優れたつくり手とは。

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 優れたつくり手とは、優れた冒険者であり、優れた博士であり、優れた職人である。この3つのどれを欠いても優れたつくり手には到達しない。特に卒業制作作品において最優秀であるということは、作品に対する教授陣の評価が高かったこと意外に多くの条件があるのだ。そもそもデザインワークやアートワークでは優劣を決められない上、優秀だったという評価を得たとしてもそれを生み出したつくり手には何も恩恵がない。何故ならつくり手は評価を得るためだけに作品を生み出したのではないからであり、評価を得るために生み出された作品が高い評価を得ることは難しいという方程式があるからだ。つまり、あえてこの理を整理するなら、最も評価された作品とそれ意外の作品は作品自体の格が異なっていると言わざるを得ない。むしろ、最も評価されることでつくり手は自分を見失い錯覚してしまう可能性がある。評価されなかったつくり手は自分自身に足りない何かをさらに探求しようとするだろうし、感覚と思考をフル稼働し整理しようと努力を積み重ねるだろう。そして、テクニックやスキルをとことんまで高めようとする。何故なら、間違いなく何かが足りなかったのだから。

 しかし、優れた冒険者であり優れた博士であり優れた職人が自分の中にいるのなら、そのつくり手はもう断片的な評価に興味はなく、次を見据えている。ある属性の中で最も高い評価を得たとしても、それが本意でないことをすでに分かっているからである。そして、当然、自分に足りないモノが何かもその優れた感覚ですでに感じとっているのだ。

 「優れている」とは単に「特異である」こと以外に言葉にならない「何か」が自分の中にあるという確証を持っていることになる。仮に確証がなかったとしても、それは必ずどこかのタイミングで表出し行動に作用する。それを「才能」「素質」「センス」と言葉にすることは容易いが、実体はそんな薄い言葉で共有できるモノではない。

 大切なことは常に「次の作品」なのである。

 さらに感覚を磨き、理(ことわり)を重ね、優れた偶然を引き寄せ、優れていない必然を消していくしか、草原に道をつくる術はない。

 とても優れた作品です。

 つくり手の「高揚感」がひしひしと伝わってきました。