五感から言葉へ。

 20代の頃、養老孟司さんの書籍「唯脳論」に出会い、それまでに自分の中でモヤモヤしていたことのほとんどが美しく辻褄が合った実感がありました。養老さんは解剖学者でありながら論文で権威となることを止め、書籍という手法で素晴らしい言葉を残されています。その頃の僕は養老さんの豊富な知識や経験値のひとつひとつに感激していたわけですが、そもそも専門知識のない一般人に何故、養老さんがそこまでの言葉を連ねられたのか?という疑問はまだありませんでした。刺激的な言葉のひとつひとつに感激感動し、自分の思考と相関させて酩酊しただけだったのです。しかし、僕もそこそこ年齢を重ねることができ、別の観点で養老さんの言葉を捉えることが少しだけできるようになったようです。最新刊の「遺言」はそういう観点で楽しく読みました。

 その書籍の中、多くの提言があったのですが、やはり、気になるところは現代のデジタル仮想空間に対する提言です。「人間の都市化」については「唯脳論」から養老さんが提言しておられることですが、今回の「遺言」でもさらにレイヤーを重ね重厚に言葉を選び、示唆しておられました。人間社会は「恐怖」を排除している故に空虚になっている。失敗や想定外のトラブルを排除し、一見、美しい理想的な社会を目指している一方で、本来、五感が捉えているあらゆる情報の中で「都合の良い部分だけ」を切り取って再構築いる。そして、都合の悪い部分を理論理屈で処理し、法規で排除するためにデジタル化という手法に盲進邁進しているのです。私のデジタルオンラインゲーム嫌いも根の部分にその感覚があるのですが、何をどう捉えても「その手のゲームは楽しくない」のです。ゲームメーカーさんの開発者に対して失礼な言い草ですが、あれは不毛だと僕は捉えています。アナログ人間の個人的な好みだということは否めないのですが、まったく好きになれない。よりも、山や琵琶湖に出向き、同類達と楽しい時間を過ごす場所こそが僕のいる場所だと捉えています。自然の中で五感が受け取った様々な変化に対して、僕自身がどう対応するかに本質的な楽しみがあり、その中にこそ「僕の答」があると捉えています。

 本年はできるだけ時間をつくり自然の中で想定外のトラブルに直接向き合いながら、僕自身がどう反応できるかをエンジョイしたいと思っています。いずれ、五感は鈍化していきますが、決して、デジタル信号に心を奪わぬよう、常に適正な判断(言動や行動)ができるように兜の緒を締め、ふんどしを締め直したいと思います。

 「五感から言葉へ。」とはそういう想いでチョイスした言葉です。