こうして私は巨万の富を得た」「ビジネスの現場ではこうあるべきだ」「仕事とは、人生とは」どれも美しく強い答である。しかし、どれもこれもひとつに収束し整理し整え、ダイヤの原石を研磨するようにはいかない。芸大生の頃、彫刻の実習で顔像をつくった。粘土をつかってモデルの頭の原型をつくり石膏で型をとり、樹脂を流して頭像をつくるという実習だった。粘土で頭像をつくるのは初めての経験で、人の頭や顔の絵は限りなく描いてきたが、立体的な作品づくりは初体験だった。まぶた、鼻、口、耳、首をねんどを捏ねたり削ったりしながら制作した。手を入れ確認する作業を実習時間中、延々と繰り返した。先生には「人の頭の構造をよく観察している」という評価をいただけたが納得いく作品ではなかった。

 粘土の塊を前にして躊躇するか、自分の答を探すために決意して手を動かすか、謎を解くことは苦しい。しかし、楽しい。