2018年06月 アーカイブ

映画「レッドスパロー」

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 昨晩、映画「レッドスパロー」を観た。う~ん、これだけの役者があのテーマで物語をつくれば、そりゃこうなるわけだ、という感想です。なんのことやらという感想ですが、ネタバレも素人の映画分析などもおこがましいので、この程度の感想とします。

 とにかく、素敵な映画作品なんだから「ぜひ、観てください!皆さん!」としか言えません。

 別件で、金曜日、音楽番組があり、「米津玄師」さんの紹介をしていた。音楽雑誌の編集長がテレビに登場して「生い立ち」や「表現哲学」について語っておられたが、なんとなくピントがずれていた。同様に、ワンオクに対するネットや専門家、そして、一般人の評価について目にする機会があったのだが、数行読んですぐそのページを閉じました。それはそれで皆様の正解なのだろうが、もっとファンというのは利己的であるべきだと思います。誰がどう分析・評価しているという論述は関係ないじゃん!ランキング好きの日本人を煽るためのテレビやネットの仕組みは数字や代価に直結しているのでしょうが、逆に直結しているから重要だという捉え方に共感はできない。個人の中に生まれた重要性や価値感がたまたまネットやメディアで繋がり共感を生むなら分かるのだが、共感を生むために繋がろうと分析しようとする捉え方は正しい形ではない。

 一部、「レッドスパロー」について全体イメージを紹介するとかなり露骨な表現が多い。当然、明確な理由や根拠があるからなのだが、一見、露骨な表現だけに注視すると、本質に辿り着くまでに意気が逸れる場合もあるかもしれない。何ごとも顕在化している裏側に流れている真意や意図を汲みとれるテクニックが必要なのだ。それを「教養」と呼ぶのか、「固執」とよぶのか、「才気」と呼ぶのかは分からないが。

Less is more.

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 何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」。

プログラム言語「python」。

 2020年からプログラム教育が小学校で必須となる。つまり、現代はそういう時代なのだ。小学校の頃からプログラム言語に慣れておかなければ、プログラム教育で先を行くアメリカや中国やインドについてはいけなくなるという危機感からの教育方針だろう。ただ、僕の年齢になってしまえば、もう、プログラム言語を本格的に活用して直接仕事として取り組む必要はないだろうが、単純に好奇心が疼く。だって、世界で一番稼げる仕事が「プログラマー」なんだから。しかも、「プログラマー」の世界では、プログラムの知識だけでは世界で通用する一人前の「AI人材」ではなく、あらゆるモノゴトに対する知見や視野が広く深いことや発想力や設計力が必須なのだそうだから、デザインの仕事とどこかシンクロする部分が多いと感じているし、僕のようなおっさんでも有利な点があると捉えている。また、「プログラム言語」についてもWEBコンテンツを長年制作してきた経緯から、ディレクターあたりからプログラムを実装させたコンテンツを制作し、FLASH、JAVA、PHP、CGI、J.S.を踏まえての「python(パイソン)」という流れだと捉えている。別段、専門学校に通ったわけでも、特定のエキスパートのサポートもなし。すべて独学だから、基礎知識が完全に欠落していて、常に限界と背中合わせだが、楽しそうなことはまず挑戦してから悩もうと考えている。どうせ、壁にはぶつかるだろうし、落とし穴もいっぱいあるだろう。でも、楽しそうならやらない理由がない。

 意外とこんな「変なおっさん」だからオモロイコンテンツがつくれるかもしれないし。それを見て小学生達が楽しい気持ちなれば、ただ、つくり手として普通に嬉しいはず。

AI人材。

 最近、新聞やネットで「AI人材」という言葉がよく目に止まる。AI人材の仕事とは、ただ、コードを書くだけではなく、「物事や状況をかみ砕いて(AIが)経営に必要だと分からせる、しかも具体的にこういう手段がありますよと、方向性を求めている人に正解を伝えることができる人材」のようです。

