2019年02月 アーカイブ

狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか

 この本は14カ国で翻訳されたベストセラーである。

「オオカミの知恵
 それは、家族を愛し、託されたものたちの世話をすること。遊びをけっして忘れないこと。

 人類が狩猟採集の社会スキルを学んだ、高度な社会性を誇る野生オオカミ。
 彼らはどうやって群れのあり方を学び、世代をつなぐのか。
 野生オオカミ社会を数十年にわたって観察してきた
 ドイツを代表するウルフ・ウォッチャーが、
 現代のヒトの生活にも役立つオオカミの知恵を生き生きと描く。」
という説明文が添えられている。

 ずっとずっと私は「オオカミ」のことが気になっていた。それはひらめきのような感覚で具体性にはまったく欠ける、曖昧で漠然とした探究心。そんな感覚だった。同様に「カラス」や「蜘蛛」や「熊」のことも気になっている中で、特に「オオカミ」は大きな存在だった。機会があればもっとオオカミのことを深く知りたいと考えていた。そして、昨日、新聞広告で「狼の群れはなぜ真剣に遊ぶのか」という書籍があることを知る。築地書店様から発行されていることを知り、WEBサイトに本文から抜粋してある「はじめに」を読み、著者に対してとても強い共感を得た。

 →WEBページはこちらです。

 この発見の興奮が凪いだら購入したいと思っています。

努力家なんですね

 最近ある若いクリエイターさんから「努力家なんですね」という評価を頂いた。素直に嬉しい気持ちなりましたが、この方は僕のどの部分を指して「努力家」だと分析・評価していただけたのか確認できないまま分かれてしまった。話の最中にも、嬉しい気持ちでつい確認できなかったのです。

 僕自身は昔から何事にも「努力」をしているという意識がない。勉強でもスポーツでも趣味でも仕事でも。唯一、努力したなぁ~と思えることは「水泳」である。家から歩いて5分足らずで素晴らしい海水浴場があるにも関わらず、僕は泳げなった。小学生の頃、4年生から夏休み前の「水泳訓練」というのがあり、泳げる人は対象ではなく、いわゆる「カナヅチ」が集められ先生が引率の元、みんなで海へ連れて行かれる。しかし、僕は心底、友達の誰よりも「泳ぐ」ことが苦手、というよりも嫌いだったので、「今日は風邪気味で」とか「お腹が痛くて」などと嘘をついて、この水泳訓練さえもキャンセルしていた。当然、小学校を卒業する頃になれば、学校で泳げないのは数名となる。そして、そのまま大人になったのです。でも、自分なりに健気な努力はしたのです。まず、水に顔をつける練習。水中に潜る練習。足がつくような浅い場所で浮く練習。見よう見まねで手足を動かす練習。ひそかにそんな努力を繰り返したが、水中を浮いた状態でなんらかの方法で前に進んだ記憶が一回もない。別に「悪魔の実」を食べたわけじゃないのに、海で泳げないことを引換えに何か素晴らしい能力を獲得したわけじゃないのに。ただの「カナヅチ」人生なのです。

 だから、「努力」という言葉を聞くと唯一実感できるのは「水泳訓練」だけなのです。じゃぁ、彼は僕のどの部分を指して、「努力家」だと評価してくれたのだろう?それが分からない。分からないのに曖昧に興奮していたわけで、「努力」ってなんだろう?という疑問だけが残るという不思議な経験でした。次に会った時、わざわざ確認するような問題でもないし、恐らくこの問題は迷宮入りです。

グランフロント大阪9階。

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 今日はARコンテンツのお話を聴きに梅田へ。ここはグランフロント大阪9階のエレベーターホール!?ちょっと、無駄に広すぎませんか?この広さだとバスケットボールの試合ができますね。しかし、ひさびさにこんなところに来ると、捕獲されたラプトルのように萎縮してしまいます。僕は琵琶湖湖畔でドローンを飛ばすような仕事が性に合っているようです。風の臭いがしない、湖の音が聞こえてこない空間って、なんとなく落ち着かないです。お話を聴いた後、道草せずに新快速に乗りました。

YouTubeアカデミー

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 イマドキな情報発信スタイルは、このイラストようなイメージの場所から生まれているんですね。もう、後戻りも躊躇もできない。猪のように、迷わずただ突き進むしかない。ブラックバスのように目の前で動いたモノに喰らいつくしかない。ムチを入れて走れるうちは走り続けるしかないようです。最近、「YouTubeアカデミー」というサービスがあることを知った。ここまで用意されているんだから、もう、やるしかない。凄いノウハウです。

