2017年11月 アーカイブ

錯覚。

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 この本では下記のようなテーマ扱っています。

 実験I えひめ丸はなぜ沈没したのか? 注意の錯覚
 実験II ねつ造された「ヒラリーの戦場体験」 記憶の錯覚
 実験III 冤罪証言はこうして作られた 自信の錯覚
 実験IV リーマンショックを招いた投資家の誤算 知識の錯覚
 実験V 俗説、デマゴーグ、そして陰謀論 原因の錯覚
 実験VI 自己啓発、サブリミナル効果のウソ 可能性の錯覚

 「科学」と題しているだけに「錯覚」に対して説得力のある事実を科学的に分析している良書です。この本は新聞広告やネット広告で知った訳ではなく、ふらりと書店に行って平積みされていない棚置きの中から選んだ本でした。何気なくニュートラルな気持ちで書籍の背を見て興味を持った本です。気になったのは「錯覚」と「科学」を組合わあせたタイトルでした。こんなに嬉しい発見は書店ならではのサプライズで、そういう気持ちだったから入手できたのかもしれないし、無意識にそういう情報を求めていたから興味が沸いたのかもしれません。まだ、書籍は中盤戦ではありますが、あと「原因の錯覚」と「可能性の錯覚」が楽しみです。

 「錯覚」という言葉について良い印象はなかったのですが、いやいや、なになに、僕はかなり「錯覚」に翻弄されているんだなと実感できた偶然の出会いでした。別の観点で必然だったとも思えなくないが、これもひとつの錯覚かもしれません。 

あと260g

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 2017年シーズンは諸事情でバス釣りに行けない非常に残念な一年でした。そんな厳しい状況でしたが、無事エレキデビューを果たし、先日日曜日はエレキ操船2回目にして大会に参加してきました。12名の少人数だったとは言え、お立ち台(3位入賞)まであと260gの4位でした。いつものことながら、あと1本が出せないのです。2018シーズンは、エレキテクを磨き頑張りたいと思います。レベルの高い実力者が集う伊庭内湖ゾーンで結果を出したいと思います。

ローラちゃん

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 そうですかそうですか、すでに公開決定ですか。楽しみです。

万次さん。

 非常に迷ったのですが、原作を愛読しているファンとして、例え、世の中の評価が良くなかったとしても、この作品は観ておく必要性を感じ、心して映画「無限の住人」を観た。

 ほぼ、ネットに書かれている評価通りで、見終わって心が震えるような作品ではなかった。ある程度、予測・想定・覚悟していただけに、意外とニュートラルな心持ちで最後まで観ることができた。

 では、何故、原作のような感動や衝撃が映画にはなかったのか?配役や場面、セリフのやりとり、シーンのディテールなど、言い出したら止まらないぐらいの別物だった以上に、致命的なポイントが3つあることに気がついた。漫画原作のファンならこの3つのポイントは頷けるだろうが、映画を観ただけなら比較できないのでピンと来ないかもしれない。

 全ての登場人物に原作との違和感があり過ぎて、いかに原作がつくりあげた存在感が凄まじく秀逸だったかを改めて認識しながらも、何より、ポイントは「万次さん」である。背中の「万次」という文字のこと、隻眼の特殊メイクの処理品質、身長と体格、刀の構え方・打ち方などなどは言うまでもなく、原作の万次さんが絶対しないことを映画の万次さんは平気でやっていた。

 一つ目、万次さんは山道を走らない。

 二つ目、舌打ちはしない。

 三つ目、血栓虫にしゃべりかけない。

 この主人公の設定は監督が決めたのか、演出家が決めたのか、主役本人が決めたのか一般人には知る術はないが、原作を読み込んでいるのなら、この3つは絶対やってはいけないことだ。何故なら、これをやってしまうと万次さんではなくなるからだ。物語の進行上、致し方なかったのだろうが、それでも、移動の表現なら、カット割りで編集できるだろうし、セリフ回しも「舌打ち」を除くことはできる。さらに、「血栓虫」にしゃべりかけるってことは、それ自体に意味が生まれる。例え心の声だったとしても、セリフとして言葉として外に出てしまうと別の意味が生まれるのです。これら3つの判断ミスで、映画の中の万次さんは、原作の万次さんとは別物になってしまっている。日本の最高チームが映画製作に取り組んでいるはずなのに、肝心要の「万次さん像」が原作から継承できていないように感じた。非常に残念である。

