いい絵、いい音楽、いい人生。

 「いい絵」「いい音楽」「いい人生」はどこか似ている。

 この「いい」の部分は物質的な価値や権威や根拠とは無縁で、感覚的に「いい」のである。

 マスメディアやインターネットの中では絶対的に「伝える使命」があり、伝わらないと死活問題になるわけですから、どんな方法を講じても伝える必要があります。その作業を左脳は受け持っているわけで、使命感を前面の出している生真面目なタイプのヒトはそのルートで理想を追いかけている。あまりにも長い人生でそのルートを追いかけてこられたヒトというのは、そこにのみ価値観が収束している。むしろ、それ以外の価値観を習得できていないので、頭ごなしに実直でないヒトを否定してしまいます。今まで僕はそういうタイプのヒトをとことん否定してきた。というか無視してきました。本質的に共感できないので無視するしか術がなかったのです。でも、少しだけ見方のアングルを変えるとそういうタイプのヒトの背景や根拠が実感できたのです。言葉や行動に表れる部分だけを捉えて安易で軽率な判断をしていたのは僕だったからです。それに気がついてから感情的になり軽率な言動や行動が極端に減りました。つまり、理論理屈で「共感」や「思いやり」を捉えて、断片的な姿勢・態勢だったことを改めようと努力し試行錯誤しています。

 当然、書籍や他人の言葉に対しても同じ捉え方になりました。

 「いい絵」とは技術的に優れ思考が整理され然るべき手法で生まれているだけだと断片的に捉えていた節がありましたが、いやいやそうではなく、描き手はそうなるべき状況と真意があり、意図する以前に、そうなるべくしてそうなった絵なのだと。だから「いい」と捉えられる。

 「いい音楽」も然り、それは技術とか理論理屈とは別次元の、いや、次元などとは無縁の演者の本質や真意が自然に溢れ出しているからこそ、「いい」と実感できるのです。最近の事例では「ONE OK ROCK」のライブが正にそういう時間でした。

 当然、それらの捉え方が「いい人生」に結びつくわけですから、「いい仕事」を展開するためにはこの感覚をより高める必要がある。と言っても無碍に整理したり定理化したり言語化するのではなく、常に変化を受け入れられるように余裕をつくっておく事が理想。

 その先に必ず「いい人生」があるような気がしています。