 →こちら「YouTubeアカデミー」

USB付ガラステーブル。

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 これ良いですね。→こちらの商品です。

 やっぱり、う~ん、Macは絵になります。

ラインシェイプとタイプライト

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 この画面(After effects)がラインシェイプとテキストレイヤーにタイプライトを適用した編集中の画面です。これはソフトの機能を確認するための手順として、いつもつくる試作品なのですが、マニュアルを読んでもユーチューバーさんのテクをいろいろ観ているだけでは分からないことが試作品をつくるとよく分かります。実際にソフトのバージョンや英語版の翻訳説明ムービーだったり、翻訳がない英語版で知った知識は、微妙に作業行程が実際と異なったり説明が少し足りなかったりします。でも、試作品を実際つくってみると「ああ、このことか!」という小さな発見が多いのです。この発見がないとオリジナル作品はつくれません。実際、A.E.の機能はとてつもなく多すぎるので、すべての機能を仕事に使うわけではないので、どこまでの機能を知っていたら自分がつくりたいオブジェクトに有効かを見極めなければなりません。この捉え方はイラストレーターでもフォトショップでも同じで、ソフトの機能が成果物の完成度を上げるわけではないので「広く浅く」よりも「狭く深く」そして、「リアリティー」が何よりも優先します。ここからは応用となりますので、いわばつくる作業プロセスの中で「楽しいゾーン」に入ります。実際、この段階まで来ると楽しいです。

EYE OF THE STORM

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 映画監督のタランティーノは言っている。
 「私にとって、映画と音楽は一本だ。脚本を書いているときに最初にやる一つが、オープニング・シークエンスで使う音楽を見つけることだ」と。

 作曲家のウィリアム・オルウィンは言っている。
 「静寂なくしては、作曲家は最良の武器を失ったに等しい」と。

 映画監督のルーカスは言っている。
 「映画の楽しみの半分は、音響と音楽だ」と。

 指揮者のレオポルド・ストコフスキーは言っている。
 「画家はキャンバスに絵を描くが、音楽家は静寂に絵を描く」と。

 その音楽を聴かなければ決して感じることができなかった感情がある。それは理論理屈と対比して心の中に浮かぶ感情と、理屈抜きに真っ白な紙の上に落ちた一滴のカラーインクのような鮮明さで言葉にならない感情を喚起させる。ま、ワンオクの存在に対していろいろなゴシップが飛び交っているようですが、それはそれ。僕は僕で一旦、言葉もペンも置き、この作品を無垢な心で聴きたいと思っています。何回も何回も。

マルチトラック編集

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 いやいや、いつもこの作業(波形編集)を始めると止まらないのですが、本日、新しいテクや機能をアドビのチュートリアルビデオで教えてもらいました。さらに細かいサウンド(音声)の微調整や編集が可能になりました。やっぱ、スゲェ~なぁ、アドビのソフトは。

 テクニックはまだまだですが、新しいテクや機能を知っただけで活用できていないのですが、嬉しくなり新しいヘッドフォンが欲しくなりました。モヤモヤしていた部分がスッキリすると嬉しくなります。

販売士資格。

 「販売士」とは何か?聞きなれない、知らない言葉だったので、ネットで検索すると下記のような説明文がヒットしました。

 「「販売士」とは現在の流通業界を取り巻く環境は、少子高齢化やライフスタイルの変化をはじめ、IT化の急速な進展などにより、急激かつ大きく変化しています。このような状況のもとで、流通業界で最も必要とされているのが、多様化・高度化した顧客のニーズを的確に捉え、豊富な商品知識や顧客に配慮した接客技術を武器としてニーズにあった商品を提供するとともに、商品の開発や仕入、販売、物流などを効率的かつ効果的に行うことができる「販売のプロ」なのです。」とのことです。

 要約して解釈すると「できる営業マン」にあたるのかなと僕は捉えていて、「仕入、販売、物流などの効率」もとなれば、経営者資質のマネージメント能力と置き換えることができると思います。しかし、このスキルを「資格」で括れるのでしょうか?急激に大きく変化する前にも同様の取り組み方はあったはず。そして、同じくなんらかの「資格」も存在していた。つまり、ひとつ前の古い資格という枠組みでは包括できなかったから、新しい「販売士資格」を設定して取り組みましょうという意図なのだろう。でも、「販売のプロ」っていつの時代も基本的に「規格外」であるからこそ、じゃないかなと。資格で定義し整理すれば分かりやすく、とっつきやすくはなるのだろうけれど、さて、その資格を取得して基礎知識とノウハウ・手順を理解したうえで、それを「販売のプロ」と呼べるのだろうか?というメビウスの輪のような印象を受けてしまいました。

 ま、何事も「資格」が定義としてしっかりと確立され存在しているからこそ、その基本構造との対比・比較として「伸び代」や「利点」や「正解」が際立つわけです。だから、多様化・高度化のひとつのモノサシとして「販売士」は意義・意味・価値があるのだと思いました。

