ひらめき。

 論理的な思考は大切。しかし、理論や理屈は何回も何回も同じ場所でクルクル廻っているイメージがある。一見、正解や結論を求めている態勢だが、実はクルクル廻ることが狙いで回転の速度や複雑さをお互いに相関しながら思考の枠から外へ出ることを諦めている印象。情報を整理したり体系化することは絶対に重要な意義のあることなのだが、いつも同じ立ち位置で景色が変わらないのは閉塞感があり辛い気持ちになる。例えばいくら会議で「活性化」というテーマを協議審議しても結局会議の枠の中で次回へ結論が持ち越しになる。結論を出すことは勇気がいるのだ。ビジネスの現場なら勇気に代償が発生するし、政治の世界なら自分の立場を失いかねない。日常生活でも結論を出した人は小さな責任が発生するので、井戸端会議や地域の組織化された協議の席でも結論は控え、総意や多数決の場に結論を出すことが、結果、キャリーオーバーになる。確かに責任を背負うのは誰しも経験するところだが、勇気と責任の関係はとても密接で「自己責任」という重荷をできれば抱えることなく浮世を適正に流れていきたいと考えるのが常。そうして組織は常に結論を先送りにしてエネルギーや叡智が枯渇していく。資金源が豊富なうちはそれでもいいかもしれないが、ちょっとその態勢はつまらない。
 誰でも「ひらめき」がある。些細なアイディアでも偉業への道筋かもしれないし、組織で全否定され多数決で否決された結論からビックビジネスの芽が出ることもある。そんな「ひらめき」を「ひらめき」として意識するには日頃からどんな思考パターンでいればいいのだろう?「ひらめき」は論理的思考からは生まれないとして、では、どんな場面でそれは発生するのだろう?いつでも自由に起動できるひらめきを生み出すスイッチがあればいいのだが。そんな便利なスイッチはアマゾンにも楽天にも売っていないし、検索してもヒットはしない。
 「ひらめき」と同位に「企画」という言葉がある。最近、改めて「企画」と実用性の関係を整理しようと思っている。思考と感覚を相関させながら、僕の中にあるであろう「ひらめきスイッチ」を整理したいと。