犬も歩けば。

 「犬も歩けば棒にあたる」という言葉がある。ヒトとて歩き続けていればなんんらかの棒にあたるもの。ただ、犬は棒を探して歩いていたわけでもなく、漠然となのか明確な意識を持って棒にあたることを想定したのか否かという部分が気になった。この言葉を最初に語ったヒトのニュアンスやフィーリングを「歩く」を「生きる」に置き換えて推測してみる。

 恐らくその犬は毎日の散歩コースを飼い主といっしょに歩いていたような気がする。野良犬ではなかったような気がするのだ。だって、棒にあたる犬を見たヒトでなければこの言葉は生まれなかっただろうし、その棒が犬にとって何か価値のあるモノだと感じなければ「あたる」とは表現しないはず。ある日、飼い主が愛犬と一緒に散歩していた。特にどのコースを散歩したいとは考えず、毎日のルーティーンだったはず。犬も日課だから元気に歩いていただろう。理想的な犬の散歩は犬が飼い主と同じ速さで歩き、決して飼い主の前には出ないのが飼い主と愛犬の良い関係だそうだが、うちの愛犬が僕と並走していた記憶は一度もない。常に綱をグイグイと引っ張り自分が行きたい方向に進んだ。常に前のめりなタイプだった。一度、散歩中の路上で綱を外したことがある。たった一度だけ。普通、テレビに登場する優秀な犬だったら、綱を外しても飼い主の廻りをウロウロしたり、電柱を見つけてマーキングするだろうと思って綱を外した。数メートル先に娘もいたので恐らくその辺り止まるだろうと。しかし、綱を外した瞬間、彼は今まで見たことのないような瞬発力で一直線で疾走した。耳も疾走モードだからペタンと寝て、尻尾もしっかり巻いていた。彼はそのまま交差点に向かい、当然、赤信号で止まることなく一切速度を落とすことなく道路を横断しかけた。しかし、当然、車が右側から現れ急ブレーキで止まってくださり、彼は前輪に巻き込まれる直前で四つんばいになり停止していた。本能で全力疾走し、本能で車の危険を感じ、その場に停止したのだ。僕はドライバーに怒られて愛犬を抱えその場から撤収した。僕が安易に綱を外したことが原因だ。その日から散歩中に何があっても綱を外していない。

 彼も15年目。もう散歩には行けない。

 やはり、棒にあたる程度の生き方が良いのだ。そして、犬にもヒトにも綱は大切なアイテムなのだ。本能に任せ疾走する姿は優美かもしれないし、その姿は理想で自由そのものなのかもしれないが、棒にあたるためには基本歩くこと。歩くことの大切さを教えてくれた愛犬の想い出話でした。ゆったり歩いていれば何かに当たるのだから。生きるとはそういうことが大切。