DEADPOOL2

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 私達は「ジョーズ」も「バックトゥー・ザ・フューチャー」も「ターミネーター」も「エイリアン」も「SAW」も第2弾が完成したと聞けばいろいろ想像する、いや、しまくる。そして、第2弾を観て、必ず素人のイマジネーションの貧弱さを痛感するのだ。「2は1を超えられない」という固定観念を第2弾がどこまで崩してくれるのかを実は期待しているのだ。実際、素人に超えたのか否かなど判断つくはずもなく、ああだのこうだのとただ比較するのが楽しいのだ。巨額の制作費用を目の前に置かれ「この費用で第1作目を超えてくれ!」と言われる心配などありえないのだから、第2弾を自由に観て、自由な感想を持ち、巣の雛のように口を開けて、第3弾を待っていればいいのだ。たとえ期待値を超えなかったとしても誰も損はしない。

 ただ、唯一の真実は「ムカデ人間2」にだけはなってはいけないのだ。

 しかし、不死で言えば、「無限の住人」にも「DEADPOOL」のようなユーモアやノリがあればなどと分析してしまうが、それはつくった人のお国柄の違いなのだろう。つまり、映画づくりや物語のテイストやディテールを決めるのはユーモアのセンスなどのノリ(感覚)の部分で、文化や慣習の違いなどと理論理屈で捉えてしまうとドン引きなのだ。結果、つくり手の性質が大きく作品に作用しているんだろう。つくり手の中に流れている血液のような「想い」とか「狙い」が作品に流れ込むか否かで、すべてが決まってしまうような気がします。