 ポイントはエンジニアという業務の枠を超えて、AIを活用して何ができるかを分かって、かつAIを用いた課題発見・課題解決の実現まで構想・設計できる人材が「AI人材」なのです。

 ということはまず「エンジニア」の知識とテクニックが必須であることと、総合的な問題解決能力が連動していること、そして、この時代にヒトが何を求めているかについて自分なりの答を持っている人材となるのです。

 そんなマルチな知識と経験とテクニックを持っているヒトがいったい世界には何人いるのだろう?ある調査ではその数は30万人で、アメリカとインドと中国にその人材は集中しているらしい。人口比率からその割合は納得できるが、古い経済構造や組織構造に縛られている国ほどこの取り組みが遅く、どうやら、世界の技術革新に対してどの程度反応できる気質がある国民性か?という部分も重要なポイントらしい。当然、日本は世界的にみてもこの意識が希薄で未だに古き良き「モノヅクリ」や古来の「和の文化」に固執している傾向が強いらしい。変化を受入れ新しいニーズにリアクションしその知識とテクニックに見合った代価を得たい場合は、働き場所を海外に求め有能なヒトは海外に出てしまうという悪循環が起こり始めている。結果、国が空洞化し残飯を漁ることに凌ぎを削ることなる。この危機感を適正に行動に移すためにはどの部分をどこまでチューニングすればいいのだろう。非常に大きな課題である。

映画「ズートピア」

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 正直なところディズニーのアニメ映画はあまり興味がなかった。でも、テレビでこの映画が地上波初だったので、なんとなく何気なくぼんやりと観てしまった。しかし、興味がなかったものの、始まって数分で完全に引きこまれた。後日、DVDを借りてきて製作者のコメント映像を見ると、引きこまれた原因がいくつか分かった。いずれも「なるほど」の連発だった。何気にだからほぼ興味は0%だった作品にここまで引きこまれたのは久しぶりだったので、改めてDVDを借りてしまった程。うんうん、なかなかの映画なんて偉そうに言っているが世界のディズニーなんだから当然と言えば当然。ほんとに奇をてらっていないし、キャラも練り込んであるし、物語もふわふわした夢物語ではない。これこそまさに「子どもから大人まで楽しめる極上の作品」である。いろいろなキーキャラが登場するわけですが、それぞれの動物の特徴や性格が観察・分析されているうえでの極上のエンタメ&エモーション作品でした。ニュートラルな気持ちで観るといろいろな発見がありますよ。

ライフハック(LifeHack)

 ネットでこの言葉の意味を検索すると「仕事の質や効率、高い生産性を上げるための工夫や取り組み。2004年に米国のテクニカルライター、ダニー=オブライエンが考案した言葉であり、主に情報産業に携わるプログラマーや技術者の間で使われるようになった。アプリケーションソフトやデジタル機器を効率良く使いこなすためのちょっとしたこつやテクニックから、業務目標の設定や健康管理にいたる、いわゆる仕事術、生活術を指す。」とある。

 「ハック」の意味は「乱暴に木などを叩き割る」というちょっと荒めのニュアンスがあるのですが、言い換えれば「ざくっと何かを分析・分解する」という語感があるように僕は感じています。そもそも、「ハッキング」のニュアンスがサーバに侵入して危害を及ぼす行為という意味で使われることが多いのですが、実は「叩き割る」からプログラマーのエンジニアリングへ昇華しているのだ。サーバに侵入する行為は「ハッキング」ではなく「トラッキング」が正しいので、私達は言葉のニュアンスや意味について、かなり映画や小説の表現に限定して捉えているようだ。

 現代では「ライフハック」は「健康管理」「仕事術」「生活術」というニュアンスがあるそうなのです。つまり、「人生の品質向上と効率化」を指しているのです。確かに情報は飽和・氾濫しているし、記憶力優先時代から思考力優先時代へ、権威や公認の価値よりも現場の対応力(実践力)、つまり、マスよりもパーソナルなマンツーマン、FACE TO FACE、SNSの時代なんだから、絶対よりも相対こそがライフハックの真骨頂なのだろう。

 ライフハックという観点で現在の自分の仕事を分析に取り組んでみると、いろいろな発見が確かにある。しかし、仕事の品質向上や効率化を達成・実現する手立てについては、まず、仕事である以上、社会性や協調性の重要性が大前提だ。そこをスルーして本質的な品質向上や効率化は成立しないからだ。オカタク捉えればすべてが「ねばならない」になってしまうから、ちょっとちょっとガスを抜きつつ、「だったらいいなぁ~」レベルでライフハックについてボチボチと実践していきたい。

Web分離とは?

