細田守ワールド。

 細田守監督作品の世界には強力な引力がある。それは、かつて宮崎駿監督作品の中にあったモノと同じ類の引力だ。確かに大ヒットした「君の~」や漫画作品から覚醒した作品にも時代の矛先を引き込む強い引力があるのだが、細田監督と宮崎監督の作品はさらに強力で異質だ。多くのアニメ映画業界のプロフェッショナルな皆様が技術的にも興行的にも磐石のサポートをしているからこそ、これら秀逸な作品を私達は鑑賞することができるのだが、両名の作品はと特異で秀逸だ。

 特に細田監督の作品、まだ、「ミライ~」は観ていないので分からないが、主人公や登場人物(人物以外も含む)の物語が展開する世界の設定がかなり特異だ。それらのベースとなる場面設定や物語の舞台が何気ない現代の日常から、絶妙なタイミングで異空間に突然転移する。主人公に感情移入している私達はその絶妙なタイミングで今まで現実的に体験したことのない世界に放り込まれ、主人公に感情移入して共感しながらもその状況に戸惑うのだ。その設定は細田監督のどのような経験から生まれるのか?ここの部分が興味の最大の的だ。人はそれぞれ学生時代から社会人になりいろいろな経験を積み、いろいろな世界をそれなりに経験している。書籍で得た知識からも様々なイマジネーションを獲得して「自分」を形成させている。これほどに情報が氾濫した世界において、「よほどの特異性でなければ驚かないぞ!」と身構えてはいるが、いやいや、世界は広く、人間の歴史が紡いできたすべての万象と比較すれば、そんな自負など一滴の雨の雫に等しい。しかし、一人の人間のイマジネーションがこれほど多くの人に感動を与えるということは、よほど、相当、類稀なる潜在能力の持ち主だと言わざるを得ない。でなければ、因果関係が成立しないばかりか、あまりにも受身の私達が微細だ。

 イギリスの文学者サミュエル・ジョンソンが言っている。

 「優れた作家は優れた2つの力を持っている。新しいモノを馴染み深く見せる力と、馴染み深いモノを新しく見せる力だ」と。

 確かに、奇想天外、荒唐無稽、支離滅裂、いずれも実は想定内なのだ。

 むしろ、自分の中にある、深海の底から蠢きながら湧き出てくる何かを掬い取ることがつくり手として重要なんだろう。古来海の中、アミノ酸からDNAが形成された瞬間のような、何か特別なタイミングである。