2017年09月 アーカイブ

礼節を心得る。

 僕は常に歯を食いしばって「見えている大人」でありたいと願っている。

 例えば、最近の若者達。古き良きモラルやルールを無視した挙動と言動、どこまでも限りなくフリースタイルな振る舞い、礼節もリスペクトもリレーションシップも未熟だが、しかし、どこか的を得てる部分もある。などなど、現代の若者は摩訶不思議という言葉で解釈し放置するそこそこな大人達。僕は歯を食いしばってそういう解釈をしたくないと思っている。通念のモノサシで若者を一刀両断で切り捨てている大人にはなりなくないと。むしろ、自分がそうであったように「見られている意識」をもっともっと強くして大人に牙を向いてほしい。僕はすでに53歳、こんなこと言っている時点で終わっているのかもしれないが。

 ただ、ヒトが持つ礼節だけは普遍だと捉えていて、老若男女問わず普遍のモノサシだと確信している。

 僕は3年間の硬式野球を経て徹底的に礼節を、幸か不幸か叩き込まれた。だから、他人をその視点・観点で無意識に分析・評価してしまう。最近、ソフトボールの練習に行っていて、地域の皆様が夜の7時からグランドに集まり汗を流している。先日、20歳の方がその練習に参加された。一見、ぶっきらぼうだが、「こんばんは」はちゃんと返してくれる。その彼がグランドに入る時、帽子を脱ぎ一礼をした。練習後もホームベース付近を入念に黙々と整備している。そして、メインライトが消えて薄暗くなったグランドの出口でグランドの方を向き直し一礼した。それを見た瞬間、僕も入口に戻り一礼した。

 他の人達はワイワイとグランドから出て行き、帰宅されたが、僕は一礼した若者のことで胸が一杯になり、少しだけ鼓動が早くなった。人のふるまいひとつひとつには理がある。その理が見えなくなった時、ヒトがヒトである大切な部分を手放してしまうような気がした。

 その瞬間が見えてひと安心した僕。

テレビを観ながら。

 最近ふと、テレビを観ながら感じたことがある。それはニュース情報以外のテレビで放映しているコンテンツについて。

 例えば、「面白映像オムニバス番組」。ユーチューブの影響なのかハプニング映像や動物達の愛らしい映像が中心で、事故や災害の映像も含め盛りだくさん映像を集めている。しかし、一見、それぞれの映像は楽しいし、たくみなコメントで愉快なひとときは過ごせるが、そもそも何故この映像を自分が観ているのかが分からなくなる。確かに観ている時は楽しいが、それだけ。特に映像から番組をつくっているつくり手の意図が汲み取れるわけでもなく、教訓も英知もない。非常に表面的な視覚刺激だけがあり、ちょっと心がフワッとするだけ。見終わった後、1時間がとても無駄だったような気持ちになる。

 また、イマドキの「グルメ番組」。到底、行けそうにない高級レストランや料亭の映像情報とワンパターンの評価。漁港や農村でとれたて素材を頬張り想定内のリアクション。芸能人や料理人が登場して各々のテクニック自慢を見せられる状況。味覚は映像では伝わらないから、個々のポテンシャルとボキャブラリーで「美味しい」を弄りまわし番組が成立している。特になんとかソムリエという立場の人のコメントは説得力がない。表現力や言葉選びがテレビでは伝わりにくいのだ。僕が料理を食べている傍らで同じことを言われたら、心が震えるのだろうが、不特定多数に対していくら美辞麗句やお決まりの決め台詞を放っても、テレビの向こうには届かない。というか僕には届かない。

 あとは、「お笑い系全般」。最近、ネタ番組が減り、時勢ネタを多くの芸人や知識人がコメントしリアクションする番組づくりが主流のようですが、芸人のフリートークは固定化され想定内のコメントからはみ出ない。かつては、はみ出しを意識し売りにしていた有吉さんや坂上さんや梅沢さんでさえ、スタイルが確立されると、見事にはみ出さない。これがテレビ番組の強力な法則なのだ。

 むしろ、これらの枠からはみ出しているヒトは言えば、「みやぞん」さんぐらいだろう。みやぞんさんは天然を売りにしているが、テレビという枠をその天然さと類まれなる本能で反照させている。一見、正直者に見えるが、私には爪を隠したオオカミに見える。

 もっと、テレビにはオオカミが登場してもいいはずだと思うんです。セオリーやタブーをひと掻きで切り裂くような爪をもったラプトルでもいい。そんなことをテレビに期待しています。ネットの裏側で流れいるような未熟で狡猾で貧弱な情報は潔く無視していいと思います。

グルートがバヤイ。

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 グルートがとにかくヤバイぐらいに可愛い。かつて、これほどの可愛いキャラが登場した映画を僕は見たことがない。数多のキャラをブッチギリで抜き去り、先日、堂々の第1位になった。映画の第1弾からすでにその予感はしていたのだが、今回の第2弾作品でそれが決定的な第1位になった。セリフは「I'm groot.」のみなのに、なんで?なんで?なんで?