 Web分離(インターネット分離)とは脆弱性に対するセキュリティ対策から、実行環境の分離への取り組みらしい。

 従来のWebコンテンツの脆弱性に対するセキュリティ対策では“すり抜け”や”誤検知”の発生が後を絶たないので、この状況を打開する次の一手としてWebコンテンツの実行環境を分離することで、脆弱性を利用した攻撃のリスクを抑止する「Web分離(インターネット分離)」が今、注目されているそうです。

 確かに、それしか手立てはないでしょうね。そもそもどこまで依存するかという配分と、アナログ情報をデジタル情報に変換するのかという、さじ加減が今後の課題だということでしょう。利点が確実に存在するだけにどの部分をどの程度抑制(分離)するか悩ましいところでしょうが、「重要な情報は紙で残せ!」という言葉があるほどですから、ここら辺がどうもデジタル技術の天井なのかもしれません。

怒ってるなぁ~。

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 ネットでたまたまヒットした柴犬の子ども。理由は分からないがかなり怒っている。恐らく、この攻撃的な性格のまま成長していくのだろう。でも、可愛い。

アウトプット不足。

 「日本の大人はアウトプットが不足している!」という本がある。

 「書くアウトプットがいちばんラク!」知識と情報を血肉にする最強の書き方SNS発信術。
 書ければ必ずお金になる!「テーマと文字数」は制限があればあるほどいい。簡単に誰でも分かるように書け。媒体を意識して、読みやすくせよ。接続詞は書き手も読み手も助ける。文章を売ろうとするな、文章で売れ!SNSで発信しないのは、存在しないのと同じ。などという一見、魅力的なフレーズが書籍広告面にはちりばめられている。

 そして、「インプット時代はもう終わりだ。大衆を脱出したけれりゃ、情報を吐き出せ!」とこの書籍広告は締めくくっている。

 確かに言いたいことはビシビシ伝わってくるから、悪い書籍ではないのだろう。結果、「4刷出来!」がその証拠だ。

 確かに、「日本の大人」が海外の大人と比較してアウトプットが上手くないのかなとは感じるし、ネット時代だからこそ一般大衆が情報発信ツールを手にしたわけだから、SNSで認知度を高めて一般大衆から共感され信頼されれば、それ相当の代価を得られる時代であることは理解している。この著者はその代表選手のような存在なのだろう、までは簡単に推測できる。SNSで情報を吐き出すだけで代価が得られるのなら、僕も積極的に吐き出したい。だから、文章力を高めて「吐き出し方」を習得してくださいというメッセージがこの書籍には込められていて、その具体的なノウハウが豊富に盛り込まれているのだろう。この書籍が800円(税別)だから、SNSで情報を吐き出して、800円ぐらいの代価を得ることは難しくないだろう。

 しかし、積極的に吐き出すにも「吐き出すモノ」が必要だ。確かに日本の大人は地道にモノ静かに謙虚に誠実にいろいろな経験値やテクニックをインプットしてきた。それらは会社組織やある特定の属性の中でしっかり機能していたから、とりたててアウトプットする必要がなかったのだ。つまり、そういう仕組みが充分に機能していたからアウトプットしなくとも代価が得られたのだ。

