努力家なんですね

 最近ある若いクリエイターさんから「努力家なんですね」という評価を頂いた。素直に嬉しい気持ちなりましたが、この方は僕のどの部分を指して「努力家」だと分析・評価していただけたのか確認できないまま分かれてしまった。話の最中にも、嬉しい気持ちでつい確認できなかったのです。

 僕自身は昔から何事にも「努力」をしているという意識がない。勉強でもスポーツでも趣味でも仕事でも。唯一、努力したなぁ~と思えることは「水泳」である。家から歩いて5分足らずで素晴らしい海水浴場があるにも関わらず、僕は泳げなった。小学生の頃、4年生から夏休み前の「水泳訓練」というのがあり、泳げる人は対象ではなく、いわゆる「カナヅチ」が集められ先生が引率の元、みんなで海へ連れて行かれる。しかし、僕は心底、友達の誰よりも「泳ぐ」ことが苦手、というよりも嫌いだったので、「今日は風邪気味で」とか「お腹が痛くて」などと嘘をついて、この水泳訓練さえもキャンセルしていた。当然、小学校を卒業する頃になれば、学校で泳げないのは数名となる。そして、そのまま大人になったのです。でも、自分なりに健気な努力はしたのです。まず、水に顔をつける練習。水中に潜る練習。足がつくような浅い場所で浮く練習。見よう見まねで手足を動かす練習。ひそかにそんな努力を繰り返したが、水中を浮いた状態でなんらかの方法で前に進んだ記憶が一回もない。別に「悪魔の実」を食べたわけじゃないのに、海で泳げないことを引換えに何か素晴らしい能力を獲得したわけじゃないのに。ただの「カナヅチ」人生なのです。

 だから、「努力」という言葉を聞くと唯一実感できるのは「水泳訓練」だけなのです。じゃぁ、彼は僕のどの部分を指して、「努力家」だと評価してくれたのだろう?それが分からない。分からないのに曖昧に興奮していたわけで、「努力」ってなんだろう?という疑問だけが残るという不思議な経験でした。次に会った時、わざわざ確認するような問題でもないし、恐らくこの問題は迷宮入りです。