 ここで言及しておくが、慢性化している日本の「ユルキャラ」と世界を圧倒している日本の「アニメキャラ」全員が束になっても、グルートが勝る。あらゆる点で勝る。悲しいかな、日本の誰かがどうその才気をマックスにして挑んでも、この魅力的な存在を生み出すことは無理だろう。隕石とタイムパラドックスをレンジでチンした作品に浮かれていればいい。恐らく、ヒトの根にある生命力というか、生命に対する尊厳の強さがなければこのキャラは生み出すことができないと捉えている。「何をお前はそんな大げさな!」って罵られてもいいから、僕は真意をここで打ち明けている。もし、このテンションが伝わらないのなら、仕方なし。

 そんな時こそ、「I'm groot....」である。このニュアンス、伝わらないだろうなぁ。

伊吹山

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 今日、ふと見上げた伊吹山は絵にしたくなるような表情でした。僕は風景画は描きませんが。また、雪が降るまえに登りたいです。

2017.12.15

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 昨晩、SW-8の予告CMをテレビで確認。6までほぼ無視してきた映画なのに、7からリアクションが一変してしまいました。どうも僕は映画の好き嫌いを、ほぼ90%、主人公の俳優(女優)さんで決めている傾向がある。12月15日公開、非常に楽しみです。

9.98

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 9.98秒、日本記録達成、おめでとう!桐生君。

 こんなに心が震え涙が出る出来事はありません。

 素敵過ぎます。

ダフネ・キーンちゃん

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 また、新しい星が光を放ち始めました。という感じ。

書店兼カフェ。

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 明日、東京の日本橋浜町に地元との交流目的で新しい書店兼カフェがオープンする。この企画を仕掛けたのは安田不動産。同社はこの地域で貸地業を営んできた老舗企業である。この書店を企画したプランナーの狙いは、会社勤めの人々と古い住民が店で集い、本に刺激を受けて会話が弾む。そんな地域の交流の場となることを期待されたのだ。

 大手から零細店まで書店の廃業は全国的に止まらない。新刊書店のない自治体は全国で2割に達したと記事に書いてあった。ネット時代、書店という空間はもう必要性を失いつつあるのだ。

 確かに僕も目的の書籍はネット通販で購入する。わざわざ書店に行って探す手間が省け、在庫の有無を気にせずいつでも確実に購入できるネット通販はとても便利だ。仕事柄、ネットでの情報収集は日常茶飯事で、ネットがない時代からデザインの仕事で書店や手持ちの資料探しに多くの時間を費やしていたことに比べれば、圧倒的にネットでの情報収集は効率的に勝る。しかし、同様に仕事柄、新しいアイディアを着想しなければならない場面や、アイディアを着想するための体制・コンディションに切り替える場面でよく書店にぶらりとわざわざ出向く。仕事場でパソコンの前に座っていたり、家にいるとどうにも気持ちが萎縮し固定されるのだ。自由な発想や頭の中のアイディアを整理するには、やはり、体制づくりやコンディションづくりが、つまり「わざわざ」が重要なのだ。書店にぶらりと足を運ぶと開放的な気持ちになり、密度の高い多様な情報が整然と並んだ書店空間は最高の場所なのである。

 書籍を購入することだけが目的ならば確かにネット通販が有利だが、書店には想定外の嬉しい発見もあるし、書店の方との会話も楽しい。僕は必ずしもカフェが併設している必要は感じないが、優位性が浸透するには地域性も考慮しなければならないし、商品としての書籍を入手する以外の書籍の価値が少なくなれば書店という空間は必要なくなる。ニーズとのにらめっこである。しかし、ネット通販という手法が利便性に特化する故に黙認しているゾーンが、いずれにしても今後のビジネスモデルの雌雄を決するゾーンになりそうな気がしています。即効性はないが、決してなく無くならない、無くなっては困る重要なゾーンだと思います。

 「わざわざ」にはいろいろ重要な言葉にできない何かが潜んでいるんです。

DVD到着!

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 さて、ついに本日、待ちに待ったDVDが到着しました。

神業。

 神業と言えば、本日ある店舗様のリニューアルオープンに向け、店内に掲示されるパネルの内容やサイズなどの現場打ち合わせに伺った。その際、鍵を紛失してしまいなんとかロックを解除したのですが、鍵がなくても解除できる人を知りませんか?と聞かれた。精一杯頭を捻るがそんな人は知らない。そこで、検索すると鍵のトラブルを専門にしている人が見つかった。その人に電話すると30分で現場に到着。この状況を確認して無事解除できれば有料。解除できなければ無料ですという説明をし、早速、専門道具で開錠作業を開始。持ってこられた道具は潤滑油のスプレーと革の小さなふろしきのようなケースに入った専門ツールのみ。

 作業をじっくり拝見するのも失礼だと思って、パネルの打ち合わせを続けていると、「開きました。」と、ものの数分である。そして、「次もやってみますね。」って同じく数分で開錠。「また、何かお困りの際はこちらまで」って名刺を出され、颯爽と帰って行かれた。

 う~ん、これが真の神業だ。

バス釣り名人募集って!

