礼節を心得る。

 僕は常に歯を食いしばって「見えている大人」でありたいと願っている。

 例えば、最近の若者達。古き良きモラルやルールを無視した挙動と言動、どこまでも限りなくフリースタイルな振る舞い、礼節もリスペクトもリレーションシップも未熟だが、しかし、どこか的を得てる部分もある。などなど、現代の若者は摩訶不思議という言葉で解釈し放置するそこそこな大人達。僕は歯を食いしばってそういう解釈をしたくないと思っている。通念のモノサシで若者を一刀両断で切り捨てている大人にはなりなくないと。むしろ、自分がそうであったように「見られている意識」をもっともっと強くして大人に牙を向いてほしい。僕はすでに53歳、こんなこと言っている時点で終わっているのかもしれないが。

 ただ、ヒトが持つ礼節だけは普遍だと捉えていて、老若男女問わず普遍のモノサシだと確信している。

 僕は3年間の硬式野球を経て徹底的に礼節を、幸か不幸か叩き込まれた。だから、他人をその視点・観点で無意識に分析・評価してしまう。最近、ソフトボールの練習に行っていて、地域の皆様が夜の7時からグランドに集まり汗を流している。先日、20歳の方がその練習に参加された。一見、ぶっきらぼうだが、「こんばんは」はちゃんと返してくれる。その彼がグランドに入る時、帽子を脱ぎ一礼をした。練習後もホームベース付近を入念に黙々と整備している。そして、メインライトが消えて薄暗くなったグランドの出口でグランドの方を向き直し一礼した。それを見た瞬間、僕も入口に戻り一礼した。

 他の人達はワイワイとグランドから出て行き、帰宅されたが、僕は一礼した若者のことで胸が一杯になり、少しだけ鼓動が早くなった。人のふるまいひとつひとつには理がある。その理が見えなくなった時、ヒトがヒトである大切な部分を手放してしまうような気がした。

 その瞬間が見えてひと安心した僕。