DVD「ARRIVAL」

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 当然、賛否両論はあるものの、僕のこの映画に対する評価は「あらゆる映画作品の中で1番だ」である。まだ、わずか1回しか観ていないので軽率な評価かもしれないが、見終わってからずっと激しい動悸が続いた。今も同じソワソワしている。確かにSF映画として、テーマである「言語」の捉え方に対して、各分野の然るべき専門家達からは厳しい評価を得たらしいが、創っていない人間はなんでも言える。僕の動悸が激しくなったのは、僭越ながらこの映画を「創った人」に同期したいと、少しでも同じ観点でこの作品を捉えたい、全身全霊で共鳴したいと願ったからだ。何をどう想定し期待しようが僕がこのような映画作品を創れる機会はないだろう。しかし、この映画に興味を持ちDVDを買い観てしまった以上、例えその確率が限りなく0%に近いとしても、0%ではないと信じたい一人の映画ファンの憂いである。

 確かに映画「CONTACT」はこの映画と比較するに値するし、今、思い起こしても「CONTACT」のあらゆるシーンが頭の中に浮かぶ。また、来週公開される同監督の「ブレードランナー2049」の源泉である「ブレードランナー」も、引いては「2001年宇宙の旅」にしても、この映画と比較してしまうのが当然だが、それでもそれでも「ARRIVAL」は勝る。

 むしろ、「勝る」「劣る」などと比較することすら意味がないと感じている。

 念のため、原作を入手しようと思います。DVDを観るまでひかえていた原作だけに、改めて原作を神妙に辿ってみようと思います。言わば「解答事例集」のような感覚で。

 「ブレードランナー」という映画はある意味「境界線(ボーダーライン)」で、決定的に観るヒトを二分してる。向こう側にはブレードランナーを分からないヒトがいて、こちら側には無くてはならないヒトがいる。優劣や正誤や好みという比較ではない。中庸なゾーンとしてこちらとあちらが存在しているのだ。そして、その議論は理論や理屈ではどうすることもできない程の決定的な存在としての境界線なのだ。映画「ARRIVAL」を観て、改めて、僕は安堵している。今後、この映画がひとつの大きなボーダーラインになることだろう。

 正に、何かを二つに切り裂く「ブレード」のように。