 琵琶湖沿いを車で走っていたら「バス釣り名人募集!」というのぼりを発見。のぼりとセットに外来魚駆除ボックスが配置してあった。つまり、のぼりの狙いはバス釣り名人達にバスを釣って駆除してください!というメッセージを込めたのだ。恐らく、この戦略を考えたヒトはアングラー達がこののぼりを見て、次から次へと釣ったバスを駆除ボックスに入れてくれるだろうと確信したはず。が、しかし、恐らくこの戦略を考えたヒトはバスを釣ったことがなく、「名人」と仄めかせばアングラーは反応すると考えたはず。いやいや、いつものことながら、このタイプのロジックには閉口してしまいます。これが実感を得ていないヒト、現場の空気を読めないヒトの離れ業なのかと。

 また、ある県で観光地のネーミング募集企画がありました。企画の主旨を伝えるために募集要項や募集ツールには仮称がありました。そして、その観光地を愛する人達から8,000通の応募があったのですが、結果、審議の末、観光地のネーミングは「仮称」に決定しました。ええっ!観光地を愛する人達からの8,000通の応募とその熱意はどこに消えたのか?慎重な審議が重ねられた結果の「仮称採用」だったのだと思いたいが、それでも遺恨が残るでしょう。これも神業のひとつ。

 どうもこのタイプの人達は慎重過ぎて軽率な結論を出している。考え過ぎて本末転倒な行動をとっている、ような印象を受けてしまいました。

 審議される方達も試行錯誤の末、苦渋の結論だったと思いますが、バス釣り名人がバスを駆除するはずがないじゃん。8,000通のネーミング応募より仮称が優れているわけないじゃん!もう、これらの諸行は神業としか表現できませんね。

無くなっては困るモノ。

 この世の中から無くなっては困るモノが3つある。それは、「ニコチン」と「カフェイン」と「アルコール」である。当然、賛否両論あるだろうが、僕は無くなっては非常に困る。

 まず、「アルコール」とはお酒である。僕は決して酒豪の部類ではないがお酒を飲むと確かに体調が良くなる。体調を良くしたいから飲むではないのだが、気分次第でビールやワインを飲むことが稀にある。晩酌として習慣化していないので、世の中の基準で言えば「お酒好き」ではないのだろうが、無くなっては困る。比較的、血の巡りが良い体質なのでビールならコップいっぱいで顔が真っ赤になるし、ワインならコップに半分程度で、適度に頭がフワフワしてくる。なんせ、若い頃はアルコールアレルギーだったので、常備薬を飲みながらお酒の席に臨んでいた。社会人になり常備薬からは開放されたが、酒豪と呼ばれている人と比較すると圧倒的に弱く、飲める量も健康的な量が限界である。自分では勝手に「楽しい健康的な酒飲み野郎」だと自負している。

 二つ目は「カフェイン」である。紅茶にはあまり興味がないがコーヒーは1日にかなりの量を飲む。夕方頃を過ぎると特にピッチが短くなり、ライトなコーヒーを飲んでいる。また、コーヒーと同様にオロナミンCは一年中欠かせない。他の栄養ドリンクもいろいろ飲んではいるが、微妙な味とか濃度とかがオロナミンCと比べて満足度が低い。オロナミンCにも分量は不明だがカフェインが含まれていて、頭がモヤモヤしている時や単純に水分補給のタイミングで愛飲している。

 三つ目は「ニコチン」である。愛煙家が形見の狭い世の中になり、ひと箱の価格も上昇中だから「ニコチン」を摂取するヒトは辛い時代である。吸わない人を気にしながら、吸う場所を気にしながら、「タバコなんて辞めたら?えっ!まだ、辞められないの?」などと言われ続けても、「ニコチン」は辞められない。こんな世の中だから、「僕はタバコぐらい辞められない意思の弱い、無責任な人間なのか?」とも自問自答しているが、「そのロジックは吸わない人の言い分だから賛同できない。」という答を密かに心の中で温めている。秀吉の草履のようにいつも懐で温めている。信長(タバコを吸いたい自分)が縁に現れた時、懐からタバコを出して火を付けて差し上げるために。この主従関係について実感できないヒトは、恐らく、自分の中に信長が存在しないヒトなのだ。

 さらに、追加であと無くなっては困るモノが三つある。

 それは、「チリ」「菌」「雑音」である。この説明はまたいつか。