他人のモノサシは千差万別。

 ネットトラブルの大半の原因は文章力だそうだ。書き手と読み手の間には深い谷があり、軽率な言動や曖昧な根拠・心情がどんな文章にも露呈するのだ。「そんなつもりじゃないのに!」「ええっ、それは誤解です!」「申し訳ありませんでした!私の言葉が足りませんでした」なんてことがザラ。誠実に丁寧に正直にを心がけているつもりでも、相手にはそのニュアンスやフィーリングが伝わっていない。対面や電話をしていればこんなトラブルにはならなかったのに、軽率だった安易だったと反省の連続。メールやラインやNSNSは確かに便利なツールなんだけど、雑に扱うと恐ろしい結果を引き寄せる。とにかく、他人(読み手)のモノサシ(解釈)は千差万別なのだ。

 正しい日本語って改めて使い方が難しい。互いに対面していれば、表情も分かるし声のトーンで感情も分かる。細かい情報も伝えられないし情報の背景や根拠などディテールも伝えにくい。誤解も即座に撤回できないしそのお詫びもできない。文字だけで情報伝達するのは思っている以上に断片的なのだ。だからと言って、完結シンプルさを心がけると、「味気なさ」や「無感情」となり違和感を与える場合もある。じゃぁ、どうすればいいの!どう書けばいいの!と開き直りたくなるものの、仕事だから送信・返信しないわないわけにはいかない。やはり、文章コミュニケーションテクニックを習得しなければならないのだ。そういう時代なのだ。

 じゃ、デジタルツールが世の中に浸透する前はこんなタイプのトラブルはなかっただろうか?誰でも普通に「他人のモノサシは千差万別」だなと気づいてて、ひとりひとりの話をしっかり聴き、普通に対応できていたってことなのかな?と対面で何気ない会話をしている最中も、「他人のモノサシは千差万別」だから、この局面でこう返そうなどとは意識せず、普通に相手の言動と表情とふるまいを総合的に判断して、適正な返事を返せていたということ。それが、デジタルツールを使う始めたらあまりに便利過ぎるものだから、うっかりそれまで対面のコミュニケーションができていたのに忘れてしまった、もしくは必要なしと判断してしまったのだろうか。もし、そうだったとしたら、全然、便利でもないし進化でも技術革新でもないじゃないか。人間の感覚や総合的な情報察知・情報処理能力を意味もなく排除した故の欠陥品ではないか。便利だ多機能だと一喜一憂している間に本来人間がもっていた能力を奪っていたとしたら、これはとても厄介な話だ。それじゃ「進化」ではなく「退化」だ。

 世界中の個人が情報を発信できる時代になった代償として、私達は「退化」を容認したことになる。容認したうえで、改めて情報コミュニケーションテクニックが必要不可欠だ!なんて言われてもそんなことぐらい開発する前に確かめてくださいよと、なる。一回、とりあえず買わせて使わせておいてから、実はこのツールを活用するためには正しい文章力とこれらの注意点があるんですって、追加で分厚いマニュアルを訴求されても、全然納得できません。最初から不良品だったとしたら、その欠陥が判明してトラブルが多発した段階でリコール・回収するべきだ。車のエアバックの不具合なら大変な訴訟問題だが、メールやSNSは無料のツールだから、仕方なしなのだろう。むしろ、これらのツールはGAFAが多様な情報を自社のサーバに集めたいから無料提供している仕組みなんだから、私達は「進化だ!」「革新だ!」「豊かな未来だ!」と人類を浮かれてほおけさせていればいいという方針なんだろう。サファリーパークで飼育されていれば適正に餌にもありつけるし自然の脅威も起こらない。まさか互いに殺し合うなんてことはしないだろうとこの問題を放置したのかな?まして、仮想空間だし、最悪の状況、妬み・誹謗中傷で人命は断たれない程度の軽率な開発姿勢だったのだろう。でも、実際、現実はどうかな?何故なら他人のモノサシは千差万別なんだから。