北欧。

 ずっと気になっていることがある。「北欧」という存在だ。何故、気になっているのか?「世界幸福度ランキングの上位」という評価である。「幸福度」について身近なことを北欧のライフスタイルや思考パターンと比較・対比してみると、「確かに」「そうかもしれない」と思い当たる節がいっぱい頭に浮かぶ。そこで、いろいろ検索をしていたらこんな記事を発見した。

 「北欧諸国が世界幸福度ランキングで上位にいる10の理由」という記事である。その10の理由とはこちらです。

1:医療費がかからない
 北欧各国で医療費事情は少し違うようですが、例えばデンマークでも医療費は無料で、日本と違う点は、ホームドクターが決まっていることで何の症状でも相談できる。

2:学費がかからない
 北欧では小学校から大学院までの学費が無料。会社勤めをしても、MBA取得や自己啓発のために大学院に通うときも学費がかからず、失業保険も4年間受給できる制度がある。

3:インテリアを楽しむ
 自然素材を生かしたシンプルな作りで、その色彩も温かさを持っている。自然を大切にする心、鮮やかな色彩を見て心を温めるゆえにハッピーな気持ちになれる。

4:親しみやすいキャラクターが存在
 北欧のキャラクターと言うとフィンランドのムーミン、サンタクロースは有名。日本も愛すべきキャラクターはたくさんいますが、世界的認知されている誇らしいキャラクターの存在は胸をはれる一因である。

5:世界中で愛されているブランドが存在する
 身近なブランドとして食器のコペンハーゲン、おもちゃのレゴを挙げることができます。コペンハ-ゲンは心を優雅にし気品を高める。

6:ギスギスしていなくておおらか
 ゆっくりと深呼吸できる環境があり、人と人のつながりの信頼関係からこの気質が生まれている。自然の中でのんびりと過ぎていく時間を感じられる環境にあるのが北欧。

7:他人に親切な人が多い
 助け合いの精神も根付いています。ゆったりとした環境であるから、家族と同じように友人とも接するからなどが理由として挙げられる。

8:労働時間が短い
 北欧諸国は労働時間が日本に比べると短く、日照時間が長い。

9:家の優先度が高い
 生きていく中での優先度として「家」の価値が高い位置にある。家は家族とのコミュニケーションが多くうまれるプラットフォームなので、家を重視する傾向がある。

10:物質的価値から幸福度を算出しない
 デンマークやフィンランドの方に話を聞いてみると、「モノ」に固執していないという共通点がある。例えば豪勢な家やクルマを買いたいという発想よりも「家族の健康」や「自己成長」に重きを置いている。

 となっています。確かに「モノ」に固執してない、ハードではなくソフトを重視している傾向が強いです。これを自分なりに解釈すると「理論・理屈・根拠・数値・結果」よりも、「感覚・直感・曖昧さ・テイスト・フィーリング」を重視しているように感じました。具体的には「過去より未来」「自分のことより親しい人」「何をしたかではなく、何をしたいか」などに自分の思考(時間)をかけている印象です。それらはちょっと俯瞰で捉えると国の体質であったり制度や法律や経済構造や文化、さらに、歴史や国民性でそうなってしまっているわけです。その一つのモノサシ(基準)として「日本語」という存在があります。日本人だから日本語は当たり前、ここを否定したた何も始まらないのですが、故に改めて私達は日本語が今どういう状況でこれからどのように変化・進化していくのかを丁寧におおらかに慎重に見極めていかなければならないような気がしています。言語学者でもない私が日本語をどう進化させていくのか?などとテーマが巨大・複雑過ぎて手に負えないと分かっていても、まずは、「日本語」と良い関係をつくることで今よりも幸福になれるような気がするのです。

Macは絵になる。

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 やっぱり、Macは絵になるんだ。他のメーカーのパソコンではこうはならない。改めて素直になるとMacの利点が感覚として見えてきます。価格やスペックなど理屈で判断してWinを使ってきたが、Macも一台使おうかなと思い始めています。しっかりと説明できないですが、何か微妙な変化があるような気がしています。

 ひとつ明確な理由があるとすれば、実は「GarageBand」を使いたくなったのです。

映像の編集について。

ある書籍のレビューより抜粋しました。

「場面転換なんて、ただシーンをつなぎ合わせるだけのことじゃないか」
―― そう考える人もいるだろう。
だが、この本を最後まで読み終える頃にはこう思うはずだ。
「シーンなんて、ただ場面転換をつなぐためだけのものだ。」

シーンの間にあるものを掘り下げていくことは、映画製作の技を極める新たなアプローチだ。
場面転換により一層注意を払うことで、全く新しい可能性の扉が開く。

シーンや骨組み、筋書き上のポイントなどが
書かれている本はほかにたくさんある。
しかし読んでもらえば分かるように、
この本はシーンの中で起こっていることについてはほとんど触れていない。