 インプットした情報を「お金」に変換するために書き出すという作業が有効なのは、なんとなく個人的に理解できる。何も書き出していないのに、警戒し過ぎて好機を逃すぐらいなら、ちょっと冒険をするべきなのだ。一般大衆に揶揄されたり酷評を受けることになったとしても、SNSなら致命的な状況にはならないだろう。ただ、今までがほんとうに「インプット時代」だったのか?という違和感がある。

 ない袖は振れないし、食わねど高楊枝という美学も放棄することは難しく、そんなプライドもブランドの格子も捻じ曲げて、自分の意図のまま突き進もうとするぐらいの覚悟と決意が必要な時代なんだという危機感はビシビシ感じられる広告文面でした。

JW2

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 トリケラトプスの頭蓋骨、う~ん、美しいフォルムです。

 7月13日「ジュラシックワールド2~炎の王国~」公開! 楽しみです。
 

山口勝平さん。

 週末のイベントに声優の山口勝平様が長浜に来訪されました。お客様の宿泊施設に泊まられることとなり、ご無理をお願いして写真撮影をさせていただきました。大変お疲れのところ、地元関係者のアニメ「名探偵コナン」ファンの子どもさんたちが数名集まり、宿泊施設内でサイン会と記念撮影会。当然、子ども達のテンションはマックス!私とて、工藤しんいちというよりも、ウソップに会えて興奮してしまいました!

 改めて、さすがトッププロの声優さんです。その神対応におっさんも興奮してしまいました。

 声優さんって、ほんとに無形の夢を多くの人達に与えておられるんだなと実感しました。

快勝!

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 ひさびさの快勝です!こんな勝ち方は気持ちがいい!!

お昼寝のチョップ君。

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 今日は天気も良いので昼飯の後、お風呂に入った老犬チョップ君。風通しの良い場所でお昼寝しています。もう立てなくなっちゃいましたが、よく吼えてよく食べる老犬です。日本の柴犬の最高年齢記録が26年9ヶ月なので、行けるところまで行ってください!チョップ君!

ねぎの再生。

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 5日前、スーパーでカミさんが買ってきたねぎの根っこの部分をプランタンに植えた。今日、見たらこんな感じに再生しているじゃないか!強いぞ逞しいぞ、ねぎ!!

文章は読まない!?

 チラシやパンフレットやWEBサイトなどの制作企画についてお客様と打ち合せしている際、こんな言葉をよく耳にする。

 「文章は誰も読まないから少なめに。」

 確かにその意図や根拠は理解できる。僕も同じで、興味のないテーマや一見完成度が低そうな印象・予感を感じてしまうと、文章は頭に入ってこない。そもそも必要に迫られて資料なり書籍を手にしているのだが、必要性に偏り過ぎて本心本音で文章を理解しようとか、執筆された方に対して共感しようという気持ちが生まれないのである。まず、「興味のないテーマ」については、ランダムに100本のテーマから興味のあるテーマを選ぶという状況になった場合、僕の興味ゾーンはとても狭く、2~3本だろうと推測する。これは「ランダムに」という設定次第なのだが、それほど多様な情報が世の中には存在していて、実際にタテマエ抜きにしてという条件だったら、2~3本以下、1本あるなしの状況だと捉えている。
 むしろ、それほど好奇心を萎えさせる情報が世の中には多いという実感だ。
 しかし、デザインの仕事で制作する立場になれば、第三者に対して、「はい、興味がなければ仕方ないですね。はい、ご一読ありがとうとざいました。失礼します。」と引き下がるわけにはいかない。なんとかして興味を持って頂き、共感してもらえる工夫を講じなければデザインの仕事の価値がない。
 では、不特定多数の第三者に興味を持っていただくためには、どんな戦略が有効なのか?理論理屈で考え始めると必ず消化不良が発生する。「ほんとにこれでいいのか?」「この程度の表現で振り返ってもらえるのか?」という疑心暗鬼が渦を巻き始める。結果、この思考からは何も生まれず、手元には不毛な理論理屈の残骸が残る。
 だから、感覚に訴求するための「読ませる文章」「読ませる工夫」「読ませる表現」を成果物に実装することがデザインの仕事なのだと捉えています。