Bug(バグ)。

 創世記のコンピューターの回路に蛾が入り込み誤動作を起こす原因になったことから、プログラムの不具合・欠陥・誤動作を「バグ」と呼ぶようになった。人為的なコードのミステイクが本来の原因なのだが。美しいコードを連ね意図する機能を再現するプログラムだが、常にバグが潜む可能性が消えない。僕はプログラムを1から記述する知識も経験もない一般ユーザーなので、バグの影響で致命的なビジネス上の失敗やトラブルを蒙った経験はないが、仕事としてプログラムを記述しているエキスパートのヒト達にしてみれば、完璧無比なプログラムを目指している最中に不本意なバグが混入することは死活問題。バグのおかげで多大なる被害や費用不遜を引き起こされたらたまったものではない。

 さて、デザインの仕事ではどうか?

 むしろ、美しいデザインとは完璧なコードのような法則や方程式は存在しない。その美しさや価値を評価する基準はほぼ感覚である。当然、理論や理屈は必須であり、基本的な構造を成果として生み出すためには必要不可欠ではあるが、理論と理屈で汲み上げたデザインが僕は美しいとは思わない。そもそも起案・発案・着想の段階で言語的数値的な素材から良いアイディアが生まれるケースが少ないのだ。感覚が常に優先するため、つくり手が五感から得た情報を言葉に変換する作業からデザインは生まれると僕は捉えている。

 当然、バグから良いアイディアが生まれる場合もある。

 完璧なプログラムを装備したAIがいつしか「デザイン」を生み出す時が来るのだろうが、その時、僕はそれを「デザイン」と感じることができるのだろうか?テレビや新聞で「AI」という言葉を聴くたびにそのことがとても気になる。