 ハリウッドでワンピースが映画化されるらしいが、恐らくこちらも原作とは別物になるだろう。漫画が映画になるとき、かならずこのような不具合が生じる。この場合、不具合ではなく、興行作品として必要な要素であり改造ポイントなのかなとも捉えているが、それでも、原作を越えることはない。だから、実写版の映画作品を観る時は「絶対に越えないモノ」という覚悟が必要。

 現代では、漫画作品がテレビアニメ化・映画化・小説化されたりするのは一般的な流れになっているが、この流れが逆流することはなく、テレビアニメ・実写映画・小説が「後始末」「消化試合」のような状態・状況になっているのは、それぞれテレビ関係者・映画関係者・作家さんたちは容認しているのだろうか?それとも、この流れを逆行きできない差し迫った大きな理由が何かあるのだろうか。

 漫画作家のイマジネーションに俳優を割り当て、物語を再構築し、映像化することで、何故、ここまで全体的な存在感が劣化していまうのだろう。恐らく、監督や製作が真のファンではないから、演じる役者達が漫画作品を理屈で捉え、仕事として捉え、取り組んでいる以上、漫画作品を越える映画物語は生まれないのだろう。むしろ、それほどまでに「漫画」という表現方法は他に類を見ない孤高の表現手法なのだとなる。

 子どもの頃からそんな秀逸な漫画作品を身近に感じながら、リアルタイムで過ごせたことを今更ながらこの年齢になり本当に幸運だったと感じている。

 つまり、漫画作品の最大の魅力は「誰とも共有する必要がない」からなのだろう。それを、劇場で多くの人に観せるためにとか、広告(視聴率)ありきのテレビで楽しませようって理由がある以上、原作の「光っている部分」を失っても理論・理屈をカタチとして残さなければならないのだ。この流れに無理があるのだから当然といえば当然だ。

「チャヴ」への賞賛。

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 なんと素晴らしい賞賛の数々。アマゾンのレビューから抜粋しました。日本ではこのタイプの書籍の翻訳が遅いのは何故だろう?この国がどう体裁を繕おうが、メディアでどんな美辞麗句で辻褄を合わせようが、結局、本質的な鎖国は続いているんだとしたらヤバイですね。未だに・・・ということがそこかしこで継続・継承されているんです。

 こちらが世界各紙の賞賛評価です。
 ↓

「怒りが生んだ、最高の本」
──ガーディアン紙

最高の論争がみなそうであるように、知性に裏打ちされた怒りが本書を支えている。
──エコノミスト誌

暴動や世界中に広がったオキュパイ運動に照らして考えると、
分断社会に関する著者の鋭い分析は、
不気味なほど未来を予知していたことがわかる。
──アートフォーラム誌

情熱と、思いやりと、すぐれた道徳性が結実した仕事だ。
──ニューヨーク・タイムズ紙

政治の定説を見直す大胆な試み。著者は戦後のイギリス史を縦横無尽に往き来し、
階級、文化、アイデンティティといった複雑な問題を軽々とまとめてみせ、
結果として「階級」問題に火をつけ、大きな効果をあげている。
──インディペンデント紙

いまの制度が貧しい人々を見捨てていることに対する苛烈な警告──それが本書だ。
──ブログサイト「デイリー・ビースト」

ジョーンズは、「地の塩」だった労働者階級が政治のせいで
「地のクズ」と見なされるようになった経緯を見事に説明している。
──タイムズ紙

この本は、新しいタイプの階級嫌悪と、
その裏にあるものを痛烈にあばいて見せてくれる。
──ジョン・ケアリー(The Intellectuals and the Masses著者)

これは「イギリスはおおむね階級のない社会である」という考え方への、
論理的で情報満載の大反撃だ。
──オブザーバー紙

情熱的で示唆に富む……この声が届くことを心から願う。
──スコットランド・オン・サンデー紙