その代わり、一つのシーンの終わりと
次のシーンの始まりに起こることについて述べている。
そこは、必然的に物語に動的変化が生じる部分であり、
ゆえに注目に値するのだ。
そして、複数のシーンの塊がどのように組み合わさり、
互いにどんな影響を与え合うか――それについても探っていく。


ここまで。

 明日、その書籍が到着します。
 タイトルは「ハリウッド映画の実例に学ぶ映画制作論 BETWEEN THE SCENES」という書籍です。なんでこんな書籍が必要なのか、特に明確な理由や根拠はありませんが、ただ、読みたくなった、「ただの興味本位」「ただの好奇心」が購入理由です。ただ、この「ただの」という感覚が非常にやっかいであり、時に核心だったりするケースが多く、むしろ、この「ただの」という感覚にこれまで何度も仕事の場面でレスキューされてきた。「こうでこうでこうだからこうだ!」という理由よりも、「ただの」が意外と有効・有益なのです。

 ただ、失敗も多いのですが。

「EOS」と「GH5」

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 実は仕事で写真や映像を撮影する際、「何を撮りたいか」が先行し過ぎてカメラのスペックを重要視してきませんでした。様々なプログラムがあるにも関わらず、ほぼ、写真はマニュアル撮影でした。フィルム撮影の基礎知識だけで写真を撮影してきました。当然、マニュアルは擦り切れるまで読んで頭に入れて撮影に臨むのですが、レンズワークと搾りとシャッタースピードと露出とWBバランス程度の調整でRAWデータで撮影したら、PHOTOSHOPで修正すればいいという程度。実際、印刷物にもWEBサイトにも写真を使う場合はモニターで色を最終調整するので、カメラは構図と画角とピントが整っていて、致命的な不備がなければソフトで調整して仕上げていました。だから、カメラはただのツールで「愛着」の対象ではなかったのです。しかし、手前のGH5は意外と「愛着」が沸いています。理由は定かではないのですが、何気に愛らしいのです。仕事でいろいろなカメラを使ってきましたが、データをPCにコピーしたらバッテリーを充電してカメラはケースに仕舞うというそっけない扱いでしたが、このGH5は何故かいつもデスクに置いていることに気づいたのです。写真から映像までかなりの素材が撮影できるカメラだからというわけもなく、道具以上の何かを感じています。もう、マニュアルは実際、擦り切れていますし、スペックは100%頭に入っています。欲を言えば、接写用レンズと望遠レンズが欲しいところですが、それはいずれとして、このカメラは「写真を映像を撮影したくなる何か」が潜んでいるような感覚です。これってクリエティブワークに取り組む上ではとても重要なことで、アップルがよく言っている「直感」や「インスピレーション」を刺激するという部分なのもかもしれません。

 「EOS」は仕事仲間、「GH5」は親友のような感覚です。

ホールド設置。

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 朝からベニヤ板にペンキを塗って、ボルダリングホールドを設置しました。やっぱり指先がふにゃふにゃに戻っているので痛くて力が入りません。少しずつ指の皮と指の握力を強化していきたいと思っています。こうして壁に並べたホールドを見ているとテンションだけは上がるのですが、実際は結構、腕への負担が大きいので、ボチボチぶら下がろうと思っています。

ボルダリングホールド到着。

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 「ホールド屋」さんからボルダリングホールが到着しました。最近は右肩の調子も良いので少しずつ練習を再開しています。握力って練習していないとびっくりするぐらい弱くなります。指先もふにゃふにゃになってしまうので、これを追加で設置してテンションを上げようと思っています。

DVD「アトミック・ブロンド」

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 本日アマゾンよりDVD「アトミック・ブロンド」のアマゾン限定版が到着しました。限定版なのでA3ポスター付でした。S.セロンのタフでしなやかで美しい主人公が秀逸です。

たくさんの情報とたくさんの友達。

 「たくさんの情報とたくさんの友達」。

 非常に心が動く言葉ですが、実際は「情報」も「友達」もそんなにたくさん欲しいわけではない。なんでもたくさんあれば選択肢が増えるからなんとなく得しそうな予感はしますが、実際はそう簡単ではありません。だから、SNS経由やいろいろなメルマガで届く案内の中の「たくさん情報」と「たくさんの友達」という言葉にはあまり心が反応しません。しかしながら、「情報」や「友達」との出会いは一期一会でありセレンディピティーですから、想定外のサプライズも期待しています。だけど、「たくさん」=「有益」とは捉えにくいです。本当に欲しい「情報」や「友達」は一握りで充分だと僕は思っています。また、そういう存在って、次に繋がったり、建設的な連鎖を引き寄せてくれますし、悪い循環になると底なしです。できるなら好循環を生み出し負のスパイラルは避けたいので、何事も身の丈にあった「一握り」で結果、充分なのです。