ITリテラシーの真髄。

 恐らく、SNSやメールなどのIT技術の仕組みは情報を発信するというタテマエの元、情報を受け取らないヒトに対して強制的に受け取らせるという本音が実装されているような気がします。電話なら出なければいいし、対面なら心を閉ざせばいいのだが、ITの仕組みを使っている以上、相手からの情報をどうしても受け取ってしまう。端末に情報が届いている警告が表示されるわけだから、それでも受け取らなければログインしなけれいいのだが、受け手の気持ちに関係なく情報が届いたサインが表示されてしまうわけです。誰からの情報なのかを認識した上で削除できますし、特定のアカウントを拒否することもできるが、それをさせないための力みたいな機能がある。結果、IT端末を持っている以上、その力(利便性)を否定していまうと意味・価値がなくなるという大前提からスイッチONにしている状態がノーマルな状態になっています。だから、発信側の意図や狙いがどうであれ受取側は一方的に我慢を強いられる。悪意のある誹謗中傷に対して反論してしまうと同じ穴の狢になることを宣言してしまうことに結果、なってしまうからだ。なんとも巧みな機能である。人間のコミュニケーション能力のブラインドをついた非常に秀逸な仕組みなんだと僕は感じています。気楽な気軽な信頼関係がある者同志なら、こんな猜疑心も疑心暗鬼も生まれないただの便利なツールが、複雑怪奇な意図が含まれた瞬間にめんどくさいツールになってしまう。

 インターネットのWEBサイトも実は同じ様な仕組みで公儀では情報を検索するためだけの目的なら最高のツールなのですが、その機能ゆえ様々な不具合を併発している。結果、視覚情報と聴覚情報だけを表示認知するための端末に五感を支配されてしまい、適正なバランス感覚を奪ってしまうこともある。当然、言語情報のバランスも大前提が曖昧になるうえ、情報を発信する側の意図や狙いが分かりにくい状況から、ほぼほぼ真意や真価を推定や憶測でジャッジしなければならない。でも、ITリテラシーのある人はその曖昧な推測も自分なりのモノサシで上手く解釈できるので、情報の有益な部分を見極め抜き取ることができるが、翻弄されてしまう、むしろ、翻弄されたい人のほうが多くなるとセオリーやモラルがその方向で固定・定着されしまう傾向が強くなります。そして、それが全容・総意だと認知してしまうと、本来の真意や狙いがマイノリティー化され、孤立し排除される。全体のパーセンテージ、つまり、総意こそが真価になってしまうのです。赤信号みんなで渡れば…のロジックである。

 では、何が優劣や正誤を適正に分けるのか?それは理論ではなく感覚なのだと僕は捉えています。感覚ってファジーな不連続な情報ですが、情報の根っこの部分と確実に連結連動しています。しかも、感覚は感覚でしか分析・識別・受信できないので、ある程度はテクニックが必要なんだけど、言語情報の共通性や整然性と比較して濁っているように見えてしまう傾向が強い。だから、両手を水平に広げ目をつむれば平衡感覚は三半規管が判断してくれるように、世の中の情報(重力)に対してどの状態が水平垂直かを体感・実感する心の三半規管を常に適正な状態にしなければならないのかなと捉えています。これが本来のITリテラシーの真髄だと思うのです。